昨日、ポレポレ東中野で、齋藤潤一監督の'12年作品『死刑弁護人』を見てきました。和歌山カレー事件、新宿西口バス放火事件、光市母子殺害事件、オウムの麻原彰晃らの弁護をしてきた安田好弘弁護士についてのドキュメンタリーでしたが、安田弁護士自身が麻原の国選弁護人をしていた時にでっちあげ事件で8ヶ月も拘置されていたことを初めて知り、また「家族が殺されても死刑を求めませんか?」という問いに、自信を持って「更正する可能性があるかぎり、その点ではぶれない」と言い切る姿に勇気をもらい、また和歌山カレー事件でも冤罪の可能性が強いことを改めて思いしりました。
さて、ジャン=リュック・ゴダールの'12年に日本版が刊行された『ゴダール 映画史(全)』を読みました。'78年の秋に、モントリオール映画芸術コンセルヴァトワールの校長セルジュ・ロジックから依託された、『映画とテレビの真の映画史への手引き』という題の一連の講義の内容を収めた本です。
それぞれの回では冒頭にゴダール自身の映画1本と、それと共通するテーマを持った3、4本の映画の断片が上映され、それらの映像、またはそこから発展した話題について、ゴダールが語るといった方法で講義がなされました。
上映された映画と共通するテーマ(判明している場合に限り)を以下に述べると、『堕ちた天使』(オットー・プレミンジャー)と『勝手にしやがれ』(フィルム・ノワール)、『M』(フリッツ・ラング)と『小さな兵隊』(ファシズム)、『女優ナナ』(ジャン・ルノワール)『裁かれるるジャンヌ』(カール・テホ・ドライヤー)『グリード』(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)『吸血鬼』(カール・テホ・ドライヤー)『カルメン』(オットー・プレミンジャー)と『女と男のいる鋪道』、『カメラを持った男』(ジガ・ヴェルトフ)『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ)『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー)と『軽蔑』(映画の撮影に関する映画)、『ファウスト』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)『無頼の谷』(フリッツ・ラング)『美女と野獣』(ジャン・コクトー)『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)と『アルファヴィル』、『極北の怪異』(ロバート・フラハティ)『神の道化師フランチェスコ』(ロベルト・ロッセリーニ)『ペルソナ』(イングマール・ベルイマン)と『恋人のいる時間』(ドキュメンタリー)、『サンライズ』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング)『理由なき反抗』(ニコラス・レイ)『雨月物語』(溝口健二)と『気狂いピエロ』、『巴里の屋根の下』(ルネ・クレール)『スリ』(ロベール・ブレッソン)『重すぎるバッグをもったプラハの娘』(ダニエール・ジャエギ)と『男性・女性』(若い演出家が若い人たちについて作った映画)、『ドラルー』(ルイ・フィヤード)『暗黒街』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』(テイ・ガーネット)と『メイド・イン・USA』(探偵映画)、『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン)『黄金時代』(ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ)『オペラ・ハット』(フランク・キャプラ)と『中国女』(政治的映画)、『魔人ドラキュラ』(トッド・ブラウニング)『ドイツ零年』(ロベルト・ロッセリーニ)『鳥』(アルフレッド・ヒッチコック)と『ウィークエンド』(妖怪を描いた映画)、『アルセナール』(アレクサンドル・ドヴジェンコ)『ゲームの規則』(ジャン・ルノワール)『ヨーロッパ一九五一年』(ロベルト・ロッセリーニ)と『彼女について私が知っている二、三の事柄』(ひとつの地域、ひとつの国をとりあつかった映画)、『トップハット』(マーク・サンドリッチ)『ブリガドーン』(ヴィンセント・ミネリ)『紳士淑女のみなさん、ローリング・ストーンズです』(ローリン・ビンザー)『ニューヨーク、ニューヨーク』(マーチン・スコセッシ)と『ワン・プラス・ワン』(音楽を使った映画)、『肉弾鬼中隊』(ジョン・フォード)『アレクサンドル・ネフスキー』(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン)『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ)『グリーン・ベレー』(ジョン・ウェイン)と『カラビニエ』(戦争映画)です。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、ジャン=リュック・ゴダールの'12年に日本版が刊行された『ゴダール 映画史(全)』を読みました。'78年の秋に、モントリオール映画芸術コンセルヴァトワールの校長セルジュ・ロジックから依託された、『映画とテレビの真の映画史への手引き』という題の一連の講義の内容を収めた本です。
それぞれの回では冒頭にゴダール自身の映画1本と、それと共通するテーマを持った3、4本の映画の断片が上映され、それらの映像、またはそこから発展した話題について、ゴダールが語るといった方法で講義がなされました。
上映された映画と共通するテーマ(判明している場合に限り)を以下に述べると、『堕ちた天使』(オットー・プレミンジャー)と『勝手にしやがれ』(フィルム・ノワール)、『M』(フリッツ・ラング)と『小さな兵隊』(ファシズム)、『女優ナナ』(ジャン・ルノワール)『裁かれるるジャンヌ』(カール・テホ・ドライヤー)『グリード』(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)『吸血鬼』(カール・テホ・ドライヤー)『カルメン』(オットー・プレミンジャー)と『女と男のいる鋪道』、『カメラを持った男』(ジガ・ヴェルトフ)『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ)『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー)と『軽蔑』(映画の撮影に関する映画)、『ファウスト』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)『無頼の谷』(フリッツ・ラング)『美女と野獣』(ジャン・コクトー)『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)と『アルファヴィル』、『極北の怪異』(ロバート・フラハティ)『神の道化師フランチェスコ』(ロベルト・ロッセリーニ)『ペルソナ』(イングマール・ベルイマン)と『恋人のいる時間』(ドキュメンタリー)、『サンライズ』(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ)『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング)『理由なき反抗』(ニコラス・レイ)『雨月物語』(溝口健二)と『気狂いピエロ』、『巴里の屋根の下』(ルネ・クレール)『スリ』(ロベール・ブレッソン)『重すぎるバッグをもったプラハの娘』(ダニエール・ジャエギ)と『男性・女性』(若い演出家が若い人たちについて作った映画)、『ドラルー』(ルイ・フィヤード)『暗黒街』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』(テイ・ガーネット)と『メイド・イン・USA』(探偵映画)、『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン)『黄金時代』(ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ)『オペラ・ハット』(フランク・キャプラ)と『中国女』(政治的映画)、『魔人ドラキュラ』(トッド・ブラウニング)『ドイツ零年』(ロベルト・ロッセリーニ)『鳥』(アルフレッド・ヒッチコック)と『ウィークエンド』(妖怪を描いた映画)、『アルセナール』(アレクサンドル・ドヴジェンコ)『ゲームの規則』(ジャン・ルノワール)『ヨーロッパ一九五一年』(ロベルト・ロッセリーニ)と『彼女について私が知っている二、三の事柄』(ひとつの地域、ひとつの国をとりあつかった映画)、『トップハット』(マーク・サンドリッチ)『ブリガドーン』(ヴィンセント・ミネリ)『紳士淑女のみなさん、ローリング・ストーンズです』(ローリン・ビンザー)『ニューヨーク、ニューヨーク』(マーチン・スコセッシ)と『ワン・プラス・ワン』(音楽を使った映画)、『肉弾鬼中隊』(ジョン・フォード)『アレクサンドル・ネフスキー』(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン)『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ)『グリーン・ベレー』(ジョン・ウェイン)と『カラビニエ』(戦争映画)です。(明日へ続きます‥‥)
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