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ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール 映画史(全)』その1

2012-07-13 06:25:00 | ノンジャンル
 昨日、ポレポレ東中野で、齋藤潤一監督の'12年作品『死刑弁護人』を見てきました。和歌山カレー事件、新宿西口バス放火事件、光市母子殺害事件、オウムの麻原彰晃らの弁護をしてきた安田好弘弁護士についてのドキュメンタリーでしたが、安田弁護士自身が麻原の国選弁護人をしていた時にでっちあげ事件で8ヶ月も拘置されていたことを初めて知り、また「家族が殺されても死刑を求めませんか?」という問いに、自信を持って「更正する可能性があるかぎり、その点ではぶれない」と言い切る姿に勇気をもらい、また和歌山カレー事件でも冤罪の可能性が強いことを改めて思いしりました。

 さて、ジャン=リュック・ゴダールの'12年に日本版が刊行された『ゴダール 映画史(全)』を読みました。'78年の秋に、モントリオール映画芸術コンセルヴァトワールの校長セルジュ・ロジックから依託された、『映画とテレビの真の映画史への手引き』という題の一連の講義の内容を収めた本です。
 それぞれの回では冒頭にゴダール自身の映画1本と、それと共通するテーマを持った3、4本の映画の断片が上映され、それらの映像、またはそこから発展した話題について、ゴダールが語るといった方法で講義がなされました。
 上映された映画と共通するテーマ(判明している場合に限り)を以下に述べると、『堕ちた天使』(オットー・プレミンジャー)と『勝手にしやがれ』(フィルム・ノワール)、『M』(フリッツ・ラング)と『小さな兵隊』(ファシズム)、『女優ナナ』(ジャン・ルノワール)『裁かれるるジャンヌ』(カール・テホ・ドライヤー)『グリード』(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)『吸血鬼』(カール・テホ・ドライヤー)『カルメン』(オットー・プレミンジャー)と『女と男のいる鋪道』、『カメラを持った男』(ジガ・ヴェルトフ)『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ)『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー)と『軽蔑』(映画の撮影に関する映画)、『ファウスト』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)『無頼の谷』(フリッツ・ラング)『美女と野獣』(ジャン・コクトー)『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)と『アルファヴィル』、『極北の怪異』(ロバート・フラハティ)『神の道化師フランチェスコ』(ロベルト・ロッセリーニ)『ペルソナ』(イングマール・ベルイマン)と『恋人のいる時間』(ドキュメンタリー)、『サンライズ』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング)『理由なき反抗』(ニコラス・レイ)『雨月物語』(溝口健二)と『気狂いピエロ』、『巴里の屋根の下』(ルネ・クレール)『スリ』(ロベール・ブレッソン)『重すぎるバッグをもったプラハの娘』(ダニエール・ジャエギ)と『男性・女性』(若い演出家が若い人たちについて作った映画)、『ドラルー』(ルイ・フィヤード)『暗黒街』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』(テイ・ガーネット)と『メイド・イン・USA』(探偵映画)、『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン)『黄金時代』(ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ)『オペラ・ハット』(フランク・キャプラ)と『中国女』(政治的映画)、『魔人ドラキュラ』(トッド・ブラウニング)『ドイツ零年』(ロベルト・ロッセリーニ)『鳥』(アルフレッド・ヒッチコック)と『ウィークエンド』(妖怪を描いた映画)、『アルセナール』(アレクサンドル・ドヴジェンコ)『ゲームの規則』(ジャン・ルノワール)『ヨーロッパ一九五一年』(ロベルト・ロッセリーニ)と『彼女について私が知っている二、三の事柄』(ひとつの地域、ひとつの国をとりあつかった映画)、『トップハット』(マーク・サンドリッチ)『ブリガドーン』(ヴィンセント・ミネリ)『紳士淑女のみなさん、ローリング・ストーンズです』(ローリン・ビンザー)『ニューヨーク、ニューヨーク』(マーチン・スコセッシ)と『ワン・プラス・ワン』(音楽を使った映画)、『肉弾鬼中隊』(ジョン・フォード)『アレクサンドル・ネフスキー』(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン)『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ)『グリーン・ベレー』(ジョン・ウェイン)と『カラビニエ』(戦争映画)です。(明日へ続きます‥‥)

