WOWOWシネマで、エドワード・ヤン監督・脚本の’00年作品『ヤンヤン 夏の想い出』を久しぶりに再見しました。前回見たときには途中までしか見られませんでしたが、今回は最後まで見ることができました。すべてのショットがフルショットと超ロングショットからできている稀有な映画で、ワンシーン・ワンカットのシーンも多く見られました。
また、YouTubeで、エドワード・ヤン監督の遺作であるアニメーション『追風』の9分間分を見ました。すべてロングショットのワンシーン・ワンカットで、夜灯篭を下げて歩く少年、少女を忍者2人が屋根や木を伝って尾行し、最後は乱闘シーンで終わるというものでした。
さて、昨日の続きです。
(中略)ちょうどその頃、国土保全省の取りまとめた「災害白書」によって、「敵」と「正義の味方」による被害の実態が明らかにされた。(中略)「敵」が単独で暴れてるよりも、「正義の味方」が戦うことによる被害の方が大きいことが金額面で明らかにされ、批判の矛先を「正義の味方」に向けることにお墨付きが与えられた恰好だ。(中略)
動物保護団体も声を上げ始めた。我々が「敵」と見なしている生物は、実は「敵」などではなく、保護するべき存在なのではないか、と主張しだしたのだ。(中略)
(中略)彼自身が「正義」であるとするならば、まずは「敵」に対して攻撃ありきではなく、何らかの形で侵攻を止めるように説得をするべきではないのかという意見が多数を占めた。(中略)
(中略)動物保護団体のうちの過激な一派は、「正義の味方」を凶悪な暴力主義者と断定し、「護るべき無垢なる存在」に対する攻撃をやめさせるべく、実力行使に打って出た。統計的に「敵」が出現しやすい場所に陣取り、「正義の味方」が現れるよりも一足先に、「敵」の前に飛び出して、人間のの壁として立ち塞がったのだ。だが、そこは意思の疎通のできない相手だ。「敵」は、護ろうとした彼らを、何の躊躇も見せずに踏みつぶしてしまった。慌てて逃げ出した残党たちを救ったのは、他ならぬ「正義の味方」だった。(中略)結果的に「正義の味方」に助けられた生き残りの一派は、神妙に変節を遂げるかと思いきや、予想外の反応を見せた。━凶悪なる暴力主義者は、我々の「護るべき無垢なる存在」への恐怖感を煽り、更に彼に対する敵愾心を消失させるために、敢えて数名の犠牲者が出るまで時間稼ぎをし、私たちを生き延びさせたのだ! そうして、いいように弄ばれたことによる「精神的苦痛」を訴え、彼らは「正義の味方」を相手取って裁判を起こした。(中略)もちろん「正義の味方」が裁判に出廷するはずもなく、被告人不在のまま、彼の敗訴が確定した。偶然か必然か、有罪が確定したその日を限りに、彼はこの星に姿を見せることはなくなった。(中略)人々は彼の不在を、「敗走」と見なした。報道各社は競い合うようにして、「臆病者」「卑怯者」というレッテル貼りを行い、もはや彼を擁護する者も、顧みる者も、誰もいなくなった。それからもう、四十年の月日が経ったのだ。
(中略)今も、「敵」は出現し続けている。だがこの国の人間は、良くも悪くも災害慣れしてしまっている。(中略)彼の活動の意義は、「正義の味方」として「敵」を倒したことにはない。敵の存在、活動、そして「帰星」が、我々の抱える多くの矛盾や欺瞞を浮き彫りにした点にこそ、その意義はあったと言えるのではないだろうか。
(中略)相変わらず、私にとって彼はヒーローであり、戦い続ける孤高の姿が色褪せることはない。だが、そこで相手は「敵」ではない。彼が立ち向かうのは、我々の無関心であり、忘却であり、流されやすい心である。(後略)
この後、①亡くなった家族が、今も生きているとした場合②自分が今とは違う職業や、人生の選択をした場合③存在しなかった家族が、「いる」とした場合に書かれる自叙伝について書かれた、『似叙伝 ━人の願いの境界線━』、個性をチェーン店化して生きている人々のことについて書かれた『チェーン・ピープル ━画一化された「個性」━』、口述によって代々受け継がれてきた、ありもしない地図にまつわる話を書いた『ナナツコツ ━記憶の地図の行方━』、被り物をかぶらずにゆるキャラを演じている“ぬまっチについて書かれた”『ぬまっチ━裸の道化師━』、過度の応援をすることで、応援されている側を傷つける行為が描かれている『応援━「頑張れ!」の呪縛━』と続きます。
いつもは面白いので一気に読んでしまえる三崎さんの本ですが、今回は読み終わるのに2週間もかかってしまいました。これまでの三崎さんの本は神奈川県の厚木中央図書館がすべて買っておいてくれたのですが、今回の本は買ってくれず、自分で買って読むしかなかったことも、そういったことと何か関係しているのでしょうか? 三崎さんの次回作に期待したいと思います
