また昨日の続きです。
「とはいえ、ロバート・オルドリッチやリチャード・フライシャーやドン・シーゲル、それにヨーロッパを活躍の舞台としていたとはいえ、ジョセフ・ロージーもまだまだ元気でしたし(中略)、サム・ペキンパーが『ワイルド・バンチ』(1966)を撮り、セルジオ・レオーネが『ウエスタン』(1968)を撮るのもその翌年のことです。ハリウッドに凱旋したクリント・イーストウッドがドン・シーゲルの『白い肌の異常な夜』(1971)に主演し、処女長編『恐怖のメロディ』(1971)を撮ってわれわれを驚かせたのは、それからほんの数年後のことでした。『遅れてきた』批評家としてスタートした33歳の私にとっての心の支えは、かつて、若い時分に大学新聞の匿名時評欄で、アメリカ映画は避けようという大勢にさからい、ごく短いものながら、ロバート・ロッセンの『ハスラー』(1961)を擁護する文章を書くことができたという記憶ばかりでした。
黒沢さんと初めてお会いした1970年代の中頃から終わりにかけて、私は、ひたすらホークスの名前を口にしながら━━ときには、唐突に小津安二郎の名前をまぎれこませながら━━、(中略)ホークス━━あるいは小津━━が理解できなければ、映画など理解できるはずもないといった言辞を弄していたのかも知れません。しかし実際には、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだという無邪気な確信を装いながら、ホークスに代償さるべき固有名詞を、オルドリッチやフライシャーやドン・シーゲルの中に必死に探し求めていたのです。(中略)
クリント・イーストウッド、スティーブン・スピルバーグ、クェンティン・タランティーノという現代のアメリカ映画を代表する3人の監督について黒沢さんと論じあうという、わたくしにとっては例外的な書物の冒頭にいきなりこんなことを書いてしまったのは、70歳を超えてしまった『遅れてきた』批評家の言葉をなおも活気づけてくれるのが、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだという楽天的な思いこみにほかならないからです。あるいは、この年齢で、ようやくにして、アメリカ映画を語ることだけが、真の意味で批評の言葉を鍛えてくれるのだという確信にたどりついたのだといえるのかも知れません。(中略)
昨年末、世界のいろいろな場所で、21世紀の最初の10年の映画が回顧されました。(中略)
それにしても心を動かされたのは、黒沢さんがスティーブン・スピルバーグの『宇宙戦争』(2005)を孤独にベスト1に挙げておられたことです。(中略)
ロラン・バルトは、60歳にもならないうちに、しかるべき年齢に達しているのだから、もう他人の視線など気にすることなく、思いのままに振る舞ってよいはずだと自分に言い聞かせていました。(中略)」
冒頭の蓮實先生の文章以外でも、いくつか引用させていただくと、
・(『ガントレット』で)あんなにバスに弾が撃ち込まれているのに、タイヤだけにはなぜか当たらないんですよね(笑)。」
・「(イーストウッドの監督作品は)全部すごいとしか言いようがないのですが、さしあたって意味もなく前期・後期などとわけてみると、前期だとやはり『ペイルライダー』が頂点でしょうね。後期だと、僕(黒沢さん)も『ミスティック・リバー』で、自分が出ていないということも含めて、心底驚愕したというのはありました。」
・「イーストウッドは古典を見ているから、違ってくるんです。古典を見ているから違ってくるのではなく、単に違ってしまうのがスコセッシとかベルトラン・タベルニエだと思いますけど(笑)。」
・「(イーストウッドの)『チェンジリング』でも、アンジェリーナ・ジョリーがけっこう感情的な芝居をしているところはあるんですけど、ストーリー的な山場では絶対にさせていない。」。
・「ええ、私(蓮實先生)もニューヨークの小津百年シンポジウムで『憤る女性たち』
というスピーチをしたり、「『とんでもない』原節子」という文章を書いたりして、小津は感情的な演技をさせているということを強調しています。しかし、それをけっして作品の調子と一致させない。」
・「やはりこの人(スピルバーグ)は一貫して同じことをやっている。わからない言葉を喋る人たちの間に自分が置かれたらどうなるか、ということをかなり本気でやっている。」
・「(前略)蓮實さんは壇上でふとこうおっしゃいました。『映画で、見つめ合った瞳を撮ることはできない』と。(中略)
(それ)にもかかわらず、古今東西ほとんどの映画のほとんどの部分を占めているのが、実は『見つめ合う瞳』であるというこの信じ難い事実。」
一気に読ませてくれる本でした。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。