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マキノ雅弘監督『おしどり駕篭』

2012-07-12 08:34:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'60年作品『おしどり駕篭』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 正気を失っている姫・千鳥(櫻町弘子)を遠巻きにする町人たちは、姫の父が横領をした報いだと噂します。殿が逝去し、家老の兵部(月形龍之介)は市井の人になり失踪した長男の弦二郎君ではなく、次男の三之条を後継としようとしますが、家老の善兵衛の反対に会い、善兵衛が弦二郎君を江戸に探しに行くまで、自分が藩を取り締まることを承知させます。
 「お江戸日本橋」の字幕。左官屋が歌い、そのうちの1人・源太(中村錦之助)は同僚の半次(中村賀津雄)に当り矢の小蝶(美空ひばり)が自分のことを好きと言わないと言い、恋の歌を歌う小蝶も同僚で半次と相思相愛のお市(中原ひとみ)に同じ悩みを打ち明けます。自分の娘・千鳥を三之条の嫁にしようと企む兵部。占い師は源太に相手はあなたに惚れているが、なかなか好きとは言わないと言い、剣難の相があり、それを解決しないと恋は成就しないと言います。当り矢の歌。そこを訪れた源太と小蝶は維持を張り合い、ケンカ別れします。そこへ善兵衛とその仲間・郷之進がやって来て、源太に藩が国難に陥っていることを知らせますが、跡目は三之条に譲り、自分には女ができたので跡目は継がないと言います。しかし兵部の悪政を正すため、源太は善兵衛らと藩に戻ることにし、翌朝歌う大名行列の駕篭の中から半次にそれを知らせます。半次にそれを知らされた小蝶らは、源太の後を追うことにします。三之条の前で、峠での源太の返り討ちを命ずる兵部に、気狂いと結婚するのは嫌だと三之条は言います。
 小蝶らは源太に追いつき、一方善兵衛に逃げないように監視されていた源太は、千鳥が気狂いの芝居をしていると見抜きます。歌う小蝶と、それを聞いて喜ぶ源太。当り矢の歌が終わると、今日は存分に遊べと家来たちに郷之進は言います。半次とお市、郷之進らが見守る中で、源太と再会しった小蝶は、殿様ではなく左官屋の源太に惚れていたと言い、用事が済むまでしばらく江戸に帰っていてくれと源太に言われてしまいます。もう会わないと言って、源太の背中に矢を当てる小蝶。
 大名行列を泣いて見送る小蝶でしたが、半次が消えているのをお市から知らされると、再び源太を追うことにします。大名行列に殴り込んだ小蝶でしたが、源太の駕篭は空でした。一方、源太と半次は旅人姿で峠を越えようとします。そこをすれ違った千鳥の侍女から返り討ちの件を聞いた源太は、半次と千鳥の侍女にそれを大名行列に知らせるよう命じます。小蝶とお市らに出会う半次。源太は1人で兵部が送った刺客たちを迎え討ち、袴田だけを残して、他を皆殺しにします。小蝶は源太に追いつき、二人は仲直りします。
 袴田を盾にして兵部の屋敷に乗り込んだ源太は、切腹しようとする兵部を止め、三之条を後継ぎとし、千鳥をその嫁とすることを認め、これからは心を入れ替えろと言って、それまでの悪行を許します。
 翌朝、改めて小蝶と馬に乗って入城する源太。彼は三之条に後継ぎを譲ることを発表し、その理由として片肌脱いで刺青を見せます。
 歌う小蝶と二人で駕篭に乗る源太。多くの町民が見守る中、彼らは城から去っていくのでした。

 美空ひばりの歌を全面に押し出した作りとなっていて、生きのいい中村錦之助の演技もあって、楽しく見ることができました。この時期のマキノ監督は次郎長ものもそうですが、歌が多く使われ、演出も流れるようで、まさに乗りに乗っていた時期だったのではと思います。美空ひばりの代表作の一つでしょう。

