週刊文春が有名人の不倫の現場などのスキャンダルを、報道することを、文春砲と呼ぶ。
報道によって、引退や、休職に追い込まれる人々は後を絶たない。
先日小室哲哉氏の不倫報道により、小室氏が引退を表明したところ、色々な人が意見を述べている。
ご本人は記者会見で病気の後遺症で介護が必要になった奥様をもつ苦労を切々と述べていた。
小室氏を擁護する意見は多くを占め、文春砲の非情さを批判する意見も出ている。
色々な文春砲を見てきたが、
不倫に関するものは、
配偶者が謝罪すると治り
有名人や政治家は
引退か辞職すれば治る。
週刊文春など世間にあるマスコミが、容赦なくスキャンダルを見つけては報道することは決して良いこととは思わない。
しかし、よく考えてみると、そういう報道を必要とする人々も多くいるということを忘れてはならない。
人の不幸は蜜の味。
私の母に認知症状が現れた時、それほど親しくないどなたかに上のような言葉を言われたことがある。誰かが困っていたら、冷ややかな目で見て、面白おかしく噂する。この気持ちは、大なり小なり人の心の中ある。人は自分に関わりのない人たちの面白おかしい情報を求めているのだ。田舎は狭い街、母の異変を面白おかしく噂する人たちに、私の親戚は心を痛めていた。ただ私自身は、噂は本当のことなので、全てオープンにすることにした。そして介護の辛さを正直に述べることにした。そうしたら、逆に親身になってくださる方が現れた。
スキャンダルの終着点も、マスコミだけではなく、人々が望む方向に進む。腰を低くし、低姿勢でいることが大切で上から目線の対応をすると世間の風当たりは厳しいままのような気がする。
我々が人の不幸を願う気持ちを持っていなければ、マスコミはスキャンダルを必死で見つけて報道することはないはずだ。消費者のニーズがある限り、それはお金になりビジネスとして立派に成立する。
文春砲が出るたびに、私は、人間の残念な部分に気付かされ辛くなる。文春砲を批判する前に、まず自らの中にある残念な部分を戒める必要があるのだ。誰が悪いとかではなく、そう、他を批判せず、いつも情けない自分を振り返ることが大切と、人間ができていない私は感じている。
人の幸福が蜜の味
でありたい。