渡辺正峰さんの’17年の著書『脳の意識 機械の意識』(副題「脳神経科学の挑戦」)を読みました。「まえがき」から引用・一部改訂させていただくと、
「(前略)未来のどこかの時点において、意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いないと考えている。
しかし現時点で、意識の移植は、我々人類にとってはるか彼方の夢だ。意識を宿す機会の目処はついていない。そもそも、意識の原理がまるでわかっていない。
意識の科学は、いまだ普遍的な道筋をもたず、多くの立場が渾然一体となって入り乱れているのが実状だ。そもそも、意識の何が問題であり、どこから手をつけるべきなのか、科学者や哲学者の間で意見の一致を見ていない。
ただ、近年、意識を扱う一部の研究者の間で、一つの取り組みが芽生えつつあることは確かだ。この取り組みを通して眺めると、ぼんやりとしていた意識の科学の輪郭が鮮明になり、その解決へ向けて新たな道筋が見えてくる。本書ではこの取り組みに焦点をあてたい。
その取り組みとは、意識の科学に、新たな自然則を導入するというものだ。自然則とは、その言葉からわかる通り『自然のルール』、つまり自然界の根幹を成す法則である。光の速さが常に一定であるとする『光速度不変の法則』のように、科学の基礎に位置づけられるものだ。(中略)
ただ、意識の自然則と言われても、なかなかイメージがわかないだろう。二つほど仮説をあげるなら、哲学者デイヴィッド・チャーマーズ(1966~)はあらゆる情報が意識を生むと主張しており、神経科学者のジュリオ・トノーニは統合された特殊な状態にある情報のみが意識を生むと唱えている。それらの意味と革新性については、じっくりと本文で説明していきたい。
意識の自然則を導入する取り組みが目指すのは、意識の科学を、科学のあるべき姿へと昇華させることだ。科学のあるべき姿とは、自然則にもとづく仮説の提案と、実験による仮説検証を繰り返すことにより、対象の本質へと迫っていくものだ。それは、幾千年も前から、哲学と科学の間をさまよっていた意識を、ついに科学のまな板にのせることにもつながる。
紹介が遅れたが、筆者の専門は脳神経科学で、いつの頃からは覚えてないが意識の問題にとりつかれた。今では、哲学者ジョン・サール(1932~)が言うところの『脳を研究して意識を扱わないのは、胃を研究して消化を扱わないようなもの』を地でいっている。日々、意識にまつわるマウスの脳計測実験を行いながら、意識の神経メカニズムに思いを馳せ、頭を悩ませている。
そんな筆者が確信をもって言えることが一つある。それは、意識ほど手つかずで、深淵な問題は科学全般を見渡しても類を見ないということだ。
ちなみに、本書の第一の目的は、読者にこの奥深い意識の問題を知ってもらうことである。宇宙の深淵まで行かなくとも、人智の限りを尽くして取り組むべき問題が私たちの頭の中にある。そして第二の目的は、一つの提案を通して、この意識の問題に突破口を開くことである。
以下は本書の構成だ。
第一章では、本書で扱う意識を定義する。(中略)
続いて第2章と第3章では、意識の科学のこれまでの歩みを先人たちのドラマを交えながら概説する。第4章以降の要となる『意識の自然則』の必要性を実感するためには、意識の何が問題であるか、そして何が未知の部分として残っているかを正しく把握しておかなければならない。そのための準備段階だ。
第4章の前半では、いよいよ意識の真の問題、そして難しさへと迫っていく。(中略)読者のみなさんも、意識が脳に宿ることの真の不思議さを実感できた暁には、天地がひっくり返るかのごとき衝撃を味わうはずだ。(中略)
第4章の後半では、意識の自然則の必要性と、それを検証していくうえでの課題について見ていきたい。意識への挑戦を科学として確立するための鍵を握る重要部分だ。(中略)
そして第5章では、提案する機械の意識のテストを思考実験(頭の中で想像するだけの実験)として用い、意識の自然則に想いを馳せる。(中略)
終章では、ここまでの議論を踏まえ、技術的な展望を示そうと思う。
冒頭、人類の意識を機械に移植することは、はるか彼方の夢と述べたが、その夢が実現する日は意外にも早く来るのではないかと筆者は考えている。(中略)
脳科学の幼少期が終わり、大きな転換点を迎えている時代に立ち会えたことに筆者は興奮を覚えている。その一端でも伝えられれば、これに勝る喜びはない。」
そして実際に本文を読んでみましたが、理解できたのはほんの一部で、他の部分は難解で理解することができませんでした。面白いテーマだっただけに残念です。
→「Nature Life」(http://www.muse.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤先生、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先;m-goto@ceres.dti.ne.jp)