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内澤旬子『身体のいいなり』その2

2012-07-11 08:38:00 | ノンジャンル
 昨日、山田五十鈴さんの訃報が大きく報道されていました。期せずして、先日亡くなったアーネスト・ボーグナインと同じ享年95才。蓮實先生が紹介している『マリヤのお雪』をいずれ見ることができることを祈るとともに、心よりお悔やみ申し上げます。

 さて、昨日の続きです。
 著者は病院で検査を受けると、それは癌細胞が吐き出した粘液でした。切除手術を行うこととなり、その際、腋下のリンパ節細胞を3カ所ほど採取して、リンパ節にまで癌が転移していないか、その場で病理診断することにもなります。そして配偶者に立会いを頼み、'05年5月に手術。それまでで一番きつかったのはMRIで、土管のような筒にうつぶせに入れられ、身体はもちろん顔の向きすら変えることを許されないまま、一時間半閉じ込められ、その間、鉄パイプを持ったヤンキーが外から土管をガンガン襲撃するような爆音が響き渡るというものでした。また身体をモノ扱いされるのもきつかったと著者は書きます。手術後は猛烈な不快感と拘束感とともに目覚めますが、幸い腋下のリンパ節には転移がなかったとのことでした。その後、退院まで、妊婦と一緒の入院に居心地の悪さを感じます。
 退院して癌の体験者に「保険に入ってなかったら、300万は見ておいたほうがいい」と言われ、末期になってから緩和ケアを行うホスピスにすぐ転院することは現状では難しいことを知ります。退院後、身体はもうまったく動けなくなり、3ヶ月後には今度は右胸に2つほどビー玉大のしこりを見つけます。'05年10月、二度目の切除手術。残った乳腺には左右ともどもまだまだ癌の芽が散らばっていました。傷に当てるガーゼを固定するテープの痒み、腋下のリンパ節細胞を一部採取したことによる左腕の痛みが続き、やっとそれらから解放されると、今度は癌の再発を防ぐためのホルモン療法の副作用、「のぼせ」と聴覚の異常に悩まされるようになります。それらの副作用が日常となった'06年5月に、ようやく1册目の単著『センセイの書斎』を上梓。トークショーを強行しているうちに、ある晩、難波駅の地下通路で息が苦しくなり、一歩も歩けなくなったりもします。やがて'06年の初秋にヨガを開始。そのおかげで安眠できるようになります。それからどんどん体調は回復していきますが、ヨガにつきものの「祈り」と「菜食主義」にはついていけませんでした。
 ヨガ教室に通うようになってからは、それなりに身だしなみにも気をつけざるを得なくなり、軽石で足の裏を擦る毎日が始まります。そして足裏をつるつるに綺麗にすると、とても気持ちいいことにも気付くようになります。ヨガを始めて半年ほどしたころから、身体の変化が少しずつ現れてくるようになります。睡眠が深くなり、少々の無理がきくようになります。身体の冷えも少しよくなります。一方で、ホルモン療法の副作用は日に日に確実にひどくなっていました。のぼせと音が相まって、狭い場所にいられなくなり、その結果、著者は仕事場と居住空間を分けるため、引越しをすることになります。中古ぼろマンションを買い、'07年1月、引越しを完了します。そして'07年1月末付で『世界屠畜紀行』を刊行。それがきっかけでテレビ番組の企画が入り、3ヶ月、60時間の撮影期間に付き合い、それ以降、仕事量が増え出します。そしてその時からメイクが可能になっている自分にも気付きます。体力もつきますが、やはりホルモン療法の副作用に悩まされ、その結果、乳腺の全摘出手術、同時にその半年後の乳房再建手術も決意します。そして現在、著者は飲めなかったお酒も飲めるようになり、毎月の生理も来るようになりますが、自分は所詮肉の塊であるとの認識を得ることにもなったのでした。

 いろんなことを学ばせてもらった本でしたが、一番勉強になったのはヨガの効用でしょうか。「所詮肉の塊」という言葉も重いとともに、真実の言葉であると思いました。

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内澤旬子『身体のいいなり』その1

2012-07-10 08:37:00 | ノンジャンル
 昨日の朝日新聞の夕刊にアーネスト・ボーグナインの訃報が載っていました。「まだ生きていたのか!」というのが正直な感想です。享年95才。オルドリッチの『北国の帝王』など、タフな初老の男性というイメージが強い「性格」俳優でしたが、実際の人生でもタフさを見せていたようです。改めてお悔やみ申し上げます。

