マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

お疲れ様、そしてこれからもよろしくお願いします。

2017-03-30 08:20:57 | 浜田のごちそうレシピ

結婚したばかりの時に、私は花嫁道具にミシンを持ってこなかったのですが、同じ社宅の友人の影響で手作りの小物を作るようになり、熱中しているのをみて最初は主人が機能の充実したものを買ってくれると言ってくれました。しかし、母が、花嫁道具にミシンを持たせなかったと言われたくなくて、私が買いますと主張して、買ってくれたミシンが画像のものです。ミシン屋さんに連れて行ってもらい、当時、ボビンケースなしのタイプが出ていたのに、一番安いので良いだろうと、勝手に決められてしまいました。それ以来、もう少し性能の良い機種ならどうだったのだろうと思いながら使ってきました。

振り返れば、このミシンは想像以上に使いやすくよく働いてくれました。友人の出産祝いに作った、キルティングの大きなバックと抱っこバンド、娘の服や小物、そして孫の物、ビクトリアンキルトの小物まで、私と共に歳をとり、一緒に歩んできたのです。

一昨日から、娘の入学準備で、布の袋を作り始めましたら、このミシンは縫い目が荒れて、私はその度に解いてやり直さなければならなくなりました。しかも、長く使うと、ミシンがうなり声をあげて、ソーイングスイッチを押していないのに勝手にゆっくり動き始めるのです。気が滅入り、たまたま、格安の新しいミシンの広告をネットで見て、思わず注文してしまいました。

昨日、注文の直後、このミシンは、なぜか立ち直り、普通に動き出しました。新しい機械に取って代わられるのが嫌だったのか、頑張り始めました。そして、無事に、孫の保育園のお仲間の子供さんのランチョンマットと、カトラリー入れを仕上げることができました。

まだまだ引退したくない。そう言っている気がしました。

だから、これからは、古いミシンは実家へ持って行って使うことにします。私だって歳をとるのですから、ミシンだって歳をとるのは当たり前。

これからもよろしくお願いしますとミシンに声をかけました。

 

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ついに完成!

2017-03-29 10:43:58 | ぼやき日記

私の、毎年の目標の一つに、作りかけの作品を仕上げるがあります。ずっと眠っていた作りかけのキルトのバックが完成しました。

実家の、一室を昨年母のアトリエに改装して、ミシンを置いて、作業ができるようにしました。かねてより希望していた、母のかつての仕事仲間の方々と楽しいもの可愛いものを作りたいという夢が実現し、数名で実家で小物作りを始めています。週に数回は、私が不在でも、メンバーが集まって作業が行われているのです。

5月の終わりはイベントを考えています。母を連れて帰って、可愛いものをたくさん並べて喜ばせてみたいと思います。

バックが完成したのも、小物作りの皆様が背中を押してくださったおかげです。

 

今は西宮、昨日より、孫娘の、入学準備で、布の袋を作っております。本日も頑張ります。

認知症の母が一緒ですと、作業は思うようには行きません。だけど、できたものを褒めてくれるのは、やはり母だからでしょう。ありがたいです。本当に。

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勝った負けたの世界ではありません。

2017-03-12 11:43:34 | ぼやき日記

浜田市に歴史資料館を作る計画が持ち上がりました。

この計画は賛否両論ありました。

市はパブリックコメントを募集したり、計画の説明をして、意見を交換をする会を各地区ごとに開きました。関心のある方が集まり、活発な意見が交わされたとお聞きしています。

近畿の浜田高校の同窓会に、事情をよくご存知の方がみえて、歴史資料館の計画をとてもわかりやすく説明されました。支持している方も多くいらしたのは間違いありません。

そして最後は議会に問いました。

議員は賛成派反対派が分かれており、賛成、反対の立場から、質問が繰り広げられました。その結果、市長は歴史資料館の議案を議決の前に取り下げました。新聞だけでは理由がわかりませんが、もう一度、計画を練り直して議案を作られるのかもしれません。

何かをするのに、反対はつきものです。議案を通す方法はいくつかあると思います。水面下で、働きかけて無理やり通すのも一つの方法で、それは今までの市長によって何度か行われてきたと思われます。

 

現市長も無理やり議決に持って行こうとすればできたと思います。あえてそうしなかったのは、やはり考えがあってのことと思います。本当に市民に喜んでもらえるものを作ることを考える上での決定と思います。反対の方々の意見も関係したかもしれません。何れにしても、どこの市町村よりも民主的であると私は賞賛します。本来なら反対意見を叩き潰すことだって可能なのですから。

 

反対された方に言いたいのです。

今回の取り下げをどう見るか。

 

市は、反対の意見を真摯に受け止めて、前向きに再考しようという考えであると素直に捉えていただきたいと思います


そもそもどなたがおっしゃったことかはわからない状況で、

歴史館撤回は、市政の世界では、大失態を演じたことになるそうです。

と、反対された方がFBで投稿していらっしゃるのを見かけました。

 

市長の人格を否定するコメントも見ました。

 

とても悲しい気持ちになりました。みんなが選挙で選んだ人なのですよ。自分自身を蔑めるのと同じことなのではないでしょうか?

