わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

国宝の焼き物 4 (土偶1)

2010-09-20 21:56:31 | 国宝の焼き物
現在、国宝に指定されている、土偶は、以下の3点です。

 1) 縄文のビーナス

    長野県、棚畑遺跡出土

    縄文時代中期 (紀元前3000~前2000年)

    長野県、茅野市教育委員会蔵

 2) 合掌土偶 (がっしょう、どぐう)

    青森県、八戸市風張1遺跡出土

    縄文時代後期 (紀元前2000~前1000年)

    青森県、八戸市蔵

 3) 中空土偶 (ちゅうくう、どぐう)

    北海道、函館市著保内野(ちょぼないの)遺跡出土

    縄文時代後期 (紀元前2000~前1000年)

    北海道、函館市教育委員会蔵  


 4) 土偶(どぐう)とは、人間を模して、或いは、精霊を表現して、作られたと、考えられる、土製品で、

   焼成された物です。日本では、縄文時代に、沖縄県を除く各地で、製作されています。

   古墳時代に、製作された埴輪とは、区別されます。

  ① 縄文式土器と同様、土偶も出土地域や、時期によって様々な、様式の物が、作られています。

    日本最古の土偶は、三重県で出土した、縄文草創期の物で、早期には近畿、関東東部に

    広がっています。縄文中期末には、東北地方を除いて、ほとんど、作られ無くなりますが、

    後期には、東日本を中心に、復興します。

    九州では、熊本を中心に、後期の物が出土していまが、 出土分布は、東日本に偏っており、

    西日本での、出土は稀です。

    弥生時代に成ると、はほとんど、作られ無くなります。

  ② 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の、調査によれば、日本全国の出土総数は、およそ

    1万5千体だそうです。

   ) 千葉県佐倉市の、吉見台遺跡からは、600個以上の、土偶が出土しています。

     尚、縄文時代に作られた、土偶総数は、約3千万個とする説もあります。

  ③ 出土している土偶は、大半が、何らかの形で、破損しており、故意に壊したと思われる、

    物も多いです。

   ) 特に、脚部の一方のみを、故意に壊した例が多く、祭祀などの際に破壊し、災厄などを

      祓う事を、目的に製造された、と言う説も有ります。

   ) 大半の土偶は、頭部・胴部・手足などは、抽象的に、表現されていますが、特に女性の

      生殖機能や、乳房、妊娠した腹部、陰部、臀部など、特定の部分だけは、具体的に、表現され、

      強調した物が多いです。

   ) 殆どの土偶は、女性型ですが、男性性器が表現されている物や、体型の異なる2体の土偶が

      同時に出土し、片方が男性と、考えられる物等、男性型の土偶も、数点出土しています。

  前置きが、長くなりましたが、国宝の土偶について、述べます。

以下次回に続きます。

  土偶
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝の焼き物 3(王冠型土器)

2010-09-19 21:55:45 | 国宝の焼き物
前回に引き続き、縄文土器の、国宝について、お話します。 

火焔土器様式は、縄文中期の中頃には、ほぼ新潟県全域に広がり、信濃川流域で最も、発達しました。

新潟県域はまさに「火焔土器の国」であり、特に津南町から、長岡市にかけての、信濃川中流域で数多く

発見されています。

 当時は、野焼きによる、焼成方法ですので、高温には成らず、600~800℃程度の、今で言う

素焼程度の、焼き締まりで、強度的には、「脆い」感じに、成っています。

  b) 王冠形土器

     高さ 26.2cm 、最大径27.4cm 。 高さ 27.2cm、 最大径28.6cm 。

  火焔土器様式は、その把手部分の形状から、短冊形の、突起を持つ、王冠型土器が、あります。

  火焔型土器と、王冠型土器は、多くの場合、対(ペア)で出土します。

  この事から、この二つの形状は、対立する思想として、形作られた物と、推測されます。

  ) 特徴

    王冠型は、基本的な文様は、火焔型と共通しますが、大型の突起は、単純な山形で、鋸歯状の

    連続突起はありません。

    また、「スス」や、おこげの痕が、残ることから、煮炊きに使われた事が、判ります。

    多分、村の祭りなどの、儀式の場で、調理の道具として、使っていたと考えられます。
  
  c) 火焔型土器の補足説明

   ) 元々は、「火焔土器」は、新潟県長岡市関原町の、近藤篤三郎氏が、馬高遺跡で最初に発見

     した土器に、名付けた物で、その後に発見された、類似の土器を、一般に「火焔型土器」と

     言います。

   ) 国宝に指定されている、火焔型(王冠型)土器は、十日町市の出土品、のみですが、新潟県

     長岡市、出土の火焔型土器も、国の重要文化財に指定されています。

   ) 深鉢 火焔型土器  時期: 縄文時代中期 ( 約4500年前 )

