マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

絶品の 泉州水なす  バカの私が言いたいこと

2019-07-30 08:48:10 | ぼやき日記

娘が大阪泉州の水ナスを買ってきてくれのぬか漬けにした。水々しい。最高!

ある方の発言である。

最近の学生は、一流大学に在籍していても、自分の頭で考えられないバカばっかりとおっしゃっている。

本当に?

だいたいバカの定義ってなに?

 

勉強を怠けていて、物を知らない人?

常に前向きに知識を得ようと努力できない人?

知識を身につけることばかりに偏り、考えようとしない人?

 

一体どんな人がバカなんだろう?

卒業大学の偏差値ランクを考慮すると、

おそらく私はバカの部類

ということは

本来の意味では、偏差値の低い学校を出ている人?

 

バカの定義は難しい。どんな人がバカなの?

 

過去に

お前たちはバカだ。だから頑張れ。

色々な人に言われたけれど、腹が立たなかった。なぜなら、それは全くの真実で、本当に自分は未熟で物事を真剣に見つめず、努力もしていなかったからだ。頑張ってほしいと言う気持ちの現れだった。バカにされたのではなく、未熟さを指摘されたと捉えた。

ただその一言から、自分のバカさと向き合った気がした。色々な方にバカを脱するお手伝いをしていただいた。昔は、それが愛情表現だった気がする。

 

バカでなくなるのはいつなのか?

これは難しい。誰にも判断なんてできないと。もちろんバカと向き合う私はまだバカのまま。

 

最近20代の若い方と知り合うことができたのだけど、みんな私より立派である。何がすごいって、まずプライベートと仕事をきっちり分けて、仕事は仕事と捉えて、淡々とこなしているところ。極端な、パワハラやセクハラは除外して考えると、仕事の上では、上司や職場に多くを求めることをせず、今の環境を受容して、仕事に向かうのだ。プライベートは、自分の趣味の時間に使う。

今は文学という同じ趣味でお付き合いしている人が多いのだけど、若い方は個性が光っている。文章がみずみずしくて、発想も面白い。そして合評のコメントも、隅々まで真面目に読んでくださっていて、鋭い指摘をしてくれる。たまたま出会った人がそうなのかもしれないけれど、バカなどと呼ぶのはとっても失礼である。むしろ尊敬に値する。

母が参加させていただいた、注文を間違えるレストランを担当してくださった学生さんも、計画から実行に移すまで、畳み掛けるように、アイデアを出し、地域の協力を募り、自分たちの力を出し尽くす。これを誰がバカと呼ぶだろう。

3年寝たろうはずっとバカだと思われていた。でも実はそうではなかった。寝ている間に実力をつけ、力を溜めていたのだ。

バカに見えても、実際は思慮深く、考えをめぐらしているために、無反応に見えることもあるかもしれない。見えないところで、色々な活動をして学んでいる可能性もある。

 

一部の人の、その時に出会った時の印象だけで、バカと呼んで良いのだろうか?

一部を見ただけでは、その人のことの全てがわかるわけではない。

 

だけど簡単に、ある集団を総称して、偉いとかバカだとか冷ややかに言うのは間違っている。

おそらく、それをいう方々は、自身の持論を展開するために、一部の学生がバカでなくてはならないのだ、と私は認識している。

 

では、バカとは一体誰のことだろうか?

私は

バカとは、人をバカ呼ばわりする人のことだと思う。

 

昔の人も言ってました。

バカ言うもんがバカ

 

 

 

 

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夏のすき焼き

2019-07-30 07:52:56 | ぼやき日記

すっかり定番になった夏のすき焼き、今回は割下を作ってみました。国産牛が100グラム168円、みてごらんの通り、価格通りの味ですが、でも元気になりました。高いお肉は母が戻って来てから食べることにします。

熱は下がっていますが、咳が残っております。私の場合、急に喘息のような咳が出るのです。昨日は咳のしすぎで身体中が痛みました。

 

文学学校も夏休みに入っております。昨年は、文校ロスになりました。今年は、色々身の回りに起きたので、ロスになる暇がないようです。

昨日は小学校の規律を守らせる教育法を心配する著書が出ていると新聞記事を出して問題提起されたのを受けて、全てではないけれど、規律は何か理由があって始まったものの可能性が高いと発言しました。最初投稿者の記事の掲載意図がはっきりわからず、質問したのですが、噛み付いたように見えたかもしれません。

