ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『おにいちゃんのハナビ』

2010年11月22日 | ひとりごと
『おにいちゃんのハナビ』


もう日本ではすでに上映されていたんですね。
今朝、ネットで新聞を読んでいる時に、フイフイッと遊びに行った映画情報の中に、『片貝町の花火』という言葉を見つけました。
3才から13才までの間、わたしは三重県の名張市という所で住んでいたのだけど、毎年夏に行われる花火大会が大好きで、打ち上げられる河原まで、浴衣を着て必ず見に行きました。
その頃の花火は、今のように派手ではなく、一発一発、何処そこの誰々奉納というアナウンスが流れた後、みんなが固唾を飲みながら真っ暗な空を見上げていると、ヒュルヒュルヒュル~ッとシッポがついた光の玉が昇っていきドッカ~ンおぉ~という、なんとも悠長な展開でした。
それがいつの頃からか、一度に上げられる花火玉の数が多くなり、花火と花火の間隔が狭くなり、同時にあちこちから上げられたり、やけくそのようにドカンドカンと数えきれない数の花火がいっぺんに上がったり、今ではそういうのが当たり前になっていて、そうでないとがっかりしたりします。

こちらに引っ越してから、花火大会という、花火が主体になった催しに出会えなくなってしまいました。
けれども独立記念日の7月4日には、どんな小さな町でも花火が上げられるので、わたしもいそいそと見学会場に足を運んでみると、が~ん……大昔の名張の花火のノリの、アナウンス無しの、5分待ってトカン(←あまりにしけてるのでドと言えない……)また待ってトカンスカンのお粗末さ。
それでも周りのアメリカン達は「おぉ~!」とか言って喜んでいるし……。こんなん花火ちゃうし……と思いっきり盛り下がっているわたしの横で……。

今年の夏に、ハドソン河から上げられるメイシーズ主催の花火大会を観に行って、久々にすっきりしたわたしですが、今日この、片貝町の花火のことを知り、昔懐かしい、アナウンス付きの、一発一発をわくわくしながら待つ花火を、また観に行きたいと思いました。
特にこの町の方々にとっては、ひとつひとつの花火が、供養であったり、家内安全の願いであったり、お礼であったりするわけで、
その思いがギュウッと込められた花火玉が、真っ暗な夜空を天に向かって真っすぐに昇っていき、パアッと大輪の花を咲かせるその一瞬の絵の美しさは、本当に格別なものだと思います。

この映画にあたっては、撮影時に片貝町の方々にかなりの無理を強いたとか、医療器具の使い方や治療風景にウソが多過ぎたとか、方言が下手すぎだとか、花火大会の在り方をきちんと伝えていないだとか、いろいろと非難もあったみたいだけど、
そしてわたしはこの映画を、予告編を観ただけでちゃんと観ていないけれども、若くして死ななければならなかった妹の望みを叶えるべく、花火を作って上げたお兄ちゃんが実際に居たということを知ることができただけでも、この映画に感謝したい気持ちでいっぱいです。

ビデオ、手に入らないかなあ……。



 
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嗚呼むすこ!

2010年11月21日 | 家族とわたし
めちゃくちゃ珍しいことに、今日一日、恭平が家に居た。
一昨日から戻ってきていた拓人は、友達の引っ越しの手伝いをしがてら、もらえる物をいただきに、ロングアイランドまで出かけて行った。
旦那は、マンハッタンでの講習を受けに来ている母親と、親子水入らずの食事をしに、マンハッタンに出かけて行った。
わたしも誘ってくれたのだけど、家の中の、たまっていた仕事を片付けたかったし、久しぶりにきちっと料理もしたかったので行かなかった。

さて、拓人は夕飯の時間に戻ってきそうになかったので、恭平が家に居るか居ないかで、わたしの料理の中身が変わる。
そこでほとんど期待しないまま尋ねると、なんと、一緒に食べると言うではないかっ?!
いそいそと料理を始めた。
料理をする時だけテレビをつけるのでリモコンを押すと、米国版『料理の鉄人』が放映されていた。
なんだかあんまりおもしろくなかったので、チャンネルサーフィンをしていると、いきない日本語が聞こえてきたではないか?!
びっくりして観ていると、それは『呪怨』パート3で、なんのこっちゃない、東京でのシーンの時だけの、ほんの数分の出来事だった。
『呪怨』というと、拓人がまだ高校生だった頃、彼のパソコンのモニターで、拓人は毛布をかぶり、わたしは指で目をほとんど隠しながら、ふたりで観た映画だ。
そしてそれは日本版で、観た後の感じがかなりオゾマシく、しばらくの間は、シャンプー時に目をつむって洗えなくて往生した。
今夜のはハリウッド版。三階から食べに下りてきた恭平に「なんでこんなもん観てんの?」とバカにされながら、せっかくなので最後まで観ることにした。
ところが、あまりにも話の筋がいい加減で、どうして彼が、あるいは彼女が殺されなくてはならないのかも理解できない展開で、
しかも出てくるお化けさん達が、真っ白塗りの、ええと、なんていう舞踏団だっけ……そうそう『山海塾』の方々にそっくり?!
笑うしかないじゃん……。
恭平と久しぶりに向かい合わせで食べながら、ホラー映画を観ながら大笑い。なんだかそれも楽しい母なのであった。

