コロナに感染して、入院していた従兄が50日して退院の運びとなりました。
従兄は、4月1日にコロナ感染がわかった時は、重篤な肺炎にかかっており、人工呼吸器をつけ集中治療室で治療を受けておりました。
ちょうど志村けんさんがお亡くなりになった後なので、目の前が真っ暗になりました。できることは毎日近所の門戸厄神さんにお参りに行くことだけでした。まさかの事態など想像したくないのに、人工呼吸器をつけて生還した例はほとんどないとネットの情報を見てますます辛くて、夜も眠れず過ごしました。
その時にマダムKから、
「姉が昨年重篤な肺炎にかかり、人工心肺をつけ、危篤になりました。けれど、1週間後に完全に回復できました。しかも姉はもともと体が丈夫ではないのです。従兄さんは体力があるから希望を持ってください」
この一言でどれほど救われたかしれません。
それでも、私の精神状態は普通ではなく、今まで読んだこともない、日本の三大怪奇小説の一つ、夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読んでおりました。不思議に、この小説に、私は引き込まれてしまいました。意味不明な箇所、おどろおどろしい部分がいくつもあるのに違和感すら感じず、夜は特に夢と現実の境界がわからない状況でした。そして、昼はやたらに、紀元前から何度も流行するたびに大量の死者を出しているペストのこと、奈良時代に蔓延した疫病などを調べていました。
地元愛に溢れ、人にはいつも優しく、善良に生きてきた従兄がなぜこんな目に合うのだろう。
それに比べてめんどくさがりで、適当で、すぐに不平不満を漏らし、人の悪口も平気で言う私なら納得できるけど、どうしてなのか?世の中はあまりにも理不尽すぎると、やりきれませんでした。
どんなに努力を重ねても、善良に生きても、幸せを約束されることはないのか? 掴んだ幸せをズタズタにするその大きな力は、一体誰がどこからもたらすのか。病魔は、多くの人に勇気と力を与えることができる人間を、簡単に闇に葬ってしまうのだろうか、絶対に許せない。コロナを憎みました。
それから私は自分のこれまでの行いを反省し、厄神さんとご先祖様に、、従兄の回復を祈りました。
「おじさんおばさん、ご先祖様、頼むからそちらに呼ばないでください、訪ねて来てもすぐに追い返してください」とお願いしました。
1週間までは、かかってくる携帯の音に怯えました。毎日朝が来るたびにホッと胸をなでおろします。
そんな時は、自粛もせずに海外に出かけてコロナをもらい、帰国して撒き散らした人たちが許せませんでした。コロナは怖くない、高熱を体から出させて自然に治すのが一番という治療法でコロナも治ると主張する人や、コロナの恐ろしさを十分理解せずにわかったようなセリフを根拠もなくネットに書き込む人、濃厚接触になる場所に平気で出かける人々、コロナのせいで仕事がキャンセルになり困窮されている人々がいらっしゃるのに、自粛により家で過ごせてゆっくりできてコロナのおかげと言う人には怒りを覚えました。
「もし従兄が生還しなかったら、あいつらを、ぶっ叩いてやる」
と私は物騒なセリフを吐いておりました。
2週間が経過した時、ふと思いました。
人工呼吸器は外れていないけれど、コロナと二週間も戦い続けたのだから、これから後はコロナに打ち勝つことができるのではないだろうか。
と。
それから私は急に気持ちが楽になりました。その翌々日ぐらいに、回復に向かっていると連絡が入りました。うれしくて、涙が出ました。
そして17日目に従兄は集中治療室から一般病棟に移ることができました。すぐに厄神さんとご先祖様にお参りしてお礼を言いました。
従兄の朗報で、文学学校の教室がオンラインで合評を実施することついても、やっと目を向けることができましたし、読む本は、和辻哲郎の「古寺巡礼」に変わりました。もう一度読み返すと、京都や奈良の素晴らしさが伝わってきました。
その数日後、25年以上ダチョウを飼い、菌やウイルスの抗体を、ダチョウから作る研究をしていらっしゃる教授をテレビで知りました。コロナの抗体も、ダチョウの卵から作り、治験の段階にきていることがわかりました。ノーベル賞受賞者の大村先生が開発された寄生虫の薬からイベルメクチンと言う薬が生まれ、これがコロナに有効ではないかと言われていることも知りました。
人間の知恵と努力は素晴らしい。困難な問題に直面しても、不可能を可能にする人物が次々と登場し、希望の光が差す。なんて素晴らしいのだろうと嬉しくなりました。
従兄は退院までは、いろいろな検査があり、全てをクリアするまでには日数を要しましたが、昨日無事退院となりました。
退院が決まる少し前に、ブランピエールドロンサールが、柔らかい色合いで、大きな花を咲かせてくれました。それが上の画像です。
おめでとうの言葉を周りの方々が送ってくださり、今は喜びを噛み締めています。
本当にありがとうございました。