 さて、第27回講談社エッセイ賞受賞作である、内澤旬子さんの'10年作品『身体のいいなり』を読みました。
 43才になった著者に、ここ数年の身辺変化のようなものを書いてほしいと言う依頼が来ます。この5年の間に著者の身体とそのまわりに起きたことは、'05年に38才でステージ?の乳癌に罹患したことがきっかけとなっていましたが、いわゆる闘病記になってしまうのは避けたいと思います。人間はどうせ死ぬのに、なぜみんな致死性の病気のことになると深刻になり、治りたがり、感動したがり、その体験談を読みたがるのかが理解できないとも言います。それでもなお、自分の体験をまとめてみようと思ったのは、癌治療そのものだけではなく、今現在の自分が癌以前の自分と比べて異常に元気になってしまった経緯をすべて書いてほしいと言われたからなのだそうです。生まれてからずっと、自分が100パーセント元気で健康だと思えたためしがなく、胃酸過多、腰痛、アトピー性皮膚炎、ナゾの微熱、冷え性、むくみ、無排卵性月経など、「病気といえない病気」の不快感にずっとつきまとわれて来た著者は、身体は動くし普通の生活はできるけど、どこかがだるくつらい、特に30才を越してからどんどんきつくなってきたのだそうです。
 それは幼少期、ご飯を食べることが苦痛で、昼寝もできず、身体を動かすことが面倒くさかったことから始まります。成長するにつれてすこしは眠れるようになったものの、運動は相変わらず苦手で、高校2年で始まった腰痛は大学卒業後の会社員生活で決定的なものとなります。それ以来、コルセットは寝る時以外は外せなくなり、おしゃれからは遠ざからざるを得なくなり、寝ることで当座はやり過ごすこととなります。28才で整体を受けてコルセットが外せるようになり、現在は全快と呼んでもいいくらいになりましたが、その間の経緯は思い出せません。
 一方、アトピー性皮膚炎は、中学1年のときに唇と口の周りの皮がぼろぼろと剥けて止まらなくなり、やがて耳の穴の中の皮も剥けてきて、30を越すと口以外にも眼とその周囲、鼻の穴、ほほ、ひじの内側、膝裏と、痒くてしかたがない部分が広がり、皮膚科でも治らなくなります。これはあとから罹る癌よりも、著者にとってははるかにつらい病でした。しかもアトピーがひどかった30代前半の時期は、ちょうど結婚して家賃を折半しながら収入はジリ貧になっていくという極貧時代でもあったので、基礎化粧品のセレクトには頭を悩ませたそうです。しかしやがてアレルギー内科に通うようになってから半年後に症状はほぼ消えます。その後、アトピーの症状は年に1回はぶり返して唇が腫れ、皮が剥け、眼がちくちくして痒くなりますが、その度に軽く投薬治療をすることでしのぐようになっていきます。そして3年半、週に1回通っていた操体施術のおかげで、ある日突然意識とはまったく関係なくくるくると腕が回りはじめます。しかし施術はやがて都合で受けられなくなり、代わりに太極拳を始めますが、場所を取るので、どこでもできるというわけにいかず、そしてギリギリの生活を続けているうちに、年間契約の編集者として働いていた配偶者が、町のイベントを立ち上げ、成功を収めると同時にこれからもこういうタダ働きを大事にしていきたいと高らかに宣言し、フリーランスで仕事をしている著者は共倒れ必死と考え、家を出て、製本教室用にと借りていた六畳一間のアパートで暮らすようになります。が、そこで著者は左胸にひきつれるような痛みを感じ、そこに胡桃大のしこりがあるのを発見します。(明日へ続きます‥‥)