そして……。
ついさきほど、ロングアイランドから戻ってきた拓人。
今日あったことなんかを話し、今週の感謝祭の予定などを確認して、「明日早いし、もう寝るわ」と言って三階に行ったと思いきや、ドドドッとまた下りてきた。
「あかん、仕事の鞄、クイーンズに置いてきてしもた!」
「ほんで?」
「そらもう、帰るっきゃあらしまへん」
「はぁ~?」
慌てて時刻表を調べてみると、数少ない週末の電車なのに、幸運にも最終に間に合うことがわかった。
急いで今日のおかずとご飯をタッパに詰め込み、無理矢理持たせた。
「じゃ、行ってきまぁ~す」

最終電車の時刻は0時10分……どんな時間に行っとんねんっ?!
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遠い道のり

2010年11月21日 | 音楽とわたし
日曜日だというのに、今日しか時間が空いていないアルバートが、ピアノのハンマーの修理をしに来てくれた。
ハンマーはすべて新しいのに替えてもらって、だからそれで問題は片づいたと勘違いしていたのだが、とんでもない、これはほんの始まりなのだった。
ピアノ運送会社のミスで、ハンマーの軸の部分が破損していたのが、今回の修理の始まりだった。
破損部分はもちろん保険でこちらが修理するけれど、ハンマーがもうかなりやられてしまっているので、ついでに直しませんか?という申し出が向こうからあって、600ドルという安い値段だったので、ついお願いしてしまった。
それで戻ってきたのだけれど、なにかおかしい、これではいけない気がする。というのが、見た直後の感想。
そりゃそうだ、ハンマーの頭の部分が、すっきりと一直線に並んでいない。凸凹だけではなく、ハンマーとハンマーの隙間も広かったり狭かったり。

以下はアルバート談。
「こんなお粗末な仕事はなかなか見られないよ。だいたいこのハンマー、どこの会社の製品なのか、その刻印がどこにも無い。こんなのも見たことがない。このハンマーが使い物のなるのかならないのか、それはボクには今の時点ではなんとも言えない」

どんなピアノのハンマーでも、大抵はその刻印が押されていて、その会社によって、ハンマーの質の良し悪しがあって、調整をする時には、その作業がどれだけ面倒なことになるのかが、その会社名によってだいたいの予想がつくのだそうな……。
 
そんなんで、かなり暗い表情だったのだけど、ブログ用の写真を撮らせてと頼むと、少し頬が緩んだアルバート。


長年ピアノを弾いているのだけれど、そしてピアノを作る工程なども、何度も見学したり講習を受けたりしてきたのだけれど、今日のアルバートの説明を聞いて、あらためて、本当に細かい部分の手作りを経て、ピアノという楽器は成り立っていることに気がついた。


小さなネジひとつとっても、その締め具合や角度の微妙な変化で、音の鳴り方がまったく違ってくる。
わたしのピアノのハンマーは、まず真っすぐに上がらないものが何個もあった……。
真っすぐに上がらないので、打つべき3本の弦の2本だけ、あるいは3本をとりあえず打っているけれど、微かに傾いているので、均等に打てていない。
アルバートの説明を聞いていると、途方もなく手間と時間がかかる作業なのだということがわかった。
 
ハンマーの頭を取り外し、角度を少しずつ調整しながら糊付けしていく。そのために軸棒を削ったりもする。


彼の仕事用具の一部。


「結局、本当に良くしたいのなら、一気に全部新しくしちゃうことだね、中身だけ」
「全部って……鍵盤とハンマーと、それから弦も?」
「そう」
「ははは、それができたら悩まないよ」
「ごもっとも」
「で、もし、もしも、万が一そんなことをしたとして、いったいいくらぐらいかかるの?」
「鍵盤だけで多分4000ドル」
「でも、それをやったとして、それが自分の好きな音なのかどうか、その保障は無いんでしょ?」
「う~ん、まうみは音にうるさいからねえ」

そこでアルバートは、急に思い出したと言って、ある女性の話をしてくれた。
彼女は、自分の望んでいる音を出すピアノを探し求めて、文字通り全米を駆け回り、ピアノ店というピアノ店をはしごして、その経過を本に書いたのだそうな。
駆け回っているうちに、望みもどんどんどんどん高いものになっていって、それはもうほとんど見つけるのが不可能だと思われた時、とうとう見つけたのがなんと、ニュージャージーのベートーベン社の店舗だったらしい……なにを隠そう、それがこのピアノのピアノ運搬を引き受けてくれた会社なのだった。
彼女は喜び勇んでそのピアノを買い、自宅に運び入れた。
ところが、家に運ばれたそのピアノは、もはや彼女を喜ばせる音を出してくれなかった。
そこでまたピアノ探しの旅が始まり、とうとうアメリカからヨーロッパの方に遠征したのだそうな。
実はまだ彼女は、本命のピアノと出会っていないらしい。出会ったと思って家に持ち帰ると、なぜか違ったり、すごく近しい音が出て喜んでいても、数日弾くと違ってくるのだそうな。
調律師を何人も替え、莫大なお金を注ぎ込んでも、どうしても出会えない幻のピアノ。

