私は憲法改正派という言い方が嫌いです。憲法改正という言葉は、憲法のどこかの条文を変える行為のことで、具体的にどこをどのように変えるのかということが伝らないからです。
例えば、憲法9条のこの条文をこのような内容に改正するのに賛成か反対かというのは理解できますが、ただ憲法改正というのはおかしいと思うのです。
今現在で憲法改正といえば、一般的に憲法9条の自衛隊の部分を改正することをさすのだと言われても、やっぱり違うと思います。言葉で限定していないものを勝手に受け手が解釈しているわけですから。
それに、9条の改正を推進する人はタカ派と言われますが、それにも違和感があります。改正後に条文をこうこうこのように改正しようとしている内容が交戦的でそれを推奨する人がタカ派ですというのならわかります。
それとハト派の人、
憲法改正反対=ハト派ですか?
これも違和感があります。曖昧な言い方でしかありません。
私は若い頃完全なハト派でした。それは、絶対に戦争はいや、平和を求めたい。そして自分が武器を持って戦うなど絶対反対という人間でした。たとえ隣国が攻めて来てもそれはその国の運命として諦める。そういう人間を一人でも増やして、世界中に広がったら世界は絶対に平和になると思っておりました。おそらく全世界の人が、戦うことをやめたら平和がもたらされるでしょう。
ハト派には覚悟が必要です。どこの国が攻めて来てどんな理不尽な目にあっても、迫害されても構わないという覚悟です。本当に完全なハト派なら、憲法を改正して、自衛隊の条文を全て削除し、自衛隊を解散すべきでしょう。
今の私にはその覚悟がありません。そうなるとどうすべきなのか?何もしない相手には攻撃はしないけれども、相手が攻撃して来たら、自分の身だけは守りたいので戦うべきと思ています。若い頃の覚悟はありません。だからハト派にはなりません。
平和で過ごすために何をすべきなのか。答えを出すのはとても難しいことです。それは相手がいるからです。ヨーロッパはEUを作り、仲良くやっているように見えますが、長い戦いの歴史からの教訓で、嫌いな相手ともちょうど良い距離を保って刺激しないようにうまくやっているだけなのです。同じ国の中でも考えが異なり対立しているわけですから。
異なる思想の国と仲良くなるのは難しいことです。均衡を保ち、戦わなくて済むためにできる方法は何なのか。完全なハト派になれない人間は悩んで答えを出さなくてはいけないのです。
だから、憲法改正反対。憲法九条を守ると主張する人は、自分の曖昧さを認識し、完全なハト派になる覚悟を持っていただきたいのです。それなら何もいうことはありません。完全なハト派になれますか?とお聞きしたいのです。
朝、小池百合子氏は憲法改正派だからタカ派だというジャーナリストがいらしたので、踏み込んでコメントしました。小池百合子氏の考えをできるだけ正確に報道してから国民に考えを問うようにしてほしいと思ったからです。憲法改正という言い方は取り扱い注意項目であると思いますが、いかがでしょうか?
画像は浜田市旭町の梨です。甘いです。友人が送ってくれました。今日も母が美味しそうに食べていました。