子供を統率するために、規律で縛るのはよくないですが、規律正しいことは悪いことではないと思います。

学校は安全に子供を見守る責任がありますから、廊下で静かにするとか、走らず歩くように求めるのは事故を起こさないためです。

気持ちいい挨拶は、一日が幸せになりますし。校舎に登下校時に挨拶するのも大事なことのように思います。私も、アスリートは必ず競技場に一礼して入るのを見たことありますし、実家にある自分のキッチンに入る時は一礼します。良いことのように思います。

 

履物を揃えるとか姿勢を正すとか、お茶碗にご飯粒を残さないとかそういう細々したことは、本来は家庭で行うしつけの範囲です。それを学校で実施すると窮屈すぎて学校に行きたくないと言う子供をどう指導すべきなのでしょうか。しつけの部分も、学校が担うのであれば、先生のご負担は相当なものでしょう。

規律で縛るとのびのびできないことを心配されていますが、しっかり褒めることをすれば心配ないと思うのは乱暴なのかなあ?

私の場合は、夫婦で子供を縛っていましたから、学校よりも家が厳しくて、学校の方がのびのびできたようですが。そういえば、あまり褒めてやらなかったです。悪い親ですね。

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弱気になっている場合ではないのですが

2019-07-29 06:50:52 | ぼやき日記

今回の参議院選挙で重度身障者が国会議員になったことに関して、世界でも例を見ないこの快挙と大喜びしていらっしゃる人がいて私は一人冷めています。

私の大切な友人のお一人がやはり重病で療養中なのですが、私はその方を議場に送ろうとは思いません。それよりも、健やかな環境で、一日でも長く、苦痛なく、幸せに過ごしてほしいと思うからです。その方が、世の中を良くしようと働きたいと強く希望されるのならどんなことがあっても応援するとは思います。ただその時であっても、実際に立候補するのは、その方のお身内や友人に代弁者になってもらうことが可能ならそちらを熱望すると思います。だってできるだけ長く生きていてほしいからです。私が一番辛い時に優しく声をかけてくださった大事な人なのですから。

日本がそうした重度の身障者を国会に送ったことが本当に快挙なのでしょうか?もしかしたら、もっと福祉が行き届いた国なのであれば、重度の身障者は立候補しなくてもご自身の考えを政治に反映することができていたり、代弁者と言われる方が、意見を代弁してくださったりしているのではないかと思うからです。

重病のご本人が立候補される状況を産んだということは、よほど日本の政治が民主主義を脅かすほど危機的状況でそれををどうにかしたいという強い思いだったかもしれません。ご自身の生命をかけておられると思うと、つらくなるのです。

治療と療養が必要な人を議場に送るようなことにならない政治の実現の方が大切なのだと逆に思ってしまうのです。

日本がかなりの危機的な状況であるなら、おそらく議場を改装して、バリアフリーにすることもしないはずなので、まだ日本は法治国家としてはまともなのだと少し安堵しました。

ただそんな理由で、この度の快挙と言われる記事を手放しで喜ぶことができない私がここにおります。重い病気のことを私なりに理解しているつもりです。少しでも長く生きていたら、良い治療法が見つかって、快方に向かうと思うからです。

東北旅行から戻った翌日、母がショートステイ先で転倒いたしました。手術してリハビリの治療に入ります。皆様に励ましの言葉をいただいて、これから母を支えて、どうにか元どおり歩けるようにしたいと思います。

やる気になっている私が風邪でダウン。発熱と、喉の痛み咳に見舞われております。

手術は水曜日なのでそれまでは集中治療室におります。面会時間は十五分程度。母にはしばらく会いに行けませんが、なんとか体を回復させて、頑張ります。

画像は、苦し紛れに作った、焼きカレー。それ以外にはリゾットを作って食べています。

 

 

 

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岩手の旅7 地元グルメを総括してみました

2019-07-24 09:36:06 | ぼやき日記

岩手で美味しいものはたくさんあります。南部牛追歌があるように、牛がいるんですね。一日目の旅館んで食べたのは、前沢牛のしゃぶしゃぶでした。撮影するのを忘れたのですが、最後に出てきた、野菜がたっぷり入ったすいとんがお肉より美味しかったです。それと、海藻と大根の釜飯。夢中で食べて写真に撮り忘れたのが残念でたまりません。