「どうしてそんな話をわたしにするの?似た者同士だから?」
「いや、今日まうみが言ったことがおもしろいと思って」

ひとつだけ、今日の仕事に対するお願いができるなら、この煙に包まれたような音をなんとかして欲しい。

「煙に包まれたっていうのがね、彼女の嫌う音のイメージと同じだったんだよ」なるほど……。

確かに、わたしもピアノの音に対する望みはたくさんある。好きな音というので箇条書きしたとするとかなりの行を要する。
本音を言えば、自分の耳が心地良い音を出してくれるピアノを弾きたい。
まあ、そんなことはピアノ弾きだったら誰でも同じことを思っているに違いない。
けれども、それが叶わないからこそ、日常はなんとか折り合いをつけながら練習して、いいホールのいいピアノを、至福の喜びの中で弾けるのかもしれない。
このカルロス氏のピアノの、一番好きなところは低音の響き。心の奥深くを揺さぶるような、荘厳であたたかな音だ。
アルバートはまた、来週の日曜日に仕事をしに来てくれる。
少しずつ少しずつ、良くなってくれると思うけれど、そのたびに、かなりの費用がかかることになる。

まだまだこれから先も、せっせと蟻のように働かにゃ~!


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まんまるお月さま

2010年11月20日 | 音楽とわたし
今夜はこんなにまんまるお月さま。



生徒の発表会が無事終わった。
あんなに弾けなかった子達が、今週突然スルッと弾けるようになって、なんやったんよ今まで……と妙に気が抜けるような気分を味わいながらも、とりあえず発表会のドタキャンをしなくて済みそうだと思えることを感謝しつつ、今日を迎えた。

昨日、プログラムもだから、最後の最後まで書けないでいたので、最後の生徒のレッスンが終わってすぐに、原稿を書き始めた。
すると、前に考えていた順番が、どうも気に入らなくなってきて、第一部のソロ演奏だけで1時間以上もかかってしまった。
う~ん、こんな調子で、第二部の連弾や挨拶文(これが一番苦手)なんかを書いて、それをプリントアウトして、ほんでもってプレゼントの準備やなんやかんや……いったいいつまでかかるやら……なかなかの情けなさである。
でもまあ、なんとか仕上がり、さあプリントアウトだぁ~という時になって、いきなりのプリンターの故障……泣けた……。
気をとり直して、原因を調べてみた。けれども、どれだけ頑張っても埒があかない。
すぐ横の部屋では、旦那がリクライニングチェアに座ってのんびりとテレビ鑑賞中。ムカムカ度急上昇。
とりあえず、わたしの見たところでは、多分ジェットインクの取り替えが必要なのだと思い、近所にあるオフィスグッズ専門店に出かけることにして身支度していると、
「今頃からどこ行くん?」と旦那が聞いてきた。
「ステイプルズ」むかっ!
「なんで?」
「プリンターが故障したから」むかむかっ!
「なんで今頃から行くん?」
「プログラム仕上げなあかんから」むかむかむかっ!
「なんで今夜なん?」
「プログラムも仕上げてないまま本番の日を迎えたくないから」むかむかむかむかっ!
「そんなん、ボクが明日、仕事終わってからやったるやん」
「へ?」
「明日はまうみの発表会手伝うために、わざわざ患者を早朝に来てもらうようにしたんやから」
「あ、そりゃどうも、あんがと」しゅるしゅるしゅる~……←むかむかが萎んでいっているところ。

ということで今朝、プログラムは旦那のプリンターで無事完成。わたしの書いた挨拶文も、チャチャッと直してくれた。(直すとこ多過ぎるし……)
休憩時間の飲み物とスナック、それからテーブルセット、ピアノの背付き高低椅子、小さい子のための足置き台、連弾の楽譜20曲分を車に積み込み教会に向かった。
たまたま今日は、ハイロのお葬式に参加するべく、拓人が帰っていたので、彼に荷物運びを手伝ってもらった。
会場はブルールームという名の、二階の天井まで吹き抜けになった、80席でいっぱいになるこじんまりとした部屋。
ピアノは古いシュタインウェイ。古いけれど音が豊かで繊細で、試奏させてもらってすぐに気に入り、ここを会場にしようと決めた。

ハイロのお葬式に行けるかなあ……いつも発表会は少し延びて、その後も生徒達と写真を撮ったり、親御さん達とも話したりして、気がつくとオーバータイム。
でも、なんとか間に合いたいなどと、会が始まるまでは考えたりしていたけれど、始まってからはもう、とにかく無事に最後まで弾き終えてくれるよう、生徒ひとりひとりの背中に祈りを捧げていた。

あさこが、わたしの土壇場のお願いにも関わらず、二つ返事でゲスト出演を引き受けてくれて、会の終わりに、ドイツ歌曲から『鱒』と『アヴェ・マリア』を歌ってくれた。
カーネギーに聞きにきてくれた人達は皆、また彼女の素晴らしい歌声を聞く事ができた幸運をとても喜んでいた。
わたしは……『アヴェ・マリア』を歌うあさこの歌声を聞きながら、ハイロのことを思っていた。

ハイロ、多分今日、わたしは間に合わない。ビルも、今まで行けなかった分、本当に行きたかったのだけど、多分彼も間に合わない。ごめんなハイロ。
だからハイロ、わたしは今、ハイロのことを想いながらこの曲を弾いています。
ハイロはもう、天国って名付けられているほどの、気持ちのいい場所に行けたのかなあ。
痛みも苦しみも無い、暖かで、澄み渡っていて、軽やかで、気がつくとニヤニヤしてしまいそうに幸せな気持ちになる所。
あなたの大切な、愛する家族を、どうぞこれからも見守っていてね。
わたし達のことも、たまにで充分だから思い出してね。
もうどこにだって行きたい時に行ける。留まりたいだけ留まれる。自由になったハイロ。この世が短かった分、うんと楽しんでください。