「とはいえ、ロバート・オルドリッチやリチャード・フライシャーやドン・シーゲル、それにヨーロッパを活躍の舞台としていたとはいえ、ジョセフ・ロージーもまだまだ元気でしたし(中略)、サム・ペキンパーが『ワイルド・バンチ』(1966)を撮り、セルジオ・レオーネが『ウエスタン』(1968)を撮るのもその翌年のことです。ハリウッドに凱旋したクリント・イーストウッドがドン・シーゲルの『白い肌の異常な夜』(1971)に主演し、処女長編『恐怖のメロディ』(1971)を撮ってわれわれを驚かせたのは、それからほんの数年後のことでした。『遅れてきた』批評家としてスタートした33歳の私にとっての心の支えは、かつて、若い時分に大学新聞の匿名時評欄で、アメリカ映画は避けようという大勢にさからい、ごく短いものながら、ロバート・ロッセンの『ハスラー』(1961)を擁護する文章を書くことができたという記憶ばかりでした。
黒沢さんと初めてお会いした1970年代の中頃から終わりにかけて、私は、ひたすらホークスの名前を口にしながら━━ときには、唐突に小津安二郎の名前をまぎれこませながら━━、(中略)ホークス━━あるいは小津━━が理解できなければ、映画など理解できるはずもないといった言辞を弄していたのかも知れません。しかし実際には、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだという無邪気な確信を装いながら、ホークスに代償さるべき固有名詞を、オルドリッチやフライシャーやドン・シーゲルの中に必死に探し求めていたのです。(中略)
クリント・イーストウッド、スティーブン・スピルバーグ、クェンティン・タランティーノという現代のアメリカ映画を代表する3人の監督について黒沢さんと論じあうという、わたくしにとっては例外的な書物の冒頭にいきなりこんなことを書いてしまったのは、70歳を超えてしまった『遅れてきた』批評家の言葉をなおも活気づけてくれるのが、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだという楽天的な思いこみにほかならないからです。あるいは、この年齢で、ようやくにして、アメリカ映画を語ることだけが、真の意味で批評の言葉を鍛えてくれるのだという確信にたどりついたのだといえるのかも知れません。(中略)
昨年末、世界のいろいろな場所で、21世紀の最初の10年の映画が回顧されました。(中略)
それにしても心を動かされたのは、黒沢さんがスティーブン・スピルバーグの『宇宙戦争』(2005)を孤独にベスト1に挙げておられたことです。(中略)
ロラン・バルトは、60歳にもならないうちに、しかるべき年齢に達しているのだから、もう他人の視線など気にすることなく、思いのままに振る舞ってよいはずだと自分に言い聞かせていました。(中略)」
冒頭の蓮實先生の文章以外でも、いくつか引用させていただくと、
・(『ガントレット』で)あんなにバスに弾が撃ち込まれているのに、タイヤだけにはなぜか当たらないんですよね(笑)。」
・「(イーストウッドの監督作品は)全部すごいとしか言いようがないのですが、さしあたって意味もなく前期・後期などとわけてみると、前期だとやはり『ペイルライダー』が頂点でしょうね。後期だと、僕(黒沢さん)も『ミスティック・リバー』で、自分が出ていないということも含めて、心底驚愕したというのはありました。」
・「イーストウッドは古典を見ているから、違ってくるんです。古典を見ているから違ってくるのではなく、単に違ってしまうのがスコセッシとかベルトラン・タベルニエだと思いますけど(笑)。」
・「(イーストウッドの)『チェンジリング』でも、アンジェリーナ・ジョリーがけっこう感情的な芝居をしているところはあるんですけど、ストーリー的な山場では絶対にさせていない。」。
・「ええ、私(蓮實先生)もニューヨークの小津百年シンポジウムで『憤る女性たち』
というスピーチをしたり、「『とんでもない』原節子」という文章を書いたりして、小津は感情的な演技をさせているということを強調しています。しかし、それをけっして作品の調子と一致させない。」
・「やはりこの人(スピルバーグ)は一貫して同じことをやっている。わからない言葉を喋る人たちの間に自分が置かれたらどうなるか、ということをかなり本気でやっている。」
・「(前略)蓮實さんは壇上でふとこうおっしゃいました。『映画で、見つめ合った瞳を撮ることはできない』と。(中略)
(それ)にもかかわらず、古今東西ほとんどの映画のほとんどの部分を占めているのが、実は『見つめ合う瞳』であるというこの信じ難い事実。」
一気に読ませてくれる本でした。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。