      出土地: 馬高遺跡 ( うまたか いせき )

      所在地: 新潟県長岡市関原町
    
      大きさ: 高さ 32.5cm

       指定: 国指定重要文化財 ( 考古資料、平成14年指定 )

       所蔵: 長岡市立科学博物館


   ) 深鉢 王冠型土器  時期: 縄文時代中期 ( 約4500年前 )

      出土地: 岩野原遺跡 ( いわのはら いせき )

      所在地: 新潟県長岡市深沢町

      大きさ: 高さ、30cm

       所蔵:  長岡市立科学博物館

次回は、土偶について、お話します。

 国宝王冠型土器
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝の焼き物 2 (火焔型土器)

2010-09-18 21:34:05 | 国宝の焼き物
引き続き、国宝の焼き物について、話を進めます。

 ① 縄文土器 深鉢形土器 (火焔型土器、王冠型土器)

   平成11年6月7日、火焔型、王冠型土器など、深鉢形57点を始めとする、新潟県、十日町市笹山

   遺跡出土品(付属品を含め928点)が、国宝に指定されました。縄文土器では最初の国宝です。

   (既に、平成4年(1992年)、国重要文化財に、指定されていた物です。)
  
 ) 縄文の大集落

   笹山遺跡は、信濃川右岸の、河岸段丘上に位置し、近くには、多くの縄文時代の遺跡が、存在て

   いました。

   遺跡は、十日町市教育委員会により、1980年(昭和55)~1985年(昭和60)の間に、7次に渡たり、

   発掘調査が行われました。 調査の結果、縄文時代中期、後期、中世の集落跡が発見されます。

   集落は、馬蹄形(100m×100m)の、大集落の可能性が高いもので、この地が採集、漁労、狩猟

   などに適し、定住生活を、営まれていたことを物語っています。

 ) 遺跡からは、多くの、出土品が、発掘されますが、中でも、火焔土器と、王冠土器が、眼を引きます。

    14点が、火焔型土器で、6点が王冠型土器です。

  a) 火焔型土器
  
   火焔型土器は、立体的な装飾にとみ、優れた造形美を、有する土器です。 

   大きく立ち上がる、四つの突起(鶏頭冠)が、燃え盛る炎の様に、見える事から「火焔型土器」と

   呼ばれています。

   火焔型土器の、用途は不明ですが、その特異な形状から、祭りなどに用られたと、考えられます。

   火焔型土器でも、種類が色々あり、No.1 と命名されている土器が、代表的な、火焔型土器です。

   ・ No.1 火焔土器 縄文中期 (BC 2000~3000年)

      高さ 46.5cm 、最大径43.8cm

   イ) 特徴

    火焔型は「鶏冠状把手」と、4単位の大きな突起を持ち、突起や口縁には、鋸歯状の連続した

    小突起が、規則的に、付いています。

    上から見ると、真横から見るのと較べ、意外にシンプルな、形をしています。

    四つの把手(鶏頭冠という)と、鋸歯状のぎざぎざが、規則正しく並んでいるのが、判ります。

    この把手は、機能的には、ほとんど役に立たず、装飾を重視した、形に成っています。

    尚、鶏は縄文時代にはいませんでした。それ故、鶏の鶏冠をイメージした物では、無いはずです。

  その他の 火焔型土器

     高さ 34.5cm 最大径33.6cm 。  高さ 57.9cm 最大径53.3cm 。

   b) 王冠型土器

以下次回に続来ます。

 火焔土器
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝の焼き物 1

2010-09-17 22:30:01 | 国宝の焼き物
国宝や、重要文化財は、昭和25年に公布された、文化財保護法により、指定された物です。

1) 国宝に指定されている、美術工芸品は862件と、建造物の214件の、計1076件です。

   国宝に指定された、美術工芸品の内訳は、絵画が157件、彫刻が126件、工芸252件、

   書籍、典籍が223件、古文書59件、考古資料が43件、歴史資料2件です。

    (平成21年現在の、件数です)

