マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

強い自我(ビッグエゴ)とエゴイズムについて

2024-11-23 06:31:39 | ぼやき日記

 私が高校二年生の時の文化祭で、茶道部による、お茶会が催された。一教室に、赤い毛氈を引いた長椅子が用意され、そこに十名ずつ座る。最初にお運びのスタッフが、懐紙の上にお菓子を乗せ楊枝を添えて持ってくる。その後、お抹茶が振る舞われる。

 人気の催しで、私がのぞいた時は、順番が来るまで、教室の端に用意された待機用の椅子に案内され、二グループが終わるぐらい待つことになった。見ると、茶席に座った生徒全員が、最初にお菓子を半分だけ食べ、半分のお菓子を一度横に置いて、お抹茶を飲み、飲み終わってお茶碗を返した後、残りの半分のお菓子を食べて立ち去るのだ。私は不思議な光景に驚いた。その当時正式なお点前は習っていなかったけれど、お菓子とお抹茶の飲み方は、親から教えられていた。

次の十名も、前の生徒に倣い、疑いもなく菓子を半分だけ食べて、お抹茶を飲み、残りの半分を食べることを繰り返していた。お運びのスタッフが、正しい作法を教えてあげたら良いのに、なぜか何も言わない。私の順番が来たので、親に習った通り、最初にお菓子を全て食べ、抹茶が来るのを待っていたら、隣の友人が、小声で私に囁いた。

「なんで、全部食べるん?」

「みんななんで、半分だけ食べるん。お菓子は最初に全部食べて、最後にお抹茶をいただくんよ。多分最初の人が間違った食べ方をしたから、みんな真似したんだろうね」

 私も小さい声で言い返した。

「ええっ。ちーちゃんの方が違うんじゃないの」

「みんなが同じことをしているから正しいように見えるけど、絶対変だよ。半分だけ食べる方が変だよ。私のする通りにしんさい」

 私は声を荒げて主張した。周りは、最初にお菓子を全部食べる友人と私に不思議な目を向けている。私が思い出すのに、私の前の数十人のうちの何名かは、疑問を感じながら、周りが皆間違った作法をしているけれど、一人だけ違う行動を取るとることはできなかったのだと思う。私は、略式点前であるが、何度も抹茶とお菓子を食べていたので、周りは気にせずいつもと同じ作法でいただいた。

 たかだか、お菓子とお茶の食べ方だから、単なる笑い話で終わる。だけど、大多数が生死に関わる大きな間違いを犯していたらどうすべきか。大勢が違う行動をとっている中で自分一人だけ、それは間違いだと言うのには勇気がいる。なんで?どうして?と聞かれた時、堂々と間違いだと説明できなければならないからだ。強い意志が働いていないと、大勢の人の圧に負けてしまう。東北大震災の時、高いところに逃げようという意見を退けて、川べりを逃げたために多くの被害者を出した大川小学校のことはまだ記憶に新しい。災害時はそれぞれが正しいと判断して自分の意思に従って行動をすることが正しい言われている。

言語学者のチョムスキーの言葉を見つけた。

もしあなたが孤立して、世の中の誰とも全く違っているとしたら、自分の気が変になったか、どうかしたに違いないと思い始めるでしょう。あなたが他の人々と何か違ったことを言っているという事実に負けないためには、強い自我(ビッグエゴ)が必要です。何を信じ、何をするかはあなたが決めるべきだ 

 

 強い自我(a big ego)を持つとは自分の信念がはっきりしていて、意志を貫こうと押し出すことである。チョムスキーは強い自我を持つことの大切さを説く。

 

 日本人は、大勢の前で自分の意見を述べることに慣れていない。そしてマスメディアや政治家、国家の主張を短絡的に受け取りすぎている。だけど権威にすがることは自ら考えることを放棄することを指すことである。

しかしながら社会の中で生きている我々は、多くの人と助け合いながら生きなければならない。取るに足らないことに関しては、自分の意見ばかりを主張せず、周りに合わせる方が上手くいくことは経験的に知っている。とるに足りないことは、周りの空気を読んで行動する方が、仲良くできる。

 自己主張を繰り返し、わがままを言って周りを不愉快にさせることは、利己的な行為でエゴイズムである。これは強い自我(ビッグエゴ)とは別に考えるべきである。

強い自我を実現するためには、大量に入ってくる情報を無条件に取り入れず、自分の頭で考え、決断し、実行することが大切なのだ。優先するのは国家の利益ではなく個々の利益であるべきだ。求めるものは人権の保護、個人の自由の実現である。それさえ間違えなければ、明るい未来は十分期待できると私は考える。

以上のエッセイは、私が11月7日に大阪文学学校の合評に出した。

 

今回行われた兵庫知事選挙は、何が正しのか間違っているのか明白になっていないまま、さまざまな情報が飛び交った。その中で自分はどういう決断をするべきか、悩んだ人はおおい。最終的には、自分が見聞きした情報をできるだけ正しく受け止めて、決断を下す必要があった。マスメディアの報道は時として、見えない力によって、思わぬ方へ行くことがある。それを補うのはネットによる情報である。

私は、身内が被爆者であり、戦争体験者であるので、誰よりも平和を願っている。そして一人のリーダーが権力を持ち国家を思うままに動かし、しいては、個人の自由を奪ってしまうことだけは避けたいといつも考えている。

ヒットラーが政権を掌握したのは、民主主義によるものであったけれど、その後は、ご存知の通り、プロパガンダによって、戦争へ国民を追いやり、多くの人々が犠牲になった。

マスコミュニケーション(マスコミ)によって生まれた世論は、取り扱いを間違えると多くの人を傷つけ、不幸にする。

日本を太平戦争に向かわせたのは、軍部や政治家だけではなく、当時の新聞による世論の喚起もある。親の話を聞くと、日本は勝てると最後まで信じていたという。

今、マスコミは、岐路にある。若年層は、ネットによって多くの情報を得ている。そういうわたしも、お料理のレシピはネットから入手している。だけど、鵜呑みにはしていない。自分で実際に作って確かめて、他の人に伝えることにしている。私の料理レシピは私のフィルターを通して発信する。やはり、自分の良心に従って、人を幸せにするための投稿にしたいと思う。

チョムスキーが心配するのは、力を有する発信者の情報を鵜呑みにすることである。

私は今回の兵庫県知事選挙においては、少なくとも、私なりに考えて決断できたと思う。

画像は昨日作ったおでん。

 


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