それから、一関の和風餅セット。餅がとにかく柔らかくて美味しいのです。

でも岩手の名物は、やはりこれでしょうね

わんこそばです。このお店は平泉駅のすぐそばの芭蕉庵。横に女性がいて、次々入れてくださって、蓋をするタイミングを忘れると、必死で食べないといけなくなるスリリングなものではなく、自分のペースでゆっくり味わって食べることができます。

以前に盛岡に行った時に食べた椀子そば店では、五歳の長女は、どんどん入れてくる女性をすごい目で睨みつけていました。そんなことを思い出しました。

 

盛岡では冷麺を食べました。スイカが入っているのが特徴です。麺にコシがあって最高です。

 

二つ前の投稿で紹介しています。宮沢賢治記念館のそばの、山猫軒のホロホロ鳥のチキンカツ定食です。こちらのお店は、他にも美味しそうなものがありましたが、胃袋が一つなので断念するしかありません。

岩手のお米が、石見のお米よりも少し粘りがあります。そして、ご飯のお供もたくさんあり、ついついたくさん食べてしまいます。

今回はお伝えしませんでしたが、東北には温泉もたくさんありました。一日目は平泉温泉、二日目には、日帰りで、花巻温泉のバラ風呂に入りました。三日目はなんと駅前のビジネスホテルの最上階に大風呂があり、朝入りました。なぜか得した気分になりました。

関西からは、空路を使えば、東北は遠くないことに気がついたので、今度は別の場所に行ってみようと思っています。

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岩手の旅6 花巻で出会ったもう一人の偉人 新渡戸稲造

2019-07-24 08:48:46 | ぼやき日記

南部藩に使えた新渡戸家は、昔から、高潔な人格を誇りとして生きた来た方々です。そんな中で生を受けた新渡戸稲造は、日本の素晴らしさを理解した上で、太平洋の橋渡しをすべく尽力します。

まさか、花巻で、この人のことを知るとは思いも寄らず、訪れた記念館でした。

明治維新によって日本は近代化を推し進めたのですが、その中で新渡戸稲造は、農業技術を学びながら、英語力を鍛え、海を渡りました。

日本の素晴らしさを、海外に伝えるとともに、国際人とし活躍しました。

彼の著書 武士道は様々な言葉に翻訳されて、世界中の人に読まれました。

 

学ぶということは何を意味するのか、

我々は学んでいくとともに、心を鍛えているだろうか? 頭でっかちになっていないだろうか? 私利私欲に走っていないだろうか?そんな子供を自分たちが育てていないだろうか?

立ち止まって考える必要があると感じました。

彼は、人より多くのことを学んだ後、経済的な理由で学業を断念せざるを得ない人たちのために、夜学の学校を開きます。アメリカ人の奥様も協力を惜しみませんでした。

 

今の日本は格差が広がりつつあると皆は心配していますが、当時はもっとひどい格差社会です。しかも世界的にも日本は認知されていない国でした。そんな中にあっても、やる気のある人には等しくチャンスを与えようと動いた人たちも数多くいました。

それを思えば、今の方が、やる気になればなんでもできる気がします。

 

私の年代は、日本はダメな国だから戦争に負けた、アメリカは自由で素晴らしい国だから、見習うべきところがたくさんあると育ちました。何かにつけて、日本はこんなところがダメと行ってしまう傾向があります。

日本はダメじゃない。有史以来培われた、日本人の心は素晴らしいものであることを、新渡戸稲造は認識していて、それを世界に広めたのです。

 

日本が、満州事変により、大陸に進出を果たし、世界の中の立場が悪くなったことを心配して、新渡戸稲造は奔走しています。最後は会議で訪れたカナダで体調を崩し客死することになりました。

あの時、何人もの有識者は、アメリカとの開戦は避けるべきだと主張していたのに、なぜ開戦に至ったのか、胸が痛みます。もう少し彼が長く生きていたら、避けられたのでしょうか?そんなことを、帰りの飛行機の中で考えておりました。

 

 

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岩手の旅その5 花巻・宮沢賢治記念館

2019-07-24 08:31:18 | ぼやき日記

東北は雲が覆っており、天気が思わしくないので、最終日は八幡平の方面は断念し、花巻の宮沢賢治記念館でゆっくり過ごしました。宮沢賢治は、多才な人で、文学の才能も芸術の才能があります。しかも農業学校で学んで農業技師としても真面目に取り組み、地元の人のために貢献しました。しかも宇宙にも鉱物にも詳しく、宗教も熱心に勉強していたようです。