2) 重要美術品は、昭和8年に制定された、「重要美術品等の保存に関する法律」により、

   指定された物です。この法律は、昭和25年に廃止されますが、当分の間、有効とされています。

   この旧法に指定された物件は、全て重要文化財とされ、この中から、新たに国宝が選定されました。

3) 重要文化財に、指定されている、工芸品2361件の、国産品の焼き物は、111件です。

  内訳は、古陶磁は32件、志野が6件、織部4件、伊賀6件、長次郎(楽焼)5件、本阿弥光悦 4件、

  野々村仁清21件、尾形乾山7件、その他7件です。

  尚、磁器であは、古伊万里6件、柿右衛門3件、鍋島5件、古九谷5件です。

4) 海外からもたらされた、重要文化財の焼き物は、97件で、内訳は、中国陶磁が82件、唐三彩4件

   青磁24件、白磁と染付け20件、赤絵磁器などは12件、天目14件、その他8件です・

   尚、朝鮮陶磁は15件、高麗青磁が3件、井戸茶碗などが12件です。

5) 国宝の焼き物は、下記の作品群です。

     名 称            時 代       所 有 者

 ① 縄文土器  深鉢形土器 57個  縄文時代     新潟県十日町市

 ② 土偶    縄文のビーナス    縄文時代      長野県茅野市

   土偶    合掌土偶        縄文時代       青森県八戸市

   土偶    中空土偶       縄文時代後期    北海道函館教育委員会

 ③ 埴輪    挂甲の武人       古墳時代      東京国立博物館

 ④ 飛青磁   花生          元時代        大阪市立東洋陶磁美術館

 ⑥ 青磁    下蕪花生        南宋時代      アルカンシェール美術財団

 ⑦ 青磁   鳳凰耳花生 銘萬声  南宋時代      久保惣記念美術館

 ⑧ 曜変天目  茶碗  3個     南宋時代       静嘉堂文庫、藤田美術館、大徳寺

 ⑨ 油滴天目  茶碗          南宋時代      大阪市立東洋陶磁美術館

 ⑩ 玻玳天目  茶碗          南宋時代      相国寺承天閣美術館(旧萬野美術館)

 ⑪ 井戸茶碗  銘喜左衛門      李朝時代      大徳寺

 ⑫ 秋草文壷  渥美窯        平安時代       慶応義塾大学

 ⑬ 志野    茶碗  銘卯花墻    桃山時代       三井文庫別館

 ⑭ 楽焼  白片身変茶碗 銘不二山  江戸時代  光悦   サンリツ服部美術館蔵

 ⑮ 色絵  雉香炉           江戸時代  仁清   石川県立美術館

 ⑯ 色絵  藤花文茶壷        江戸時代  仁清   M O A 美術館

上記、個別の作品については、順次述べる予定です。

国宝の焼き物
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贋作事件 3

2010-09-16 22:57:57 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
焼き物の贋作事件の、話を続けます。

3) 北大路魯山人贋作事件

 昭和39(1964)年3月、東京日本橋の白木屋(デパート)で「魯山人陶器書画遺作即売展」が

 開催されました。(魯山人没後、4年目の事です。)
 
 陶器460余点、書画40余点が出品されて、開催当初から、大変な盛況で、108点が売れたそうです。

 しかし、その後、それらの作品は、贋作ではないかという声が、美術関係者から、高まります。

 驚いた白木屋は、専門家3人による、鑑定会を開いて、真贋を明らかにして、贋作は買い戻すと公表し、

 異例の措置に出ます。

 5月12日、報道関係者らが、取り囲む中、開かれた鑑定会で、書画は90パーセント、陶器は20~

 30%が 贋作であると断定されます。

 白木屋が、「信用に関る大問題」として、異例の作品の買い戻しを行い、販売展の責任をとりました。

  (当時で、395万円の売り上げで、現在の価値で換算すると、だいたい4,000万円位

   との事です。)

