わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

国宝の焼き物 (茶碗3)

2010-09-28 21:43:10 | 国宝の焼き物
国宝の茶碗の話を、続けます。

4) 油滴天目茶碗

  ① 油滴天目 (ゆてきてんもく)

   「油滴」の名のとおり、内外の黒い釉面に、油の滴の様に金色、銀白の結晶や、紺に輝く斑文が、

   内外一面に、びっしりと現れています。

   銀色の油滴はまた、星のようなので、「星天目」とも、呼ばれています。

   尚、中国では、「滴珠(てきしゅ)」と、呼ばれています。

 ② 中国南宋時代(12~13世紀)の、建窯だけではなく、華北の諸窯でも、作っています。

   華北の油滴は、建盞と口造りも違うし、素地も白土に、黄土を下塗りして、高台には、褐色の泥が

   塗ってあります。出来栄えは、建盞の油滴の方が、優れています。

   華北の窯では、今日でも、油滴が作られている様です。

   但し、南宋時代の、同種の天目茶碗は、世界に7、8点しか存在していない、貴重な茶碗です。

  ③ 国宝の油滴天目茶碗

   ) 高7.5cm、口径12.2cm、高台径4.2cm。

      口縁の部分には、純金の覆輪が、施されています。(口縁の釉が薄い為、「ざらつき」が有り、

      喫茶の際、口当たりが悪い為、覆輪がして有ります。) 

      中国南宋時代 (12~13世紀) 建窯 

      窯址は、福建省建陽県水吉鎮で、確認されています。

      大阪市立、東洋陶磁美術館、収蔵

   ) 添え書きより、もと関白秀次が所持、のち西本願寺を経て、京都六角の三井家に伝わり、

      その後さらに、 若州酒井家の蔵となり、安宅コレクションに入り、今日の所有者に及んで

      います。 わが国伝来の、油滴の中では、最上と称される物で、銀色に輝く内に

      かすかに、青みを帯びています。

  ④ 油滴天目のメカニズム
   
   ) この斑文は、釉が溶けた時に、煮え出た無数の泡が、表面に浮かんで、破れた後に、酸化

      第二鉄の粒子が、結晶として残り、油滴状に成ります。

      それ故、人為的に、特定の位置に、油滴を作る事は、出来ません。

      釉の流れに従って、斑文は、口縁部で小さく、胴中央で大きく、裾部で細長く、現れています。

   ) 黒色を出すのに、「マンガン」と「鉄」と「コバルト」を混ぜます。

     マンガンや鉄の分解温度付近で、温度を維持し、分解を起させて、表面に気泡を、浮き上がら

     せます。この後に、少し温度を上げて.表面の起伏をならして、火を落とします。

      (上げ過ぎに注意.油滴が消えてしいます。)

   ) 粘度の調節の関係で、石灰釉に、弱冠「マグネシウム成分」が必要です。

      ナトリウム長石よりも、カリ長石のほうが、溶融範囲が広いので、使い勝手が容易な様です。

   ) 天目は、極端な還元焼成では、Fe O が生成し、流れてしまいますし、酸化では茶色に

      なってしまいます。弱い還元と、若干の水(蒸気)が、必要との事です。

  ⑤  油滴の写し

   ) 油滴は既に、幾人かが、写しを作っています。

      京都の、故宇野仁松翁は、その名手で、多治見(岐阜)の、加藤幸兵衛、卓男父子や、

      京都の福田力三郎、清水卯一、木村盛和氏なども、優れた作品を作っています。

   ) 天目茶碗誕生の地、福建省建窯でも、天目を復元した、陶匠、孫建興師がいます。

      黒褐色の素地、漆黒の天目釉、器形、作風に建盞の特徴が、よく現れています。

 以下次回に続きます。

 国宝油滴天目茶碗
コメント
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