「(前略)未来のどこかの時点において、意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いないと考えている。
しかし現時点で、意識の移植は、我々人類にとってはるか彼方の夢だ。意識を宿す機会の目処はついていない。そもそも、意識の原理がまるでわかっていない。
意識の科学は、いまだ普遍的な道筋をもたず、多くの立場が渾然一体となって入り乱れているのが実状だ。そもそも、意識の何が問題であり、どこから手をつけるべきなのか、科学者や哲学者の間で意見の一致を見ていない。
ただ、近年、意識を扱う一部の研究者の間で、一つの取り組みが芽生えつつあることは確かだ。この取り組みを通して眺めると、ぼんやりとしていた意識の科学の輪郭が鮮明になり、その解決へ向けて新たな道筋が見えてくる。本書ではこの取り組みに焦点をあてたい。
その取り組みとは、意識の科学に、新たな自然則を導入するというものだ。自然則とは、その言葉からわかる通り『自然のルール』、つまり自然界の根幹を成す法則である。光の速さが常に一定であるとする『光速度不変の法則』のように、科学の基礎に位置づけられるものだ。(中略)
ただ、意識の自然則と言われても、なかなかイメージがわかないだろう。二つほど仮説をあげるなら、哲学者デイヴィッド・チャーマーズ(1966~)はあらゆる情報が意識を生むと主張しており、神経科学者のジュリオ・トノーニは統合された特殊な状態にある情報のみが意識を生むと唱えている。それらの意味と革新性については、じっくりと本文で説明していきたい。
意識の自然則を導入する取り組みが目指すのは、意識の科学を、科学のあるべき姿へと昇華させることだ。科学のあるべき姿とは、自然則にもとづく仮説の提案と、実験による仮説検証を繰り返すことにより、対象の本質へと迫っていくものだ。それは、幾千年も前から、哲学と科学の間をさまよっていた意識を、ついに科学のまな板にのせることにもつながる。
紹介が遅れたが、筆者の専門は脳神経科学で、いつの頃からは覚えてないが意識の問題にとりつかれた。今では、哲学者ジョン・サール(1932~)が言うところの『脳を研究して意識を扱わないのは、胃を研究して消化を扱わないようなもの』を地でいっている。日々、意識にまつわるマウスの脳計測実験を行いながら、意識の神経メカニズムに思いを馳せ、頭を悩ませている。
そんな筆者が確信をもって言えることが一つある。それは、意識ほど手つかずで、深淵な問題は科学全般を見渡しても類を見ないということだ。
ちなみに、本書の第一の目的は、読者にこの奥深い意識の問題を知ってもらうことである。宇宙の深淵まで行かなくとも、人智の限りを尽くして取り組むべき問題が私たちの頭の中にある。そして第二の目的は、一つの提案を通して、この意識の問題に突破口を開くことである。
以下は本書の構成だ。
第一章では、本書で扱う意識を定義する。(中略)
続いて第2章と第3章では、意識の科学のこれまでの歩みを先人たちのドラマを交えながら概説する。第4章以降の要となる『意識の自然則』の必要性を実感するためには、意識の何が問題であるか、そして何が未知の部分として残っているかを正しく把握しておかなければならない。そのための準備段階だ。
第4章の前半では、いよいよ意識の真の問題、そして難しさへと迫っていく。(中略)読者のみなさんも、意識が脳に宿ることの真の不思議さを実感できた暁には、天地がひっくり返るかのごとき衝撃を味わうはずだ。(中略)
第4章の後半では、意識の自然則の必要性と、それを検証していくうえでの課題について見ていきたい。意識への挑戦を科学として確立するための鍵を握る重要部分だ。(中略)
そして第5章では、提案する機械の意識のテストを思考実験(頭の中で想像するだけの実験)として用い、意識の自然則に想いを馳せる。(中略)
終章では、ここまでの議論を踏まえ、技術的な展望を示そうと思う。
冒頭、人類の意識を機械に移植することは、はるか彼方の夢と述べたが、その夢が実現する日は意外にも早く来るのではないかと筆者は考えている。(中略)
脳科学の幼少期が終わり、大きな転換点を迎えている時代に立ち会えたことに筆者は興奮を覚えている。その一端でも伝えられれば、これに勝る喜びはない。」
そして実際に本文を読んでみましたが、理解できたのはほんの一部で、他の部分は難解で理解することができませんでした。面白いテーマだっただけに残念です。
→「Nature Life」(http://www.muse.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤先生、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先;m-goto@ceres.dti.ne.jp)