 尚、余談ですが、「即売展」の話を持ってきたのは、佐野乾山事件に、真作派として、深く関係した、

 古美術品鑑定家の、秦秀雄氏と、古美術商・米田政勝氏だそうです。

4) 古代ペルシャ秘宝展事件

 昭和57(1982)年、東京日本橋の三越で「古代ペルシャ秘宝展」が開かれ、47点が出品されます。

 しかし開幕直後から、研究者や古美術商により、「ほとんどが贋作である」という非難の声が上がります。

 展覧会の、実質上の主催者である、国際美術社長は、7点については、米国の鑑定機関

 「アメリカン・アカデミー」の鑑定証があり、他のものについても、本物であると主張します。

 それに対し、研究者や古美術商から、図像的な誤りをはじめ、個々の作品に対して、具体的な疑問点が

 提示されます。そして入手ルートが、解明されていく中で、イラン人古美術商と、日本の古美術商が

 捜査線上に上り、6点については、古美術商の依頼により、日本の工房で、作られた事も判明します。

 展示品47点の大半が、偽物だったと判ります。中には、2億円の売値が、付いた品も有った様です。

 三越は、デパート業界の老舗だけに、大きな問題となり、岡田茂社長の解任に発展しました。

5) 高麗青磁詐称事件

  谷俊成と言う、陶芸家が、オーストリアのウイーンの、王宮博物館で、2000年に、個展を開きます。

  外務省や、京都市も、この催しを、後援していました。

  彼は、高麗青磁の再現者として、紹介されますが、実際は単なる、陶磁器の輸入業者で、

  韓国で作らせた 青磁を、展示したに過ぎませんでした。 

6) 岸和田事件

  平成4年10月に開催された、大阪府、岸和田市制施行70周年記念、「東洋の官窯陶磁器展」に

  関して起こった贋作事件です。

  この展示会は、紀州徳川家由来の、中国や李朝の陶磁器の中で、今まで世に知られていないかった、

  世界的名品を、展示したもので、それにまつわる贋作騒動です。

  この事件は、清朝の秘宝に関わる事件で、大正末期、奉天城にあった、清朝の秘宝である、古陶磁が

  軍閥張作霖によって略奪され、現在の価値で、750億円の軍資金と引き換えに、紀州徳川家に渡った

  事に成っています。

  現在、紀州文化振興会が、所管する、それらの陶磁器は、陶磁図鑑として公開されています。

  しかし、これらの所管品は陶磁界からは、黙殺されています。

 ・ 真作派、贋作派(主に、新聞社)に分かれて、論争を繰り返しましたが、白黒はっきりする事無く、

   幕引きに成った様です。

 ・ 勿論、科学的鑑定も行われ、真作と断定されましたが、これを信じる陶芸界の、人は少ない様です。

7) 最後に科学鑑定について、お話します。

 ① 物質中の、各元素を定量的に、分析する方法は、昔は、化学的方法を取りましたが、現在では、

   「蛍光 X 線分析」、「原子吸光分析」、「質量分析」、「放射化分析」など多く有ります。

 ② 天然の陶磁器の原料には、産地毎に、元素比率が、微妙に変化しています。

   この事を使い、その作品が、何処で作られかも、判別できる様になりました。

   又、真作の釉と、対比する事により、贋作を見破る事も、可能に成りました。

 ③ しかし、科学的鑑定が、そのまま、受け入れられる訳では、有りません。

   分析を依頼する人又は、団体、分析をする人、分析方法、分析すべき物、分析対比物、そして

   結果の発表方法など、疑惑を挟む余地が、無い場合のみ、科学的鑑定は、有効に成ります。

   鑑定の最終判断は、人が行う事に、成るからです。

美術品や、工芸品には、常に真贋の問題が、付いてきます。第三者として、傍観するには、なんら問題に

なりませんが、金銭が絡む様な事には、十分注意する必要が有ります。

以上にて、陶磁器の真贋の話を、終わります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贋作事件 2 (佐野乾山)

2010-09-15 22:09:31 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
美術品の真贋に関して、科学分析の重要性は、大事ですが、陶磁器(骨董)の世界では、最終的に