会が終わり、やはり間に合わなかったのでひとまず家に戻ると、お葬式から戻ってきた拓人と恭平、そして懐かしいエヴァンがいた。
エヴァンは拓人と同級生。だからもちろんハイロともよく遊んだ。
「なんでこんなことにならないといけないのか、ボクにはどうしても理解できない。
西洋医学なんて、どんなに最新鋭の機器が揃っていても、どんなに知識が豊富な医者が揃っていても、患者のことを、その病気の名前だけでしか診ない。
どうしてそんな病気にかかったのか、その人の人となりや癖、性格や環境など、その人がその人であるすべての要因もひっくるめて、治療法をいろいろと検討していくべきなのに、やれ手術だ、やれ抗がん剤だと、一番目につく病気の部分しか目に入らない。そんな連中に、ハイロの病気なんて救えるはずなんかなかったんだ」と、エヴァンは怒りながら泣いた。

「23だよまうみ。たったの23だったんだ。ボクと同じ23。これからだったのに」

あさこを駅まで送り、息子達とエヴァンとも別れ、旦那とわたしはふたりでお疲れさん会。
いつも特別な日だけに行く『AOZORA(あおぞら)』で、ワインを乾杯しながらご馳走を食べた。
レストランで、一緒に食事をしていた別の席に座る家族達を見ながら、もうこんなふうにご飯を食べたりできなくなったハイロを思った。

帰りの車の中で、旦那が急に、「ボク、『アヴェ・マリア』の曲を聞くと、なんで泣きたくなってしまうのかなあ」と、とても珍しいことを言った。
旦那はそういう、いわゆるわたしのような泣き虫ではないので、滅多なことでは涙を見せない。
「まあ、わたしの場合、珍しいこともなんともないやろけど、今日は嗚咽を漏らさんように必死で我慢しながら弾いててん。だって……ハイロのこと……」
「あ、ボクも!ずっとハイロのこと思ってた!」

ハイロ、ビルとわたしだけのお葬式、違う教会でひっそりとしましたよ。


今日、好評だった、父からの最後の贈り物のネックレス。


旦那の一番のお気に入りの花。


他にもいろんなお花が。みんな、本当にありがとう!
  


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いのりの日

2010年11月19日 | ひとりごと
Jairo Santiago Herrera, 23


Thursday, November 18, 2010, The Montclair Times

Jairo Santiago Herrera, 23, of Montclair, died on Tuesday, Nov. 16, in Sloan Kettering Memorial Hospital.

A Mass will be held on Saturday, Nov. 20, at 3 p.m., in St. Peter Claver Church, 56 Elmwood Ave., Montclair. Visiting will also be on Saturday,
from 1 to 3 p.m., in the church.

Mr. Herrera was born in Ecuador.

He was a graduate of Montclair High School and was manager at Merit Fine Wines in Montclair.

Mr. Herrera was predeceased by his father, Mauro Santiago Herrera.
He is survived by his wife, Kelly Tummino Herrera; his mother, Gladys Herrera; one brother, Diego Herrera; one sister, Karina Herrera; his aunt,
Cecilia Guerrero; a cousin, Carlos Gudinio; and his mother-in-law, Marie Montalvo.

In lieu of flowers, donations may be made in his name to St. Peter Claver Church, 56 Elmwood Ave, Montclair, NJ 07042.

ハイロのお悔やみの記事を、ついさきほど、旦那が見つけて送ってくれた。
エクアドル生まれの彼は、両親とともにアメリカに移住し、英語を第二母国語とする生徒のための特別英語クラスで、独り困り果てていた拓人を、同じ移民の子として同情し優しくしてくれた。
まだ彼が小さい頃に、彼がかかったのと同じ癌で父親を亡くし、それからは彼が父親代わりになって、母親と弟、妹を支えてきた。
高校を卒業して、モントクレアの町のワイン屋さんに務め、美しい女性と結婚し、やっとこれから、自分自身の人生を謳歌しようという時に、病魔は突然彼を襲った。

お葬式が、明日20日の土曜日の午後3時から、モントクレアのある教会で執り行われる。
わたしの生徒の発表会も、同じ明日の午後から。彼の教会から歩いて行ける距離の別の教会で行われる。
けれども多分、4時には終わっていると思うので、それから駆けつけようと思う。

今回、いろいろあったけれど、とにかくやろうと決めた発表会。
最後のレッスンをしたこの週は、あともう少し頑張るように励ましたり、とりあえずここまでと踏ん切りをつけて、人前で弾く緊張から崩れてしまわないようにおまじないをかけたり、ラストスパートが素晴らしかったことを褒めちぎったり、心の中は祈りの気持ちでいっぱいだった。
明日の本番中は、ハイロのことはひとまず忘れ、生徒達のためにひたすら祈ろう。
彼らの、この日のためにこれまで頑張ってきたことが無駄にならないよう、そしてできれば、楽しかったと思える経験になるよう、祈ろう。
そして終わったら、ハイロの待つ教会にすっ飛んで行って、彼と、彼の家族の安らぎのために祈ろう。