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マキノ雅弘監督『清水港に来た男』

2012-07-09 03:02:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'60年作品『清水港に来た男』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 歌を歌う茶摘みの娘たちの中をやって来る旅人の政吉(大川橋蔵)は、次郎長(大河内傳次郎)の三下の子分・六助(田中春男)をうまく騙し、彼の兄貴分として、次郎長の家に住み込むことになります。吠えかかる犬から助けたお雪(丘さとみ)を次郎長の妻の妹と知らず、自分に惚れていると言い出す政吉。
 やがて次郎長の元に小松村の七五郎が頭を丸めて現れ、自分のせいで石松が都鳥一家に殺されたと告げます。子分を皆集め、石松の仇討ちに出発する次郎長は、石松と親しかった角太郎にも同行を許しますが、彼は前夜息子のために嫁のお袖(小暮実千代)とやくざから足を洗う約束をしたばかりでした。角太郎は卑怯者と言われてもいいから、必ず生きて帰ってくるとお袖に約束します。出発する次郎長一家。政吉に米俵を担がせ、お袖の元を訪れたお雪は、お袖にそれは受け取れないと断られます。武士の出ではないかと姉が言っていたと政吉に言うお雪。次郎長の留守をいいことに、元新撰組の侍とともに顔をきかせる為五郎の身内たちにうっかりぶつかり、彼らと乱闘となる政吉。
 次郎長は石松の仇を取って帰ってきますが、角太郎は都鳥一家に殺されていました。彼のために盛大な葬式を出した次郎長はお袖に、角太郎が「卑怯者にはなれなかったが、石松の仇は取った」と言っていたと告げると、お袖は「そんなことを言っていたはずがない」と言い、盛大な葬式などいらないから、夫を生きて帰してほしかったと言って泣きます。黙って下を向く次郎長。
 政吉は今度の祭りで石松が主役の芝居を打ち、今回の仇討ちが正当なものだったことを知らしめようと六助らに言って、賛同を得ます。浪花節はどもりの熊造(堺駿二)の担当と決まりますが、主役は自分がやると政吉が言うと、弱い彼には任せられないと周りは言います。政吉はたまたま家の外にいた侍(進藤英太郎)を今からやってつけるから見てろと言い、その侍を無理矢理砂浜へ誘い出します。その薩摩藩の侍は政吉が勤皇の志士だとすぐに分かりますが、政吉は「次郎長が佐幕か勤皇か見分け、もし佐幕なら斬れ」という桂小五郎からの手紙を見せ、今度の芝居を見せて、それをはっきりさせるつもりだと言い、自分にわざとやられるように侍に頼みます。
 芝居は大成功に終わりますが、最後に熊造が勤皇派の主張を述べ始めると、次郎長は芝居を止めろと言い出し、それを聞いた政吉はにんまりと笑います。次郎長は以後、手下たちにケンカを禁止し、それに従わない者は葬式も出してやらないと命じます。為五郎の一味に馬鹿にされ、1人で殴り込みをかけ、殺される熊造。次郎長は葬式を出さず、仲間内で葬式が行われます。お雪は政吉に好きだと告白し、政吉の為五郎一家への殴り込みに共に行くと言いますが、政吉は自分はやくざ者がするような殴り込みなどしないと言って断ります。夜、次郎長の部屋を訪れ、佐幕か勤皇かと迫る政吉に、もうとっくに政吉が侍であることを見抜いていたという次郎長。政吉は次郎長から熊造の位牌を借り、1人で殴り込みをかけようとしていた六助に帰るように言って自分が殴り込みをかけようとすると、迎え出た為五郎一家たちと乱闘となります。元新撰組の侍を斬り、為五郎も斬り捨てると、他の連中は逃げ出します。そこへやって来た次郎長の子分たちは、次郎長にお連れしろと言われたと言って、政吉を次郎長の元へ連れていきます。次郎長は政吉に惚れたと言い、彼の味方として東海道は任せろと言います。そして政吉のお伴として六助らを預け、お雪はお詫びしたいと刀と着物を彼に送ります。
 歌う茶摘みの娘たちの中を、お伴を連れて進む政吉。彼はお伴たちに合羽を羽織れと言い、それにしたがうお伴たちと走って京都を目指すのでした。

 大川橋蔵の軽い身のこなしが魅力的で、大河内傳次郎の次郎長というのも面白く見させてもらいました。ラストの殺陣も見事で、演技の演出も画面の構成・連鎖も、これぞマキノ節といった感じだったと思います。隠れたマキノ映画の次郎長ものの名品でした。

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