「真贋」を決めるのは、業界の有力な団体です。

 その団体が「真」と見なさなければ、業界では通用しない様です。

2) 佐野乾山事件

   第2の「永仁の壺」事件か、といわれたのが、「佐野乾山」です。

 ① 発端: 江戸時代の陶芸家、尾形乾山が、栃木県佐野市に、一年三ヶ月滞在した事実から、

   乾山の作品(真作)が、数点存在する事は、以前から知られていました。

   昭和35(1960)年頃から、佐野乾山なるものが、多数出回り始めます。

   昭和37(1962)年1月、朝日新聞に、来日中のバーナード・リーチ(英国人)が、訪れた森川勇宅で、

   80点余りの、佐野乾山を鑑賞し、「本物」であり、素晴らしいと、絶賛した事が、報じられます。

   森川氏は、当時市場に、出回っていた作品、200余点の佐野乾山を蒐集しており、

   その存在が、明るみに出ます。

 ② 佐野乾山の、真贋論争が繰り広げられる。

   これが本物とすれば、重要文化財級の、大変貴重な発見と、成ります。

   新聞、雑誌や、テレビの公開討論も行われました。佐野乾山と同時に、発見された、乾山の覚書

   「佐野手控帖」の真贋も、議論の的となります。

   (手控帖は今で言う、手帳の事で、40種類以上が、発見されているそうです。)

  ・ 陶磁研究者や、美術史家達が、おおむね真作派、古美術商、陶芸家が、贋作派となって、

    対立しました。

 ③ 真贋に関りなく、これらの作品の、美学的評価についての、意見も、述べれる様に、成ります。

  )小林秀雄氏は、「偽物には、偽物の臭いがする物だが、これらには、そんな臭いは感じられない。

    魅力のある皿だ」と語ったと、伝えられています。

  )画家の、岡本太郎氏は、展覧会と見て、真贋の判定などどうでもいい、「例え、偽物だって、

    これだけ豊かな「ファンタジー」の、盛上がりがあれば、本物より更に本物だ」と記しています。

   以上のように、これらの作品は、見事な出来栄えと、言えるものです。

 ④ その出所は、一向に明らかにされず、内容的にも、乾山の時代の物としては、おかしい点が多く

   認められて、否定論が、次第に強くなっていきます。

   蒐集家の森川氏の依頼で、「蛍光 x 線分析器」で、分析しましたが、その結果は、

   森川氏の願いで、マスコミには、公表されませんでした。

   昭和38(1963)年になると、次第に論争が、下火になり、僅かに翌年のバーナード・リーチによる

   「佐野乾山」の本物を、主張する投稿と、昭和49(1974)年の、芸術新潮に載せられた、関係者に

   対し奮起を促した記事が、みられる程度で、論争は風化し、解決をみないまま現在に至っています。

    決着は今だついていませんが、おおむね「黒に近いグレー」と、言うところの様です。

 ⑤ 現在でも、3000点以上の、乾山の偽物が、骨董市場に、出回っているそうです。

   巧みに作られた、佐野乾山は、プロの鑑定家でも、真偽は非常に難しいとの事です。

   偽作の物に関して、その犯人は、ほとんど判っていません。

以下次回に続きます。

 佐野乾山事件   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真贋事件 1 (永仁の壷)

2010-09-14 22:11:13 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
引き続き、焼き物の真贋について、お話します。

贋作で、大きな社会問題に成った事件が、過去に何度かあります。

特に、「永仁の壷」事件と、「佐野乾山」事件です。

両方とも、昭和30年代後半に起こった事件で、陶磁器関係者は勿論、各大手新聞社を巻き込み、

大論争を、繰り広げた事件でも、有ります。

・ 「永仁の壷」事件は、それなりの決着がついていますが、「佐野乾山」事件は、その真贋が、大よそ

   の決着を見ましたが、今だ納得しない方も多く、完全に贋物とは、成っておりません。

以下その二つの事件の、概要をお話します。

(尚、この問題の記事は、多数インターネットで、取上げられていますので、より詳細を知りたい方は、

 そちらも、参考にして下さい。)

1) 「永仁の壷」事件

 ① 昭和34年(1959年)に、文化財保護委員会に、文部省の技官である、小山富士夫氏から、

  永仁2年(1294年)の記年銘の入った、鎌倉時代の、古瀬戸の壷が、重要文化財に推挙されます。

  (正式名は、瀬戸飴釉永仁銘瓶子と言います。)