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旦那の願いが叶った日

2010年11月18日 | 家族とわたし
鼻詰まり人生45年。旦那がとうとう、簡易手術を受けた。

最近、無呼吸症候群まで疑い出していた旦那は、耳鼻科に通い始めた。
これまでも、彼は実に、様々な方法を試している。
鍼はもちろんのこと、体操、鼻洗浄などなど。
特に、鼻洗浄には年季が入っていて、前にもどこかの記事で紹介したけれど、急須のような形の容器(ネーティポットというらしいが、旦那の発音はネディパットに聞こえる)に小さじ一杯ほどの塩を混ぜたぬるま湯を入れて、頭を横に傾け、お湯が出てくる先端を鼻の穴に突っ込む方法。
鼻が詰まり過ぎていると、そのお湯が中を流れにくく、もう片方の鼻の穴から、ポタンポタンと、わずかなお湯しか出てこなかったりする。
それでも我慢して続けていると、やがて少しずつ量が増えてきて、ついにはタラタラと流れ出てくるのだけれど、見ている方にはなかなか辛そうで気が引ける。

本当のところは、彼の鼻詰まりの原因のひとつにもなっている、嗜好品絶ちも実行しながら治療を受けるべきなのだけど、
我慢がどんなことよりも嫌い、というより、そういうものがこの世にあるのが信じられないほどの男なので、それは多分、これから先も期待はできそうにない。

旦那のドイツ人の友人が、単純に、カメラを鼻腔中に挿入しながら、先についた小さなハサミのような物で、ポリープを切り取る処置を受けた。
すごくすっきりして気分がいいし、おまけにすごく安かった。などと聞いて、旦那はもうそれを自分もやってもらいたくてたまらなくなった。
耳鼻科の医者に何度も頼んでも、まずはステロイドの治療を試して欲しいと却下されくさっていた。

互いに自説を譲らないまま、しばらく時間が過ぎ、とりあえず旦那が先に折れて、ステロイドで治療することになった。
最初はスプレーだった。
もちろん旦那は毛嫌いしたが、自分にも後ろめたい事情(コーヒーとワインをやめたくない)があるので、とりあえず何回か、言われた通りに試していた。
けれどももちろん頓挫。ステロイドの副作用に異様に反応するばかりか、気分までジェットコースター並みの揺れ具合。
すると今度は、ステロイドの飲み薬を処方された。
それを飲み始めて2日もすると、今度はわたしが困ることになった。
飲んでからしばらくすると、うぅ~イライラする。ボクはキレやすくなるので要注意って……あんた、ジキルとハイドやないねんからさ……。
けれども、旦那の警告は正しかった……あれじゃまるで、歩く瞬間湯沸かし器……けど、ほんまに薬の副作用なんかなあ……とも思う。
きっと、本人もこれではヤバいと思ったんだろう。医者に本気で簡易手術を要求したのだと思う。急に手術日が決まった。

それが今日なのだった。

簡単な手術なので、診療室で行う。
麻酔はスプレーのみ。
カメラ付きのワイヤーを3インチ(8㎝)ほど突っ込み(ぞぉ~)、見つけたポリープをチョッキン。これでおしまい。
今日は右側だけ。数日後で、今度は左側をするらしい。
ただ……ドイツとアメリカでは、やっぱり医療費に違いがあった。ドイツでは8千円ぽっきりだったこの手術、アメリカだと片方の鼻だけで5万円?!おいおい!!
幸いにして、この手術は保険が利くらしいので、コーペイ(co-pay・医療サービスを受けるたびに、ある一定額を自己負担するという保険契約の自己負担額)の50ドルだけで済みそう……って……それですでに両方で100ドルやんプンプン

出てきたポリープは、そりゃもう気色の悪いブツだったらしく、絵に描いたろか?と言うので、ついさっき、グーグルの画像で検索してみた。
画像が出てきた途端、ふたり同時に悲鳴を上げた。背中の下から上へとシャワシャワ~ッと悪寒が走った。こりゃあかん、やめとこ。
ま、ああいう気色の悪い、細長~いもんやった……らしい……。

鼻の奥は、片方ではあるけれど、スカッと爽やかなんだそうな。
わたしも生まれてこのかた、スカッと爽やかな鼻の穴の奥、というものを経験した覚えが無いので、ちょっと羨ましくはあるけれど、やっぱ勇気が出ないかも……。

今夜は寝るのが楽しみな様子。
無呼吸を心配しなくてもいいもんね。
だって、もし片方が詰まっても、もう片方があるもんね。
おめでとう旦那。

 
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帰ってきたウルトラウーマン

2010年11月18日 | ひとりごと
「あんな、あと数日したら、まうみは生理になるで」

なんちゅうけったいな予言すんねん?
わたしはな、自慢やないけど、もうすっかり『上がり』やねん。もうサイコロ振らんでええねん。おしまい。一丁上がり。すっかりさっぱり湯上がり美人やねん。

生理が来なくなって早、えっと、えっと、何ヶ月経ったかいな?覚えてないわ。だいぶ前やってことぐらいしか。
けど、先月はずうっと、なんかわからんけど、透明の澱ものがタラタラタラタラ出てて、それがちょっと気にはなっててん。
せやからって、そんな、薮から棒に、いきなり火山が噴火するって言われても……。

最近よく、旦那に鍼を打ってもらっている。
その時に必ず、わたしの脈(三カ所で見る)や舌の状態を診る。
それから、支障のあるツボを、手のひらや指先の触感で見つける。
そこにも兆候があったし、わたしの感情の流れがかなり異常だったらしい。