本人が演奏していたチェロ、イギリス海岸(北上川の河原)の写真、自身が作った曲やイラスト、そして絵本の自筆の原稿、目の形に設計した庭のイラストなど、独特の幻想的な世界が見て取れました。

そんな中私が最も気に入ったのは、電信柱の絵でした。原画が記念館に展示されていました。上の画像は、絵本・月夜のでんしんばしらとして出版された、別の方が原画を見て描かれたイラストです。でんしんばしらのなんとも言えない物悲しさが原画にはありました。

同じ敷地内には、注文の多い料理店に出てくるあのレストランがありました。なんと創業は昭和五十八年だそうです。

孫と私は歓迎されるべき客です。

ホロホロ鳥のチキンカツ定食を食べてみました。中にとろけるチーズが入っていて柔らかくてあっさりしておりました。

この後はまた驚く発見がありました、続きは次の投稿で

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岩手の旅その4 平泉・中尊寺と 江刺藤原の郷

2019-07-24 08:21:20 | ぼやき日記

毛越寺から中尊寺に向かいました。私はどうしても一番に気になるのが、松の枝ぶりです。本堂が後ろに隠れてしまいました。

中尊寺で詠んだ芭蕉の句碑もありました。

そして、撮影はできませんが、見事な金色堂を孫に見せることができました。下に藤原氏の遺体が保管されているお墓の意味があるというと、ミイラが出てくるのかそればかり心配しておりました。

金色堂は、雨ざらしの状態になった後、外を覆うお堂が作られました。主に仙台藩が保護に努めたようです。以前に金色堂を覆った建物です。

その後訪れたのは、大河ドラマのロケ地として使われている、江刺藤原の郷です。平安時代や室町時代のロケに使われています。

トリックアートもあります。孫はこちらの方を喜んでおりました。

そして日本庭園の中の池には鯉がおり、餌をあげることもできました。こちらの鯉は、ものすごく食欲旺盛なのか、普段餌をもらってないのかわかりませんが、陸に上陸してまで食べようとするので孫は、建物よりそちらの方を喜んでおりました。

 

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岩手の旅その3 平泉・毛越寺

2019-07-24 07:13:26 | ぼやき日記

バルセロナオリンピックの年に、東京から車で、家族の三泊四日の東北旅行に行きました。その時のスケジュールはタイトすぎて、みんなヘトヘトでした。娘は年中、息子は1才でまだ離乳食が必要でした。

三日目は、朝、小岩井牧場で遊んで、お昼に盛岡でわんこそばを食べた後、平泉まで85キロほど東北道を南下して、三時前に中尊寺に着き、金色堂をみました。この時点で、すでに午後四時を回っておりました。それで私は毛越寺に行くの断念すべきだと主張して、すぐに仙台に向かうように主人に進言しました。それは正解で、秋保温泉の宿に着いたのは八時近くでした。

しかし、そのあと、主人はあの時にお前のせいで毛越寺に行けなかったと何かにつけてぼやきました。我々はいつか行けるだろうと思いながら、主人は他界しました。

それで、おととい、行けなかった主人の代わりに毛越寺に行ったのです。

 

地元のガイドさんにお願いして、説明を受けました。丁寧でわかりやすくて勉強になることばかり。

 

中尊寺と毛越寺は円仁という人が開いた、立派なお寺です。毛越寺は残念ながら火事で消失していたので、本堂は最初にあった場所とは違うところに再建されました。奥州藤原氏は、当時、金によって繁栄し、それで得た財を、武力強化には費やさず、地域のために使っていたそうです。仏教保護にも力を注ぎ、二つのお寺は立派なものでした。毛越寺は極楽浄土をこの世に作ろうとしたものであり、寺の伽藍の前に池を作りました。池は、発掘されて、当時の姿のままあります。池の敷石もそのままです。建物があった場所には、柱があった場所に石が置かれていて、遺構を見ることができました。

境内には、奥の細道で訪れた松尾芭蕉の句碑もありました。

 

 

