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チャールズ・チャップリン&D・ロビンソン『小説 ライムライト チャップリンの映画世界』その1

2019-06-13 04:28:00 | ノンジャンル
 2017年に刊行されたチャールズ・チャップリン&デイヴィッド・ロビンソン『小説 ライムライト チャップリンの映画世界』を読みました。チャップリンによる小説『ライムライト』と『カルヴェロの物語』に加えて、ロビンソンによる6つの評論『木を揺さぶる』『脚本から映画へ』『チャップリンのミュージックホール』『レスター・スクエアのバレエ』『家族の肖像』『エピローグ』が掲載された本です。
 まず、小説『ライムライト』のあらすじから書いていくと、

 黄昏時の夕闇のなか、ロンドンの街灯がサフラン色の空に向けて大胆な光を放つようになった頃、19歳のテレーザ・アンブローズは人生という船から転落しそうになっていた。(中略)それは奇妙で失望だらけの人生だった。(中略)彼女の父、チャールズ・アンブローズはイギリスの貴族の四男で、肺病もちだった。16.歳のとき、チャールズはイートン校から脱走し、海に出た。数年後、成り行き任せの生活から帰還すると、テリー(テレーザの愛称)の母親となる女性と結婚した。彼女は彼の育った屋敷で働くメイドだった。気位の高い彼の一族は、このことで息子を決して許さなかった。(中略)テリーが7歳のとき、父が死んだ。そのため家族を養う重荷は、裁縫師である母にのしかかってきた。彼女は素朴な女で、若いときは稀に見る美人だった。しかし、何年もの貧困と気苦労の末、美貌はすっかり枯渇した。家族はテリーと母と姉の三人だった。(中略)姉のルイーズは美しく従順な17歳の娘で、サルドゥー商会という文房具屋で働いていた。そこで稼ぐわずかな給料はすべて家族の生活費に回された。(中略)そんなとき母が突然病気になり、テリーとルイーズの人生を揺るがした。(中略)医者に診てもらったところ、すぐに入院し、大きな手術を受けなければならないと言われた。この突然の事態はまさに災難だった。(中略)蓄えはすぐに底をついた。家賃の支払いが遅れていき、質屋に出せる品物も減って、みんな腹を空かせるようになった。そして何かが起きた。アンブローズ夫人が退院する一週間前、テリーは物事が突然いい方向に変わったことに気づいた。テリーが見たこともない食品やごちそうの袋がテーブルに置かれるようになった。質草にした品物が家に戻ってきた。(中略)母が戻って来て、テリーはとても明るくなり、近所の子供たちと遊ぶようになった。(中略)ピカデリーを散策しているときのことだった。テリーと仲間たちがデパートのショーウィンドーの前で立ち止まり、遊んでいたとき、大きな鏡に姉が歩いて行く姿が映った! 理由を瞬間的に悟り、テリーはゾッとした。(中略)娼婦たちが見せていたのと同じぼんやりとした表情が、姉の顔にも浮かんでいた。(中略)このときテリーは、家で起きていた曖昧なこと、不可解なことの意味をすべて悟ったのだ。(中略)テリーが十歳のときに母が死んだ。と同時に、もう一つの変化が起きた。ルイーズが南米の男の愛人となり、ベイズウォーターの瀟洒なアパートメントで暮らすようになったのである。彼女はテリーの面倒をすべて見るようになり、テリーの暮らしぶりは、他人が想像するほど屈辱的なものではなくなった。(中略)学校を卒業したテリーはエンパイア・バレエ団に入った。(中略)テリーがそこで独り立ちしてから一年ほど経った頃、ルイーズはイギリスを離れ、南米に住むようになった。(中略)エンパイア劇場で、テリーはバレリーナとしての地位を上げていった。ついに彼女は自分を見出したのだ。そのとき18歳で、月光のように白い、優美な聖母のような女性になっていた。(中略)舞台袖でテリーは突然激しい痙攣に襲われ、倒れた。病院で彼女はリューマチ熱と診断された。医師も確信を持っているわけではなかったが、また踊れるようになるまで一年かかると言った。そう聞かされたとき、テリーはもうどうでもいいという思いだった。(中略)退院したときのことだった。サルドゥー商会をたまたま通りかかり、ウィンドーに貼られた広告を見かけた。「女性従業員求む」とある。サルドゥー氏はテリーを覚えていて、にこやかに面接をしたあと、彼女を雇うことにした。(中略)

(明日へ続きます……)

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