  推薦を受けた、文化財保護委員会は、これを認め、重要文化財に指定します。

  委員会のメンバーは、当然、陶磁器の専門家であり、しっかり鑑定が出来る方々です。

 ②  この壷は、加藤唐九郎が、昭和12年に、いわゆる、「写し」として、古い作品を模倣して

    作られた物との事です。(3個作たそうです)

    勿論、贋作を作ろうと、意図的に製作したもでない様です。

    戦後、この壷は骨董として世に出て来ます。

    唐九郎は、自ら編集した「陶器辞典」のグラビアに、この壺を「永仁年間の壺」として紹介します。

    これは明らかな、意図的な、詐欺行為となります。

 ③ この壺が、重要文化財に指定された時、技官の小山富士夫は、社団法人陶磁協会の理事にあり、

   唐九郎も理事で、専務理事の佐藤進三は、「永仁の壺」の売買に関係した様です。

   広田理事は美術商で、骨董店「壺中壺」の店主など、錚々たる美術商達が、理事に成っています。

   それ故、「永仁の壺」事件は、唐九郎の一人芝居と言うより、陶磁協会を舞台に、利害関係者に

   より、「仕組まれた」という見方もあります。

 ④ 翌昭和35年、各方面から、記銘の記し方が違う、釉の感じが違う、作りが粗雑であるなど、

  疑惑が指摘される様に成ります。

  昭和36年の文化財保護委員会に於いて、科学的決着を、図る事になり、東京国立文化財研究所の

  江本義理技官による、蛍光 X 線分析装置で、鎌倉時代から、確実に伝来している古瀬戸と、

  比較分析しました。

  結果は、釉薬に含まれる、「ルビジュウム」と「ストロンチウム」の比率が大幅に違い、

  鎌倉時代の物ではないと、結論ずけられます。

  同時に、唐九郎も、この壷は、自分が作った事を認め、同じ年に、重要文化財指定取消と成ります。

 ⑤ 唐九郎は、パリに逃亡しますが、帰国後、全ての、公的職務を辞退します。

   (日本陶磁器協会理事、日本工芸会理事、日本伝統工芸展、朝日陶芸展審査委員など)

 ⑥ 唐九郎も小山も、一時失脚しますが、陶磁界で非常に早く、復権しています。

   唐九郎は、作陶に専念し、以後も優れた作品を、多く発表しています。むしろこの事件で、名声を

   高めたとも、いえます。

   小山も、中国陶器の、研究と著作と、作陶に励んでいます。

以下次回に続きます。

「永仁の壷」事件
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焼き物の真贋 1

2010-09-13 21:12:05 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
「一流の焼き物」には、常に本物と偽物(贋作)の問題が、存在します。

贋作の問題は、個人的問題として、片付けられる事(個人的に損失をこうむる事)が多いですが、

場合に拠っては、社会問題になる事も、有ります。

1) 本物、本物の偽物、偽物の本物、嘘、偽

 ① 嘘(うそ)は、口でつく嘘で、直ぐに「バレ」易い行為です。口に虚(きょ)と書きます。

 ② 偽(いつわり)は、容易には、「バレ」難い行為です。しかし何時かは、「バレ」ます。

 ③ 「本物」は、当然、本人が作った物(真作)で、作品そのものが、素晴らしい物、更に、独創性を

   有している物です。

    (勿論、独創性の無い物で、商品価値の無い、本物は有りますが、ここでは、除外して考えます。)