毎月、生理前になると、妙にイライラしたり、感情が高ぶりやすかったりして、それが自分でもわかってるのに、「そろそろ生理?」などと、いかにもわかってるみたいに、旦那から指摘されるのが一番頭にくることだった。
生理がとうとう止まる数ヶ月前などは、イライラどころか、なにか悪い癇癪促進薬でも飲まされたかのごとく、不快感が怒濤のごとく押し寄せたりした。
あと、体が本当になにか深刻な病気にかかってしまったのではないかと心配するくらい、体調がゴトンと鈍い音を立てて悪くなった。
首の付け根の背中側が、異様に怠くて、起きている間中、天井から紐を垂らし、頭を丸ごと吊り上げてもらいたいほどだった。
それらのことが、まるで無くなったとは言えない。首などはまだまだ問題が残っている。
けれども、面倒な生理用品の交換も無くなり、貧血になることも無く、それなりに気持ちもかなり安定していて、これこそが、とうとう本物の、熟した女になったということなんだな……などとひとりでニヤニヤして喜んでいた。

ああそれなのにそれなのに……。
たららぁ~ん鼻から牛乳~股から血流~なんでやねぇ~ん


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千の風になった君と

2010年11月17日 | ひとりごと
きっともう君は、風になって、鳥になって、木の葉になって、光になって、雨粒になって、
自由に世界を吹き飛ばし、飛び、舞い降りているのだろうと思います。

昨日、最後のレッスンが終わり、車のドアに手をかけた時、突風が吹いて、大きな木から大きな葉っぱがハラハラと落ちてきました。
その中のひとつが、わたしの目の前の、車の屋根にゆっくりと着いて、それを手に取った時、ハイロ、君の声が聞こえたような気がしました。

昨日からずっと、ずっとずっと、嵐のような日が続いています。
びゅんびゅんと吹き荒れる風は、ようやく紅葉を迎えたところの日本紅葉の葉をも散らし、世界はもう、葉っぱだらけ。
空には分厚い灰色の雲が垂れ込めたと思えば、サァッと明るい陽が差したりと、やんちゃな君のいたずらは止まるところがありません。

せっかくなので、わたしも、家にこもっていないで外に出て、君と一緒に遊ぶことにしました。
といっても、仕事がまたもうすぐ始まるので、少しだけの時間、君のいたずらの証拠写真を撮りに行くだけだけどね。

ここは家から近所の、ある生徒の家に行く途中の小道です。
ついこないだここを走った時、両端に渡り紅葉の大群が赤々と紅葉していて、そのパノラマがあんまりきれいで笑えてくるぐらいでした。
君に見せてあげたかったけれど、もう君はここに来ていて、それを楽しんでから、葉っぱをこんなに散らしちゃったんだよね。


でも、ここまで道に積もると、これもまたきれいだと思える。君もそう思う?それとも、やせ我慢言ってらって思う?
  

そこからもう少し家の方に戻る途中で、こんな素敵なハンギングチェアを見つけたよ。


これはすぐ近くの大銀杏の木。まだこれからだっていうのに、こんなに葉っぱを落としちゃって……。


また天気のいい日にここに来ようと思います。君はいつぐらいまで遊べるの?
 



あれからずっと考えていたのだけれど、
一昨日の月曜日、拓人が突然家に帰ってきて、
その時点では君が家で療養していると思っていて、
一方では、ビルもわたしも、君の家のすぐ近くに居るのにも関わらず、グズグズとお見舞いを引き延ばしていて、
それでいろいろと慌てて調べたら、またマンハッタンの病院に戻っていることがわかって、
とうとう、さすがのわたしも、そして本当はビルも、絶対に行く!と決心して、
ところがビルは、急患が入っていたので、どうしても都合をつけることができなくて、
結局、拓人とわたしだけが、朝の面会時間の開始と同時ぐらいに、君の所に駆けつけることができました。

わたしはなんだか、君がそう仕掛けてくれたと思えて仕方がありません。
それぐらいのことを仕掛けないと、なかなか実行しようとしなかったわたし達を許してね。
そして、君をギリギリのギリギリまで待たせたことも許してね。
ありがとうとさよならを言わせてくれてありがとう。
拓人もわたしも、本当に救われました。

そして拓人の、心からのありがとうが、薄暗い病室の中に響いた時、君のおかあさん、奥さん、そして親戚の方々の心の中に、君が優しく強く、人の痛みがわかる素晴らしい男だったという誇りがまたひとつ、芽生えたことがわかりました。
悲しいけれど嬉しい瞬間でした。

忘れないからね、ハイロ。
君はこれからもずっと、わたし達の心の中で生き続けるよ。




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ハイロへ

2010年11月16日 | 友達とわたし
「ハイロ、僕や、拓人やで。ハイロ、ありがとう。僕がアメリカに来てまだ間がなかった時、学校の教室で独りぼっちやった僕に、一番最初に声かけてきてくれたな。あれはほんまに嬉しかった。僕はほんまに救われた。ハイロ、おまえのおかげや。ありがとう」


昨日の夜7時半頃に、拓人が急に家に帰ってきた。会社からの直行だった。
「どないしたん?」
「ハイロの見舞いに行く」
「それはええけど、今から行くって連絡してあるの?」
「いや、してへん」
「そんなん……今ほんとに難しい状態のときやから、こっちが行きたい時に行くっていうのはあかんのとちゃう」
「そうやな……けど、僕の持ってるのはハイロの携帯の番号だけやねん。かけてもええかな?」
「けど、みんながその番号にかけてるんやろ?」
「うん」
「かけてみたら?他の人が出てくれるかもしれんし」

