夕方のご飯支度が思うようにできない私。この日は、朝、鯛ご飯を炊きました。夜は冷蔵庫の中の材料で作りました。
納豆とじゃがいも、豚肉、玉ねぎの入ったスペイン風オムレツ
とろろ昆布入り、にゅうめん、刻みミョウガトッピング。
自家製ラッキョウと福神漬け
なんとか格好がつきましたが、料理研究家の食卓とは言えませんね。
母がデイに出かけている間に、ラッキョウを漬けました。昨年のは、半分は柔らかくなってしまいました。
今年は色々アドバイスいただいたので、きっと美味しくできるはずです。
夕方のご飯支度が思うようにできない私。この日は、朝、鯛ご飯を炊きました。夜は冷蔵庫の中の材料で作りました。
納豆とじゃがいも、豚肉、玉ねぎの入ったスペイン風オムレツ
とろろ昆布入り、にゅうめん、刻みミョウガトッピング。
自家製ラッキョウと福神漬け
なんとか格好がつきましたが、料理研究家の食卓とは言えませんね。
母がデイに出かけている間に、ラッキョウを漬けました。昨年のは、半分は柔らかくなってしまいました。
今年は色々アドバイスいただいたので、きっと美味しくできるはずです。
昨日は、母の膝の治療で尼崎の鍼灸院に連れて行きました。帰りは、杭瀬の商店街でお刺身と野菜を買いました。
お刺身は最強のおかずです。お皿にそのまま載せるだけで済みますし、家族も喜んでくれるからです。ただ問題は値段。毎日お刺身を食べていたら、家計は苦しくなります。杭瀬の商店街は、非常に内容の割にお安い価格で売られているのです。それで昨日もお刺身を食べることができました。
高校の13先輩が、お味噌汁の中に、トマトを入れたら美味しいと教えてくださり、早速入れてみました。昨年私が作った、イタリアントマトを、冷凍してあります。適度な酸味がお味噌にマッチして美味しいのです。
あとは、小松菜の煮浸し、きゅうりと水ナスの浅漬け、自家製福神漬けです。
闘病中の小林麻央さんが、お亡くなりになりました。34歳。残されたお子さんのことを思うとやり切れませんが、きっとお母様の願いが通じて、立派に成長されると信じております。
小学一年生の時、母の親友がお亡くなりになりました。その時、自分はお母さんが死なずにいてくれて良かったと思いました。ソックスを履いて寝たら、早くに親と別れると言われて、ずっとソックスを履いて寝ませんでした。母を失う悲しみは考えたくありません。それは何歳になっても同じです。
お母様はずっとお空で見ていてくださるのよ。
と、遠くからですがメッセージを送ります。
母は、デイサービスから戻って来た後、いつも夕方から不穏になります。長年、家族のために忙しい仕事を抱えながら家事にも手を抜かず頑張って来たことが災いして、自分がやらなければという気持ちがいつもあります。それが一番高まるのが夕方なのです。
ご飯は炊いている。私が炊こうか?
おかずはどうなっている。大丈夫?