 ④ 「本物の偽物」は、本人が余分に作った作品(スペアー品)で、出来が悪い等の理由で、表に

    出なかった作品です。それが、後日、なんらかの理由で、表に出てきた作品です。

 ⑤ 「偽物の本物」は、本物を型に取り、その型を元に、作った作品です。

    勿論、作者本人が、型を作った物であれば、それは本物に成りますが、後世に他の人が、型を作り

    本物と同じ物を、作るのは、偽物と成ります。この様な作品を、「偽物の本物」と言うそうです。

 ⑥ 「本当の偽物」は、他人が、本物に似せて作った物や、偽の銘(サイン)のある作品です。

 ⑦  作品の中には、実際には、手を出さずに、指導のみで、作らせた物も多いです。

    又、磁器の様に、分業によって製作された、作品も有ります。

    これらに、個人の銘を入れた場合、これを贋作とは、言いません。

2) 贋作(がんさく)とは

   本物を模倣した作品が、利益を目的に、市場に流通する様に成ると、その作品は、贋作と成ります。

   たとえ、それを作った人が、贋作と認識しなくても、市場に流通するならば、贋作と成ります。

   一般に、贋作とは呼ば無い、作品が有ります。

  ① レプリカ: 本物のレプリカは、しっかりした存在価値が、有ります。

    即ち、国宝級の美術品や、貴重な資料などは、常に展示する事は出来ません。

    そこで、本物そっくりな物を作り、博物館や美術館などに、展示する事に成ります。

    又、絵画などの写真、印刷、コピー、模造品などを、販売する事は、普通に行われています。

    これらは、はっきり言えば、偽物ですが、本物では無い事を、承知で見たり、買ったりしています。

   ② 修復、復元: 美術品や工芸品は、時代と共に、劣化し壊れてきます。

     又、土器などは、完全な形で、発掘される事は、稀です。

     この様な場合、修復や、復元をする事も、普通に行われています。

     後から、他人の手が入ったからと言って、その物が、厳密には、本物で無い事は確かですが、

     これを贋作とは言いません。

   ③ 人造品、合成品、模造品: 天然の物ではない、人造や合成品は、場合に拠っては、天然品

     以上の、良いところを、持っている場合も、多いです。これらを、偽物とは呼びません。

    ) 例えば、釉に使用する、各種の灰も、合成品の方が、成分が安定しています。

    ) 研磨や研削に使う、「ダイヤモンドやすり」等も、超高圧装置で作った、人造ダイヤが、

       使われています。

3) 一流の美術品には、本物の10倍以上の、贋作があるといわれています。

   例えば、北大路魯山人は、数万点の作品を作ったと、言われていますので、その偽物は数十万点も

   ある勘定に成ります。

   逆に、贋作の少ない作家は、一流ではないと、言われる程です。

以下次回に続きます。

焼き物の真贋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽焼 6 (その他)

2010-09-11 21:42:32 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
楽焼は、施釉された状態の、作品が用意できれば、一度に数個ずつ、何回かに分けて、連続的に、焼成