雨混じりでしたが、池を歩いているときは止み、池に周りの景色が映ってとても綺麗でした。私は主人の写真を出して、みてもらいました。

「これで長年の思いを果たせましたね。きっとご主人は喜んでくださっていますよ」

ガイドさんが言ってくださいました。

毛越寺のシーンを二年前の小説にも書いています。やはり実際に行ってみないとわからないことが沢山あります。来て良かったです。 

 

 

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岩手の旅その2 猊鼻渓と厳美渓

2019-07-22 03:57:19 | ぼやき日記

午後は厳美渓と猊鼻渓に行ってみました。景色はこの後ご紹介いたしますが、猊鼻渓では、船に乗って上流にいくことができるのですが、船には、小さい魚や、カルガモが、餌をもらおうと寄って来ます(専用の餌が売られている)。その中に、金色の鯉がいました。なんと、平成に活躍された、百歳の双子のおばあちゃん・きんさんぎんさんのきんさんが平成6年に放流された鯉の稚魚が成長したものでした。たまにしか姿を見せてくれないそうですが、昨日は船に寄って来てくれました。驚きですし、幸運です。

そして、

高校生が、舞川鹿子躍を河原で披露してくれました。昔にも有名なデザイナーがいたのでしょうね。オシャレな衣装です。

これが厳美渓

 

最後は猊鼻渓

女性の船頭さんの舟歌も聴かせていただいて、楽しさ満載の午後でした。夜は平泉町に泊まりました。

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岩手の旅その1 一関市立博物館

2019-07-22 02:54:11 | ぼやき日記

三年前から、興味を持って調べ始めた江戸時代に盛んだった和算。詳しく調べて展示しているという一関市立博物館についに行くことができました。上は算盤と算木です。5次までの方程式を表すことができますし、この盤を使うと平方根も開けます。

一関市は、1700年代に関孝和以降、数々の和算家を輩出して来た地のようです。一関出身の千葉胤秀が算法新書を書き上げ博物館でも展示してあります。難問を解くことに江戸時代の庶民も夢中になっていたようです。問題ができると算額にして神社に奉納していたのです。それがこれ

この博物館は和算に挑戦!という取り組みをしていて、毎年、和算書から問題をピックアップして、初級、中級、上級の問題を出しています。全国から多数解答が寄せられているのです。それを集めた和算に挑戦という問題と解答集はすでに売り切れになっておりました。

和算書に書かれてある問題をわかりやすく紹介してありました。私がもっとも苦手なのは、計子術(ままこじゅつ)です。

 2色の玉を混在させて並べて、最初から数えて、決められた数のところにある玉を除いていくものです。最後に自分が残るようにするには、どこにいたら良いのでしょうか。というものです。和算書・塵劫記に継母が自分の子供に財産を相続させるために仕組んだ話が書かれてあります。

円をつかった図形問題が多いように感じますが、問題は多岐にわたっています。

そして、驚いたのは和算だけではありませんでした。一関の大槻家は代々優秀な学者を出していますが、際立ったのは二人。

一人は大槻玄沢という人です。杉田玄白に弟子入りした優秀な蘭学者でした。

面白い資料が展示されていました。

六物新志には、日本では知られていないものが紹介されています。

特にオランダ料理は、面白いです。すみませんピンボケ

最後に、大槻文彦氏も一関市出身です。

言海という国語辞典を編纂した方でした。思いがけず立派な人に触れることができました。

今日の日本の頭脳はこうした、方々によって、高められていたのですね。感動いたしました。

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7月18日のがんばらない夕食 オススメは親子丼

2019-07-19 06:50:26 | ぼやき日記

昨日のがんばらない夕食は親子丼です。フジッコトマト(フジッコ昆布を載せるだけ)を添えます。

親子丼は、本来は一つずつ親子鍋で作りますが、私は大きなフライパンに家族分一度に作ります。フライ返しを使って盛りつければ簡単です。

 

讃岐系のうどんをいただいたので、昨日のブイヤベース風のスープに入れて、「ブイヤうどん」を作ってみました。少ないスープになりましたが良いお出汁と絡まって美味しくできました。

 

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肉詰めピーマンを作りました。取り除いたタネは?