かけてみた。誰も出なかった。それで電話帳でハイロの実家の番号を調べた。かけてみた。やはり誰も出なかった。イヤな予感がした。
手当り次第に、ハイロの近況を知っていそうな人に電話をかける拓人。
やっと連絡がつき、ハイロはまた、実家から病院に戻っていることがわかった。
やっとわたしも決心がついて、拓人と一緒にマンハッタンの病院にお見舞いに行くことにした。
拓人も、独りで行くのが心もとなかったようで、珍しくわたしが同行することを喜んだ。
拓人の仕事が朝の10時から始まるので、病院の面会時間が始まる朝の9時過ぎに到着するべく、朝早い電車に乗って行った。

ハイロが入院しているのは、全米、いや多分世界中でも、ガンを患った人に最高の医療を提供できることで有名な病院。
けれども、いよいよ死期が迫っている彼にとっては、ただただ、今の状態を少しでも楽にしてもらうための場所に過ぎない。
でも、それでもいいじゃないか。あんなに若い彼が、散々痛い思いをして闘ってきた挙げ句に、苦しみながら最後を迎えるなんてひど過ぎる。
 
彼の病棟までのエレベーターの中で、拓人は「恐いな、恐いな」とつぶやいていた。
いったいどんな言葉をかけたらいいのか、それがどうしても思い浮かんでこない。
たまたま同乗した神父さんに、「こういう時はどんな言葉をかけたらいいのでしょうか?」などと、バカなことを聞きたいぐらいだった。
階に着き、受付でハイロの名前を伝えると、係の女性が悲し気な微笑みを浮かべながら、「見舞ってあげて」と言った。
部屋の前まで行くと、ドアはしっかりと閉ざされていて、ノックをするのに少しばかりの勇気が必要だった。
思い切ってノックをすると、少し長い時間が経ってドアが開き、中から黒人の女性が顔を覗かせた。

「どちらさま?」
「あの……」
「福祉課の方?」
「いえ、ハイロ君の友人と、その母親です」

部屋に入った途端、ハイロの、想像していた以上に痩せこけてしまった顔が目に入った。
酸素マスクの下に、まるで赤ん坊の頃に戻ったような、キュウッと縮まった鼻が見えた。
ハイロの右横に奥さんが、左横におかあさんが座っていて、彼の両手をずっとさすっていた。
リクライニングで少し起き上がっているような状態の彼のお腹は、腹水が溜まっているのか、ぷっくりと膨れていた。
足先まですっかり浮腫んでしまっていて、まるで贈り物がぎっしり詰まったクリスマスのストッキングのような形をしていた。
目が半分開いたままだったが、見えていないようだった。
けれども、拓人が手を握り、「ハイロ」と彼の名前を呼んだ瞬間、彼の唇がプルプルと震えた。何かを言いたそうだった。
拓人が彼にお礼を言い、わたしも彼にお礼を言った。
一番辛かった時に助けてくれた息子の恩人だ。
人の哀しみがわかる子だった。小さい時に父親を、今回彼が襲われたのと同じガンで亡くしていた。

彼のおかあさんと、言葉を無くしたまま抱きしめ合った。
とても強く抱きしめ合った。
こんなふうに、最愛の夫と息子を看取らなくてはならない彼女のことを、わたしはどんなふうに慰めたらいいのかわからなかった。
だからただただ、彼女の肩を抱き、ハイロに聞こえないように静かに泣いた。
若い奥さんは、本当に憔悴し切っているようだった。
ハイロの脇腹に顔を埋めて、彼の温かみを確かめているように見えた。

病室を出た途端、どうしようもなく辛く、悲しく、腹立たしくなって、叫び出しそうだった。
病院はどこも明るく、さっぱりとしていて、温かみに満ちあふれていたけれど、ロビーの椅子に座ってしばらく泣いた。
拓人も泣いた。けれども彼は、わたしの取り乱し方が酷かったので、わたしのことを心配してくれた。

会社にタクシーで戻る彼に、「一緒に途中まで乗って行く?」と誘われたけれど、しばらく気持ちを落ち着かせたかったので、病院の前で別れた。
ひとりになると、哀しみがまたどっと押し寄せてきた。
だから、遠い駅まで歩きながら、街中の景色を撮ることにした。
なにかしていないと、壊れそうな気がした。

Memorial Sloan-Kettering Cancer Center
 

病院の向かえ側にある大学。


立ち止まっては適当に撮った写真。わたしはゆっくりとしか歩けなかったし、泣いていたし、ぼんやりしていたので、道行く人達は怪訝な顔をして通り過ぎて行った。
   

駅に着いた。ハイロはもう、ここには戻って来られない。
 

雨ですっかり落ちてしまった葉。
 


ハイロ、あんたは23才の若さで、愛している人達、これからまだまだ楽しい事が待っていそうだった日々と別れなければならない。
その無念さが少しでも軽くなるよう、わたしは祈る。仕事中も、そして多分眠っている間も、ハイロ、わたしは祈るから。
あんたが残していく、大切な家族のためにも祈るからね。
そんなことしかできないおばちゃんをかんにんしてね。