出来る方法です。

1) 黒楽は前回まで、引き出した後、水に没して急冷すると、お話をしましたが、今では、この方法に

   よらず、釉の調合で、光沢のある、黒い楽を焼く事が、出来ます。

   即ち、釉に珪酸分を多くします。このままですと、光沢の無い黒い色に成ります。

   そこで珪石を増やし、釉を強く(高い温度で熔ける)し、光沢のある釉とします。

2) 前回までに、焼成の雰囲気は、酸化の方が良いと、述べましたが、人によっては、還元の方が良いと、

   言う方もいます。即ち、冴えた色の黒は、酸化鉄第一鉄(Fe2O3、赤錆、弁柄など)が還元され、

   黒色の酸化第二鉄(Fe3O4)に成るからと、言われています。

   釉に酸化鉄を、5~10%程度調合し、還元ならば、黒く、酸化ならば。暗黄赤色から、褐色に

   発色します。

3) この還元作用が、起きるのが、1050℃位との事ですので、これ以上の温度で、焼成すると良い

   結果が出る様です。初代長次郎、二代常慶の黒楽は、光沢が少ない様です。これは温度不足の為と

   思われています。三代道入(のんこう)の時代に成って、「ふいご」を使い、強制的に、風を送り

   込み、火度を上げ、更に水に没して、急冷した為に、光沢が出たとの事です。

   現在では、電気窯で焼成する事は、珍しくはありません。但し、還元の掛けられる、タイプが望ましい

   です。

4) 引き出しのタイミングの、補足説明

   釉が十分熔けたら、鋏で引き出しますが、説明不足の所もありますので、再度説明します。

  ① 窯の炎などが、赤色からやや黄色味を、帯びてきた事が、肉眼で判断出来れば、温度が上昇し、

    引き出しの頃合と、成ります。

  ② 釉が熔け始めると、先ず表面に、「ふくれ」が表れます。やがて「ふくれ」も収まり、落ち着いて

    きます。完全に溶けると、表面は、ガラス化し、炎や熱源(電気の場合)の光が、反射して、

    釉が輝いてきます。 この頃を見計らい、作品を引き出します。

5) 釉は、熔け過ぎも、熔け不足も、余り良く有りません。釉中の鉄分が分解し、ガスが出て、穴が、

   表面に少量ある状態を、「柚子肌」と呼び、珍重されます。

   又、急冷する事により、必ずと言って良いほど、貫入(釉のひび)が入ります。

    これは、素地と釉の膨張係数に、大きな差が、ある為です。

6) 熔け不足の場合には、焼成温度を上げるか、時間を長くするか、唐土を加えて、熔融温度を下げる

   工夫をして下さい。

以上にて、楽焼の話を、終わります。

次回より、別のテーマで、お話したいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽焼 5 (焼成 3)

2010-09-10 21:44:30 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
 楽焼は、連続的に焼成する事により、時間と燃料を節約する、エコ的焼成方法とも、言えます。

楽焼の焼成の方法の、話を続けます。

 ④ 窯から引き出す。

   釉が十分熔けたと、判断したら、鋏みで、窯から引き出します。

   ・ 窯から、出すのが早く、熔け不足で、失敗しても、再度焼成が可能です。

   ・ 熔け過ぎた場合でも、(釉にもよりますが)釉が流れ落ちる事は、少ないと思われます。

     (流れ易い釉の場合には、作品の底に、数点の爪を、立てて置くと、安心です。)

   ・ 楽焼、特に茶碗では、畳み付きと、高台内にも、施釉する事が多いです。

  ) 外内の窯の蓋を、素早く開けて、鋏みで作品の、内外を挟んで、摘み出します。

     摘み出す際、作品を落とさない事は、勿論ですが、周囲の作品や、内窯の壁に、当らない様に

     注意します。必ずしも、強く掴む必要は、有りませんが、注意が必要です。

     開閉は、素早く行う事により、窯の熱を逃がすのを、防ぎます。

  ) 鋏みの痕は、焼成後にも、残ります。

     この痕(二箇所)も、見所(景色)として、重要に成ります。

  ) 作品が2~3個、窯に入っている場合は、次々と、取り出します。

     取り出す順番は、窯に入れた順序番にすると、全体の時間が均等に、成り易いです。

  ) 作品を取り出したら、直ぐに蓋をして、温度の低下を防ぎます。

  ) 次の作品を、窯に入れる。

     窯の温度が、上昇してから、次の作品を入れます。

     尚、作品を引き出してから、直ぐに、次の作品を入れる場合も、有りますが、窯の温度が低い為、

     釉が熔けるには、前回より、時間が掛かりますので、注意します。

     所定の温度上昇まで、10~20分程度、掛かる場合も有ります。

 ⑤ 引き出し後の、処理について。

   引き出し後の処理法には、目的により、幾つかの方法があります。大きく分けて、急冷と徐冷に

   分けられます。

  ) 急冷の場合

    「引き出し黒」と呼ばれる、光沢のある、黒楽の茶碗は、この方法によります。

    即ち、引き出し後、用意した水に投じて、急冷します。この場合でも、引き出し後、直ぐに水に

    投じる場合と、1分ほど自然冷却後に、水に入れる方法が有ります。

  ) 自然冷却

    窯から出した後、大気中に放置し、冷却する方法です。

    赤楽などは、この方法を採る場合が多いです。

    又、窯変を希望する場合には、枯葉を用意しておき、引き出し後、直ぐに、この枯葉の中に、

    入れて、鉄製のバケツを被せて、葉っぱが燃え尽きるまで、そのままにしておくと、窯変します。

  ) 徐冷する

    自然冷却よりも、ユックリ冷却する方法で、「サヤ」に入れ蓋をして、冷却を遅くします。

    更にユックリ冷やすには、除冷用の窯を使う場合も有ります。

    即ち、やや暖めた窯の中で、冷却します。

   a) 徐冷すると、黒楽であっても、真っ黒にならず、赤味や茶色又は、金色掛かった、マット状に、

    発色します。

  b) 鋏で引き出し、急冷すると、壷や鉢などの、大きな作品は、割れる恐れが有ります。

    この場合は、最終の窯で焼成し、そのまま窯の中で、徐冷します。

以下次回に続きます。
    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする