2011年3月11日に起きた東日本大震災。東北の沿岸地方に多大な被害をもたらしたのは言うまでもありません。その中の一つ、大川小学校の職員生徒のほとんどが十分に避難できず犠牲になった出来事は忘れることができず、涙が出ます。
詳細については、他のサイトでご覧いただきたいのですが、悪いことが幾つか重なったことも起因していますが、もしかしたら、被害が少しでも少なくて済んだのではないだろうかと考えさせることが多いのは間違いありません。
地震から津波まで50分の間、石巻市の広報車が高台への避難を呼びかけました。しかし、校長不在で、教員の方針が定まらず、裏山の高台に逃げる意見と、校舎を離れて、近くの津波が来ない安全と思われる場所(高台ではない)に避難する場所と別れたそうです。結局高台への避難は却下され、すでに高台に逃げようとしていた児童を呼び止め、勝手な行動をするなと指導したと言われています。そして、誤った判断の犠牲になったのでした。
そういう危機的中で個人としてどうすべきだったのか。そういう時に自分の子供にどう教えるべきなのか。問題提起になりました。誰も命を救う方向で一生懸命動いていたのは間違いないのに、結果として最悪の事態になった原因を、考えるべきと感じています。
親は、先生の言うことを聞きなさいと教えます。先生は子供より正しい判断をして正しい方向に導いてくださる存在であるからです。先生は、学校にいる子供たちの命を守る大変な役目を負っているのも間違いありません。だから、先生のいうことを無視して集団行動から逸脱するのは逆に命の危険を伴うこともあります。
高台ではない方向へ避難すると主張された先生も、自分の知識と経験で最良と判断されたのだと思います。
裏山が崩れて、倒木、足場が悪く、怪我をすることの心配が優先されたのでしょう。しかし、東北のお年寄りは、地震が起きたら迷わず高いところに登るように言っていると聞きました。過去の苦い経験からの言葉なのです。それがないがしろにされたのは残念でなりません。
2016年10月28日。訴訟を起こした被害者家族に対して、損害賠償命令が出ました。高台に避難を促した広報車を無視した判断が決め手となったようです。
でも、これで終わったわけでもなく。ご両親や家族が納得されているとは思いません。
人はもし命に関わる危機的状況にある時、意見が分かれたらどう行動すべきなのか。相手の主張をしっかり聞いて、少しでも納得できない部分があったとしたら、そして自分の意見が正しいと思ったのならそれは、納得してはいけないのでです。変だ、間違っていると思うならそこは自分の命に自分自身が責任を持って行動すべきものなのだと思います。
私は今まで危機的状況に追いつめられたことがないので、言うべき立場にはありませんが、少なくとも、自分の命は自分のもの自分で守るんだという考えを個々で持つべきなのです。自分の意思で高台に避難しようとしていた子供さん、もしかしたら、お年寄りからいつも、地震が起きた時の回避策を教わっていたのかもしれません。後の祭りですが、自分の命だからそれが正しいのなら登りなさいと言えたら良かったのでしょう。とても難しいことです。そして、やはり涙が出ます。
とにかく、今後は、こんな悲惨な事が起きないようにすべきなのです。
人は最悪の事態ということを、意識して暮らしていません。だけど失敗しないためにいつも最悪の事態を頭の片隅に置いて行動すべきです。これは私は高校時代にある先生から教わりました。
もし最悪の事態が起きても、こうしたらうまく切り抜けられることが分かっていれば良いのですが、私は人から見たら呑気そうに見えるようですが、いつも、一番最悪のことを考えずには入られません。人から見たら、めんどくさい人間です。
こうなったらどうするの?
そんな可能性はほとんどないから気にしなくて良い、その時はその時だ。
それで、うまくいく時がほとんどなのですが。
私は、その時はその時だ という考えがあまり好きではありません。
事前にその時のことをしっかり考えたいのです。
そして、私がその時のことを想定していなくて、別の方が、こうなったらどうしますか?と指摘してくださる時、
私は、とても安心します。
今から私にできることは、子供と孫に、最悪の事態でどうするか、という話や、お年寄りからの言い伝えを一緒に話し合ってみ見ることと思っております。
画像は、息子が送ってくれた、今年の初冠雪の富士山です。