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」(mハイフンgoto@ceres.dti.ne.jp)です。よろしくお願いいたします。
また、YouTubeで、エドワード・ヤン監督の遺作であるアニメーション『追風』の9分間分を見ました。すべてロングショットのワンシーン・ワンカットで、夜灯篭を下げて歩く少年、少女を忍者2人が屋根や木を伝って尾行し、最後は乱闘シーンで終わるというものでした。
さて、昨日の続きです。
(中略)ちょうどその頃、国土保全省の取りまとめた「災害白書」によって、「敵」と「正義の味方」による被害の実態が明らかにされた。(中略)「敵」が単独で暴れてるよりも、「正義の味方」が戦うことによる被害の方が大きいことが金額面で明らかにされ、批判の矛先を「正義の味方」に向けることにお墨付きが与えられた恰好だ。(中略)
動物保護団体も声を上げ始めた。我々が「敵」と見なしている生物は、実は「敵」などではなく、保護するべき存在なのではないか、と主張しだしたのだ。(中略)
(中略)彼自身が「正義」であるとするならば、まずは「敵」に対して攻撃ありきではなく、何らかの形で侵攻を止めるように説得をするべきではないのかという意見が多数を占めた。(中略)
(中略)動物保護団体のうちの過激な一派は、「正義の味方」を凶悪な暴力主義者と断定し、「護るべき無垢なる存在」に対する攻撃をやめさせるべく、実力行使に打って出た。統計的に「敵」が出現しやすい場所に陣取り、「正義の味方」が現れるよりも一足先に、「敵」の前に飛び出して、人間のの壁として立ち塞がったのだ。だが、そこは意思の疎通のできない相手だ。「敵」は、護ろうとした彼らを、何の躊躇も見せずに踏みつぶしてしまった。慌てて逃げ出した残党たちを救ったのは、他ならぬ「正義の味方」だった。(中略)結果的に「正義の味方」に助けられた生き残りの一派は、神妙に変節を遂げるかと思いきや、予想外の反応を見せた。━凶悪なる暴力主義者は、我々の「護るべき無垢なる存在」への恐怖感を煽り、更に彼に対する敵愾心を消失させるために、敢えて数名の犠牲者が出るまで時間稼ぎをし、私たちを生き延びさせたのだ! そうして、いいように弄ばれたことによる「精神的苦痛」を訴え、彼らは「正義の味方」を相手取って裁判を起こした。(中略)もちろん「正義の味方」が裁判に出廷するはずもなく、被告人不在のまま、彼の敗訴が確定した。偶然か必然か、有罪が確定したその日を限りに、彼はこの星に姿を見せることはなくなった。(中略)人々は彼の不在を、「敗走」と見なした。報道各社は競い合うようにして、「臆病者」「卑怯者」というレッテル貼りを行い、もはや彼を擁護する者も、顧みる者も、誰もいなくなった。それからもう、四十年の月日が経ったのだ。
(中略)今も、「敵」は出現し続けている。だがこの国の人間は、良くも悪くも災害慣れしてしまっている。(中略)彼の活動の意義は、「正義の味方」として「敵」を倒したことにはない。敵の存在、活動、そして「帰星」が、我々の抱える多くの矛盾や欺瞞を浮き彫りにした点にこそ、その意義はあったと言えるのではないだろうか。
(中略)相変わらず、私にとって彼はヒーローであり、戦い続ける孤高の姿が色褪せることはない。だが、そこで相手は「敵」ではない。彼が立ち向かうのは、我々の無関心であり、忘却であり、流されやすい心である。(後略)
この後、①亡くなった家族が、今も生きているとした場合②自分が今とは違う職業や、人生の選択をした場合③存在しなかった家族が、「いる」とした場合に書かれる自叙伝について書かれた、『似叙伝 ━人の願いの境界線━』、個性をチェーン店化して生きている人々のことについて書かれた『チェーン・ピープル ━画一化された「個性」━』、口述によって代々受け継がれてきた、ありもしない地図にまつわる話を書いた『ナナツコツ ━記憶の地図の行方━』、被り物をかぶらずにゆるキャラを演じている“ぬまっチについて書かれた”『ぬまっチ━裸の道化師━』、過度の応援をすることで、応援されている側を傷つける行為が描かれている『応援━「頑張れ!」の呪縛━』と続きます。
いつもは面白いので一気に読んでしまえる三崎さんの本ですが、今回は読み終わるのに2週間もかかってしまいました。これまでの三崎さんの本は神奈川県の厚木中央図書館がすべて買っておいてくれたのですが、今回の本は買ってくれず、自分で買って読むしかなかったことも、そういったことと何か関係しているのでしょうか? 三崎さんの次回作に期待したいと思います
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」(mハイフンgoto@ceres.dti.ne.jp)です。よろしくお願いいたします。