     *     *     *     *     *     *     *     *     *   

ハイロが、今日のお昼前に亡くなりました。
まるで、拓人が来るのを待っていてくれたかのような、わたし達が部屋を出てから、ほんの数十分後のことだったそうです。
やっと見舞いに来た拓人の声を聞いて、唇をもごもごと動かしたハイロは、「おまえ、来んの遅いねん!」と文句を言いたかったのかもしれません。

家に戻ってからも、旦那と一緒に少し泣いて、無理矢理昼ご飯を食べて、それから仕事に行きました。
車の中でまた少し泣いて、最初の生徒の家で教えていた時、携帯の呼び出しが鳴りました。
ああ、ハイロが死んだんだなあ……と思いました。
恭平からのメッセージで、ハイロがわたし達が病室から出てしばらくして、亡くなったことを知りました。
おいおい泣いて、泣いて泣いて、次の生徒の家に着いた頃には目が思いっきり腫れてしまっていました。
でも、発表会前の最後のレッスンをキャンセルなんてできません。
父が亡くなった時のことを急に思い出しました。
あの時も、生徒の発表会が週末に迫っていて、通夜の晩に父のそばで居てあげることができなくて、必死で堪えながらレッスンをしたのです。
あの時にできたんだから、わたしは今回もできなければならない。そう自分に言い聞かせて、最後まで仕事をしました。
ハイロが最後の最後まで闘った命の時間は終わったけれど、はにかんで笑っている彼の、少し淋しそうな顔は、これからもずっと忘れません。
彼の優しさと強さもいっしょに。
ハイロ、もう頑張らなくていいね。ほんとによく闘ったね。安らかに。 







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鍵盤狂想曲

2010年11月15日 | 音楽とわたし
マサチューセッツで丸三ヶ月もの間、拉致されていた鍵盤が、近所に住む調律師アルバートの家に送り返されたのが今月のはじめ。
運送会社のトラッキングを調べると、予定通り、4日の午後に到着していることが判明した。
けれどもアルバートからは連絡無し。ふむ……。
次の日の金曜日の夜に、やっと電話がかかってきた。
「鍵盤、うちに着いてるよ」
「知ってるよ」
「明日、持って行こうと思うのだけど、いい?」
「もちろん」
「じゃ、明日の午後、多分2時とか3時とか」
「いいよ」

旦那に話すと、「え?まうみは明日、ベビーシャワーに行くのに朝から出て行くんちゃうん?」
ぎょっえぇ~!そうだったそうだった!あかんあかん!

予定を急きょ変更。とにかく夕方の6時ぐらいには戻るから、申し訳ないけれど、その時間に遅らせてもらえないだろうか。
それでもいいよ、とのことだったので、まずはペンシルバニアに行き、パーティの途中で抜け出して、せっせと帰途についた。
途中で少し渋滞があり、わたしのかわりに家で待機してくれている旦那に、30分ほど遅れることを伝えた。
その夜、連絡も無いまま、彼は来なかった……。
そして次の日曜日、急なお客さんがあってバタバタしている最中に、「今から持っていこうと思ってるけど」と突然の電話。
「今はだめ、お客さんがいるし、これから出かけるし」
「じゃ、また違う日に」
それっきり次の週になり、そしてまた、まるで何事も無かったかのように、彼は連絡をしてこなかった。

これまでにもう、こういう感じで待たされ過ぎてきて、こういうことでイライラするのがすっかりバカらしくなっていたので、とりあえず忘れることにした。
まだマサチューセッツに居る、と思っても全然平気だった。
そしてまた1週間が過ぎた。

突然旦那が、仕事先のオフィスから、「アルバートに電話して、鍵盤のこと聞くよ」とチャットで連絡があった。
へ?なんで?別にええよ。と一瞬思ったけれど、聞いてやろうと言ってくれてるのだから、それを断る理由もない。なのでお願いすることにした。
2分も経たないうちに、「連絡がついた。メッセージを残しておいた。あ、今彼から電話がかかってきた。今日の午後1時半に来るらしい」
なんでやねん……。
思わず、萩本欽一風に、「なんでこうなるのっ!」と叫びながら横歩きしてる自分を思い浮かべてしまった。

とにかく、そういうことで、なにやら突然に、鍵盤は戻ってきた。


おかえり鍵盤。長い旅やったな。

掃除機で埃を吸い込んでいるアルバート。


これからまた、今度はこのハンマーの調整をしなければならない。


アルバートいわく、まずはじめに受けた修理(鍵盤とつながっている棒の破損部分の修理とハンマーのフェルト部分の取り替え)の仕事が、まるで素人が不真面目に適当にやったような出来具合で、なので徹底的に直すにはまず、その部分の再修理から取りかからなければならない、とのこと。
今日はできるだけのことをするけれど、ハンマーの修理はまた別の日を設けてすることになると思う。
ということで、わたしが途中、仕事で出かけ、また夜に戻ってきてもまだ、アルバートの仕事は終わっていなかった。

まだ調整の途中なので、弾いてみたところで、響きがまだまだ整っていない鍵盤がところどころ残っていて、満足なんてできやしない。
今度は日曜の朝。
前日の土曜日は生徒の発表会なので、わたしは多分、ヘトヘトな状態だろうけど、別にわたしが疲れていようが元気でいようが、そんなことは全然関係無い。
その日曜を逃すと、今度は感謝祭の翌週になる、と言われたので、せめて今月中に区切りをつけてしまいたい、と思うわたしなのであった。

鍵盤狂想曲、終結を迎えるのはいったいいつのことになるのやら……。
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