批判することは、誰でもできます。私は浜田市にいないので、いくら意見を言ったとしても評論家の一人でしかありません。人がすることを批評するのは簡単です。

賛成派が負けて、反対派が勝ったのではなく、本当に何が大切なのか見直すことになっただけのこと。

 

我々は、今周りにいる人をどれほど幸せにできるかが大事なのです。ひどい、失礼なと、一人一人に対して攻撃的になるのではなく、建設的なものの見方をすべきです。

 

他の市では成し遂げられないことがこれからの浜田市にできるかもしれないと。期待している私です。

 

それから以下は 私が幼い頃から 年寄りに言われて育ったことです。

ばか というものが ばか である。

 

 

 

 

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40年前の浜高ナインの雄姿。

2017-03-12 10:03:47 | ぼやき日記

1977年の59回の夏の甲子園大会2回戦、札幌商業と浜田高校と試合の録画を見させていただきました。

3対1で浜田高校の勝利で、最後に念願の校歌が球場に流れました。

58回からの連続出場、前年は緊張のせいか硬くなり、ナインは力を十分発揮できずに終わった後のリベンジでした。

 

殊勲打を打った本田くんが素晴らしいのは間違いありませんが、よく見ると、ナイン全員が攻守ともに鍛えられバランスのとれた完成度の高いチームだったことが伺えます。

1、ランナーを出すと、すかさず送りバントで2塁に送る。2ランスクイズもできる。

2、ランナーが3塁にいるときは、飛び出したランナーが挟まれないように、わざと外されたボール球でも必ずバットに当てる。1球目からバントをせず、守備の位置を見て確実に球の方向を予測して送りバントをする。

3、軽快なフィールディング。特に投手の守備が素晴らしく、送りバントの処理がうまくて、2塁でフォースアウトできる。

4、右側に打球を運ぶ技術を習得していて、ランナーがいるときはライト方向へ打つことができる。

5、機動力があり、ナイン全員が盗塁できる。

6、バットをコンパクトにもち、ミート中心のバッティングができる。大振りしない。

7、一人の力に頼らず、全員野球で乗り切る。タイムリーヒットを生む前に、進塁を助けたり、粘ってファーボールを選んでいる。

8、守備につくとき、ベンチに戻るときは全力疾走。整列しての挨拶は、しっかりお辞儀をする。

 

私は、この試合はアルプス席で、応援していたので解説を聞きながら見たのは初めてでした。札幌商業もよく鍛えられたチームであることは間違い無いのですが、我が校ナインはその上を行っております。

当時は、水を飲むことも許されず、深夜、倒れるまで練習をしていた姿が思い出されます。座禅と瞑想は当たり前、厳しいグランドの外での訓練もあったそうですが、それよりも普段のグランドでの練習の方が、ひたすら辛かったから、何ともなかったと話しているそうです。

今の時代には考えられないことですが、強くなるために頑張っていたのです。

甲子園で、練習の成果を十分発揮できて本当に良かったです。

 

懐かしい映像をありがとうございました。

浜高ナインは永久に不滅です。

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嫉妬とやせ我慢。

2017-03-04 07:36:39 | ぼやき日記

3月になりました。

昨日朝のテレビ番組を見ると小池百合子都知事が出演されていました。

印象深い話は、男性の嫉妬のこと。

男性の嫉妬は女性の嫉妬の比ではないそうで、大臣に抜擢された当時は相当なものだったそうです。

だから嫉妬という文字は、おんなへんではなく、おとこへんにすべきとおっしゃっていました。思わず笑ってしまいました。

 

見方を変えれば、男性に嫉妬されるというのは、それだけ重要視されている証拠です。取るに足らない人物ならそうなりません。気持ちを切り替えてやり過ごせば済むことです。

 

できれば、嫉妬されるぐらいの大人物になれたらそれは素晴らしいこと。

そこまでは、誰も真似ができません。

 

男性の嫉妬は女性の嫉妬に比べて、どうしても情けなく映るので気の毒に感じます。男性は女性に比べて、幼い頃から、強く生きることを要求されて育ちます。男性は誇り高い、頼りになる存在というイメージが当然なのに、嫉妬という行為はどうしても子供っぽく、愚かに見えてしまうのです。

ひどく嫉妬する男性は、女性が冷ややかな目を向けているのにもかかわらず、気がついていないことが多いのです。本当に気の毒です。やはり男性の方が生きにくいのでしょうか。

 

私は、昔から、父や父の周りにいらっしゃる人物と関わったせいか、未だに理想の男性を追い求め、憧れる人間です。

男性が立派であろうとして、やせ我慢したり、見えないところで、必死の努力をする姿を美しいと思います。表向きには平然と振る舞う姿に魅力を感じます。

だから女性に嫉妬する男性、蔑視する男性は薄っぺらい人に見えてしまうのです。

 

私の理想とする男性像をお話ししましたが、私自身が、世の中で言われている理想的な女性でもないので、もちろん世の中の男性に自分の好みを押し付けるつもりはありません。どうぞ聞き流してくださいませ。

 

 

 

 

 

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