それに島根の実家も気になり、
いつ帰るの?明日帰った方がいいと思うんだけど。
このことが頭から離れません。質問は、答えた瞬間に、消えてしまい、質問は繰り返されます。おまけに夕方は、トイレも頻繁になります。母は、膝以外に、背骨が2センチ外にずれているので、座り方を気にしないといけません。それをすぐに忘れるので、トイレから戻るたびに、座り方、横になり方をきちんと注意しないとダメなのです。やりたい気持ちは十分分かるのですが、私はいつも夕飯の支度ができなくなるのです。
昨日もそんな状態で、あっという間に時間は8時を回りました。私は結局母を厳しく叱責して、ソファで母はふて寝をしました。
その10分間で作ったのが上の画像、切るだけでできる鰹のタタキのカルパッチョ(ソースは、すりおろしニンニク、マヨネーズ、醤油、オリーブオイルです)、電子レンジで2分半のもやしのポン酢かけハムとすりごまのせ、作り置きの福神漬け。そして、
豚肉と野菜とはやにえマカロニのトマトソテー。野菜とお肉を炒め、塩胡椒、オレガノをふり、トマトの缶詰と水をひたひたに入れて、チーズをトッピング、蓋をして8分から10分、食卓にはフライパンのまま出します。取っ手が外せるものならベスト。
焦る私がそのまま出てしまう余裕のないおかずでした。
今日は、一日母の介護をします。膝の治療に連れて行く予定です。でも、ブログを更新できるだけまだましですね。
不穏な母を抱えての夕食作りは、厳しいです。昨日は、雨の日で、近所のスーパーが天然鯛のお刺身が半額でした。朝の残りの味噌汁に具を足して、水ナスときゅうりの浅漬け、ゴーヤチャンプルーです。
母がやたらにお醤油をつけたがるのが気になりながら、夕食を終えました。
今朝、とある女性議員が秘書を叱責しているテープが流れました。かなりヒステリックな様子をマスコミは取り上げておりました。
クレームとか怒るとかという行動は慎重でなければならないと感じます。
以前、下の子供が幼稚園の時、行事の後、役員会に出て、気になった点について質問に行き、意見を求めました。今後どう対応するかを話し合って欲しいと申しました。私は、批判でもないし、誰かを糾弾する訳ではないと話し、決して感情的になっていませんでしたし、その場では色々な人が意見を言う状況だったので、問題なく、どの人も納得して終わりました。
しかし、その中のお一人の方が、私が役員会に乗り込んでクレームを言ったと面白おかしく、私のことを知らない小学校のお母様方にお話しされていると別の方から聞きました。心無い人は、どういう経緯であったかという理由をカットして、意見を言いに来たという行動だけを話題にします。私はクレーマーで要注意人物にされておりました。
人は何かの理由なしに行動しないものですが、行動したことだけが一人歩きするのです。反省しました。結局、そういう話も含めて、数年後、ご本人に直接お話しして、お互いの誤解を解きました。私の話に耳を傾けてくださる人だったので助かりましたが、それは稀なケースかもしれません。
女性議員も怒るのにはそれなりの理由があったかもしれませんが、慎重にあるべきだったように思います。
今の私は、学習できているのは半分で、迂闊に批判的なことを言ってしまい。お叱りも受けます。
だからはっきり意見を言うときは、どういうことになっても良いという覚悟は必要と思っております。。
従兄弟が率いる楽天の応援に行って来ました。場所は甲子園。我々の周りは全て阪神ファンでした。準備して行ったのは、36センチ×36センチのフエルト製手作りペナント。娘と二人の合作です。黄色の応援の中で少しでも目立とうと必死でしたので、いつも大阪マラソンの応援で使う赤点のかぶり物をもう一つ作りました。これを頭につけました。それが下の写真。
後ろが通路だったため、後ろの方の観戦には支障がないと思って安心しておりましたら、テレビに映ったせいなのか。警備員の方から、個人的なピーアールと注意され、丁寧に謝って、かぶるのはやめました。
だけど、別に赤天は、キャラメルやチョコレートと一緒で食品名。浜田赤天というのは、別にコマーシャルにはならないはず。
友人曰く
それだけ、浜田の赤天がすでに有名になってたんじゃないの?喜ばしいこと。
前向きに考えています。
接戦でしたが、最後に、楽天は、島内とペゲーロの打撃が爆発して大量得点になり、勝利しました。次回はもっと大人数で応援に来たいものです。
今日は母のデイサービスの日です。朝母を準備して送り出しました。