2019-07-18 09:03:18 | ぼやき日記

ピーマンのおいしい季節です。四万十産を買い、肉詰めを作りました。

くりぬいたタネは、レシピでは捨てるとあります。だけど昨年、永平寺に行った時に学んだことは、食材のえこひいきをしないことでした。タネだけ捨てるのはできるだけ避けたいと思い、工夫してみました。

くりぬいたタネ、6個ぶんに、紅生姜、刻みネギ、イカのげそ(細かく切る)、片栗粉、卵一個、白だし少々を入れて、スプーンで救って、肉詰めピーマンと一緒にフライパンで焼いてみました。タネには苦みなどは一切なく、ピーマンの身ほど主張がありません。

最近ピーマンを使うときは、タネも一緒に使うことにしています。

昨日は、孫が夕方いてくれて、おばあちゃんと昔の歌を一緒に歌ってくれましたので、その間に料理を作ることができました。

あと二つほど

ブイヤベース仕立てのトマトスープとキャベツの浅漬けです

キングサーモンの切り落としが、400グラムが半額で150円これに冷凍していたイカの足を入れて、セロリと玉ねぎとしめじと、トマト缶詰を使ってスープにしました。

キャベツの浅漬けは永谷園の粉末タイプのものをふりかけてビーニール袋の中に入れて冷蔵庫で冷やします。

参議院選挙は行われ、選挙活動も活発です。入れる人がいない、入れる政党がないと言うぼやきが聞こえます。それでも、自分ができる限りの情報を集めて、誰に投票するかを決めるべきだと思います。白票を出したとしても、やはり投票所に足を運ぶことが必要な気がします。国民を政治から遠ざけて、政治に関心を持たせないようにして自分たちの思うようにしようとする意図が働いていることが、以前古株の政治家の先生の発言で明らかになりました。

演説やパフォーマンスの上手な人に流されてしまうのが我々ですので、そのことも心して考える必要がありますね。

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滋賀のお土産を使って食べた夕食

2019-07-18 08:57:39 | ぼやき日記

近江今津港で買い求めたお土産です。小鮎の佃煮と、とうふこんにゃくです。

とうふこんにゃくはサラダにしました。小エビの唐揚げと小鮎はおつまみ。メインは、頑張らないカレーライスでした。

とうふこんにゃくはわさび醤油でも美味しいです。

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この時期にもってこいのレモンしゃぶしゃぶ

2019-07-17 10:22:23 | アイデア料理

先日、木下昌樹さんが、フェイスブックで、レモンしゃぶしゃぶを食べたと投稿しておられたのをみて、早速作りました。出しは中華スープの元と白だしとお水です。レモン一個分を入れて沸騰させました。

あとは、季節の野菜を入れて、今回はしゃぶしゃぶ用の豚肉を入れました。爽やかなレモンの風味がたまりません。レモンから苦味が出ますので、途中でとります。

ラー油とか、コチジャンをつけて食べても美味しいです。

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滋賀の旅

2019-07-16 08:40:37 | ぼやき日記

7月14日、文学学校の合宿で、滋賀県の西部に行きました。翌日の朝解散になり、

写真は海津の石積みです。江戸時代に西与一痤衛門という代官が、住民のために、お上に陳情しお上のお金で、立派の石垣を作りました。

https://biwako-genryu.shiga.jp/?p=330#mce_temp_url#

立派です。約1キロメートルに広がる石垣の建設費は当時のお金で銀6貫19匁5分だったそうです。

この辺りは、加賀藩の蔵屋敷もあったり、造り酒屋や醤油屋もあって、昔から賑わった場所のようです。昔風の街並みが残っています。

この後、近江今津港から、船に乗り、竹生島へ渡りました。

竹生島は、お寺と神社のある島で、パワースポットでした。なんとかわらけ投げについては、鳥居の中をくぐるように投げるのが目標でしたが、なんと4枚中2枚が成功という嬉しいものでした。

舟廊下は有名で、他のお寺にはない作りでした。

 竹生島は、今津の側から見ると、ひょっこりひょうたん島のように見えました。港に降り立つと、いきなり急な石段を登ることになります。ダイエットには最高です。

海の日でしたので、キャンプに訪れた人が、早朝から湖水浴をしておられます。時代劇の、海岸のシーンは、琵琶湖湖畔で撮られているということも聞いて驚きました。

一番驚いたのは、滋賀県の面積の大半を琵琶湖が占めていると思っておりましたら、なんと琵琶湖は全体の6分の1程度であるということ。琵琶湖の存在感がすごすぎたからです。知らないことが沢山あります。

 

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