ここ数年、母は、夕方が不穏になり、家にはいつ帰るのか、ご飯の用意は大丈夫だろうか?といった内容のことを、エンドレスで聞いて来ます。
夕方は私も余裕がなくなっていて、つい厳しい物の言い方をしてしまいます。
母は、
もう、生きていたくない、死にたい。
と急に悲しげな表情をします。最後は、私が、母を虐待しているような構図です。
何か集中してできることをさせてあげればいいのよ
わかっているんですが、時間の余裕と心の余裕がないときは厳しいのです。昨日は介護度の更新が終わり、お世話になっている介護の担当者に集まっていただいて今後の介護方針を確認し、情報交換する時間を作っていただきました。母のためにできることをしてくださっている皆様にはただただ感謝するばかりです。
母は今の介護内容では、かなり充実した生活ができていると思います。ただ、私と過ごす時が問題なのです。画像の通り、三月の臨床美術教室で作った作品は上が母、下が私、母の感性を、かなりの比率で受け継いでいるということがわかりました。皆バラバラの個性的な作品になるのに、なんの申し合わせもしていないのに、母と私の作品は似ています。全くの偶然なのです。
母が喜ぶもの、好きなものを誰より理解している私ですが、思うように対応できておりません。ショートやデイで少し離れてみると、母の偉大さと、自分の愚かさに気がつき、やっと冷静さを取り戻すわけです。離れている状況だと、母がどうやって喜ぶだろうかと考えることができます。
今朝も、母は出かけることが理解できないので、何度も説明、やっとの思いで準備して、デイに送り出しました。お迎えに来てくださった介護士さんが笑顔で接してくださるのを見て、ありがたくて涙が出ました。
夕方帰ってくる母に今日こそは、死にたいという言葉が出ないような接し方をするつもりです。
今年は青い梅で、シロップ煮を作ってみました。ギリギリボロボロにならずに出来上がりました。
最初に、竹串で(針の方が良いそうです)穴を15個以上空けます。水に一晩つけて、途中で水を何度か代えます。翌日、ざるに取り、鍋に水をたっぷり入れて、中火で火を入れます。アクが出てきたら、水を切ります。もう一度水を入れて、火を入れます。弱火でゆっくり温めて、アクが出てきたら、水を捨てます。3回繰り返したら、梅の8割の重さのグラニュー糖を入れてしばらく置いたら、弱火で溶けるまで煮ます。
毎年、母は梅のシロップ煮を作っておりました。父はそれを水と氷で薄めて美味しそうに食べておりました。父が亡くなる年はもう母は作れなくなっておりましたので好物を食べることができずに残念でした。主人が弱った時も、もうすでに嚥下障害で、食べさせてあげることができませんでした。
だから、美味しく食べることができる時に美味しいものを作って食べるのが大切と思います。
夏バテ防止に、母に食べてもらおうと思っています。
手作りのものを集めて、展示や販売をし、楽しいワークショップを企画したら楽しいのではないかと思いつき、五月の27、28日と開催いたしました。多くの方にご来場いただき感謝しています。
画像は東京と西宮の方の作品です。
今回は、トールペイント、布小物、手作り菓子(アコテド)、フランス刺繍で飾りました。一部を紹介します。
吉川さんのトールペイントの作品です
相原先生のテーブルセンターと刺繍のティッシュカバー
実家のアトリエ静子のソーイングチームの作品(右下は母の作品展示)多くのエプロンや頑張りタオルはすでに、すでにお買い求めくださり亡くなっておりました。
女性パティシエのアコテドさんのお菓子と アコテドさんとのコラボで作った巾着
お越しいただいた皆様には玉砂利を引き直して綺麗になったお庭を見ながらお茶をしていただきました。
最終日は臨床美術教室。一つ前のブログでご紹介させていただきました。
3年前、主人の体調不良と母の膝の治療などで 、西宮での治療が続き、実家はカビ臭い古い空き家になりかけておりました。周りの方の支えで、死にかけていた実家は、息を吹き返しました。まだ行ったり来たりの生活は続きますが、近所の方が気軽に立ち寄ってくださる憩いの空間にしていきたいと思います。
三月に母と参加させていただいた、臨床美術教室を、五月は、私の実家で開いていただくことができました。
今回は2日間のイベントの最後の日に重ねました。11名の方がご参加くださり、私は、ランチを提供いたしました。
この教室では、いつもは落ち着かない母が、集中して作品を最後まで仕上げることができます。参加者の年齢は問われず、認知症の人にも十分楽しむことができる素晴らしいものです。テーマは紫陽花でした。
11名全て、力作で、生きるエネルギーが生まれてくる作品ばかりです。次回は八月の前半に、私のランチ付きで開催予定です。
講師の吉川さんありがとうございました。
メニューは、鯛と青豆の炊き込みご飯、いのちのスープ(野菜のコンソメ)、豚ヒレ肉のウインナーシュニッテル、椎茸入りラタトウイユ、おかぽてサラダ、卵焼き、キャベツの箸休め、 アイスクリームの不思議なデザート、コーヒー
それに、連理さんから差し入れいただいた、ふきとしめじと油揚げの煮物、奈良漬
でした。
広島から参加してくれた親戚と従姉の作品も紹介します。下は母の前回の作品です。春の山でした。
先日ご紹介しました、恩師の古希の記念誌の中に寄せられた随想録の一つに、高校時代一緒に生徒会活動をしていた友人の自叙伝があります。
この内容は、彼の言葉をそのまま引用すると、山陰という風土で培われた、忍耐強く勤勉で誠実な気質を痛々しいまでに貫き通してしまう彼自身の記録です。
涙なしには読めないものでした。男性的な文体は、最低限の修飾語で語られていることもあり、臨場感あふれ、まるで自分自身が体験している気持ちになりました。なんども拳を握って、怒りを覚えることもありました。
この文を後輩に見せて読んでもらいましたら、
中島敦の李陵を思い出し、読みたくなったと返事が来ました。中島は明治生まれの作家で、戦前に没している人でした。私も本をすぐに手に入れて、読んでみました。
彼の随想録は、中島の文章と重なりました。
まるで、平成になって、彼が蘇ったのかと錯覚するほどでした。いつかこの自叙伝が出版され、私の手元に届くことを願っています。
小学一年生の孫が10までの足し算を勉強している。
私の子供は、私が幼稚園時代から丁寧に見ていたので、10までの計算は就学前に身につけていた。小学館の月刊誌の付録で自然にできていたように思う。
しかし、孫は、積極的な早期教育をせず、一年生になった。算数は、全てゼロからのスタートである。
興味深いのは、我々が子供の時には全く問題にならなかったことで悩んでることだ。私にはとても新鮮に映る。
昨日の悩みは0のこと。例えば5という数字。
5は、1と4、2と3で構成される。なので
1+4=5 2+3=5
ということになる。
子供は自然数には慣れ親しんでいるので、ここまではおはじきや飴玉ですぐに理解できる。
ところが、昨日は
5を構成するのは、0と5であるということを学んで来たようだ。すなわち
0+5=5
これが理解できなかったようだ。娘はこの式を孫に理解させるのに、相当な時間をかけていた。それでも、違う数字、0+6や0+3になると、もうダメなのだ。
機械的に覚えてしまうのも大事なことではあるけれど、根本が理解できていないようだった。何もないものに何かを加えると、加えたものだけになるということが頭でわかっているけれど、数式になると混乱するのだ。
自分の時はどうだったのか? それはあまり深く考えず、機械的に覚えた気がした。
0とは一体何?
突き詰めて考えるととても難しい。孫は機械的に覚えるのがどうも好きではないらしい。
そこで、難しとは思ったけれど、ゼロのことを丁寧に説明することにした。
物の数を数えるって大事だからね。数える時のために、1、2、3、4、、、、、と数字を決めたんよ。1から始まるのよ。
それじゃあ、何もない時はどうするの?ということになった。何もないから、何も書かないでいいじゃないってみんな思ったんだよね。
でもね、ある時、何もないということも、何かの記号で書いたら便利じゃないかって思う人がいたんよ。その人はインド人だったの。
インド人は、何もない時は0に決めて、何もない時も、きちんと書いて説明しようと提案したんよ。それが0。
だから 0+5 は、何もないのに、5を加えたらどうなるの? という説明です。
で、答えは 5なのです。
インド人の人がゼロを決めてくれて、みんなはとても便利になったんだって。これから算数を勉強するのに、もっともっとゼロが大事ってわかるかもね。
一年生がゼロの概念を身につけるのは意外に難しいことわかった。なぜわざわざゼロの足し算をするのかと娘は疑問に思ったようだが、おそらく後に筆算をする時に必要だからなのだと思う。
一年生の頭は空のお弁当箱。勉強はおかずを詰めていくようなもの。闇雲にどんどん詰めるのではなくて、ある程度分類しながら上手に詰めるのも必要である。孫は、詰める前に、どこの場所にどんな形で詰めるべきか悩むタイプなのかもしれない。彼女引っかかりを評価している。