どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

一月も今日で終わり

2023年01月31日 | 日記

早いもので今日で一月もおしまい と 今日は多くの人が口にしているんじゃないかなあ

本当に早い

今週の土曜日は立春だし 寒いのももう少しの我慢(と信じたい)

今日は気温が低く 買い物に行くのはやめることにした

そうして 大したこともしないうちに一日が過ぎて行った

 

時々 一日パジャマ姿で 家事も何もせず インスタントな食事をとり ごろごろと寝て過ごしたいと思ったりする

特に寒い朝は布団の中でぬくぬくを楽しみながら そんなことを妄想する

でも それは日頃忙しく動いているひとにのみ与えられるご褒美のようなものなのだろう

今の私がそうしたところで それほどの満足感が得られるとも思えない

自由な時間を手に入れた代わりに 私はご褒美を手放したのだ

仕方ない もうしばらく 寒い朝も頑張って起きるとするか

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今日は読書で

2023年01月30日 | 日記

朝は零下

それでも昼間はそこそこ気温も上がり 散歩も考えたが 結局一歩も外に出ずに今日は本を読むことにした

著者やあるテーマに興味を抱くと しばらくは集中的に読んでしまうことがある

先日 ふとしたことから福岡伸一と彼の理論である「動的均衡」につてい知りたくなった

理由のひとつは 「利己的な遺伝子」論は古くなっていると彼が言うのを聞いたからだ

かなり昔 まだ若かった時 リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は画期的な名著として取り上げられ 私も手に取った

その半分も理解はできなかったと思うし 格別生物学や遺伝子論を学んだこともない私には反論する余地もなかったが いたるところで面白さを覚えたものだ

それっきりのまま何十年もたった

 

現象は確かに存在するけれど それをどう分析し どう解釈し どのような世界観(あるいは宇宙観?)を作り上げるのか 

私は今も理論について語るだけの知識は無いが 自分の作り上げた理論で森羅万象を語る言葉にはとても興味がある

どんな分野の登山口から登ろうとも 山頂は一つだという夢とも希望とも信仰とも思えるような気持ちはまだ失ってはいない

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い抜き言葉

2023年01月30日 | 日記

いつものように朝風呂に浸かりながら本を読んでいたら あれ?と思う文章に出会った

「・・・書き換えられてなければ・・・」

「書き換えられてなければ」ではないのか?

これってどう違う?

そういえば 「やってられない」と「やっていられない」は ニュアンスこそ多少違うが意味は同じだよなあ

ちなみにこの文章は大学教授も務めたひとのエッセイである

思い出すに自分でも文章を書いている時に ん?と思って何度か「い」を入れた文章に書き直したことがあるような(あるいはこのほうが感情が出てると思ってそのままにしたり)

 

「ら抜き言葉」が言われて久しいが「い抜き言葉」もあるのか・・・

そう思って検索してみたら ヒットした

口語としては成立するし 時としてそのほうが効果的なこともあるから それであまり問題視されてこなかったのか 私自身も話し言葉の時は違和感を感じることはなかったと思う

それが文章の中で使われた時には 何か落ち着かない感じを覚えたのだ

やはり書き言葉としては避けるべきなのだろう

ちなみに 「旨い」を「うまっ」と言うのは これも「い抜き言葉」のひとつなのだろうか

日本語ってすごっ!!

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母の命日

2023年01月28日 | 日記

母の命日

家事を終えてからいつものノルマに取り掛かる

今日の絵日記は母の似顔絵

両親の似顔絵をいつからだろうか 命日と母の日・父の日と誕生日 年に三回も描くようになり 自分でも90%満足できるまでになった

これならふたりに見せても怒られないだろう

 

昼近く 昨日作った料理を盛り付け あるいは温めて準備をする

父が生涯食わず嫌いで食べなかった 母にはお気に入りのピザを焼けば 出来上がり

私ほどの年齢であれば 両親への思いはあるにせよ 自分の作った家族への思い その家族との時間が何よりも大切な物になるのだろうに

私はいつも親に問いかけ してあげられたことよりも してあげられなかったことやしなかったことのほうを数えてしまう

特に母は昨今の平均寿命からしたら早かったこともあって あと10年生きていたらどうだっただろうか

夫を失って気落ちしてただろうか その後の手続きなどを一人でできただろうか 私と二人 どんな生活になっただろうか 母を連れてお墓掃除に行けただろうか 姉が夫を亡くしたことに心を痛めただろうか 無意味な思いが無駄に渦巻く

父の腕の中で 父に見送られて逝ったことは 母にとっては幸せなことだったのか

何も訊けなくなった今 私はどれだけ母の事を知っていただろうかと思ったり いや 誰かを何もかも理解することなんてできないのだとも思ったり

 

まっ 私は元気にやっているからね

元気でいる限りは 毎年この日に同じようなことをして年を重ねていくつもりだよ お母さん

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雪は降るのか

2023年01月27日 | 日記

朝の低温も平年並みに戻るようなので 今日は5時起床

明日の料理の準備が長引き 終わったのは11時になってしまった

別に法要があるわけでもなく 半ばこれを口実に美味しい飲食をしようという魂胆だけれど でも 母との約束通り 金平ごぼうも沢山作った

今日は雨か雪が降るかもしれないという予報で 午後からは曇り始めたのだが 空からは何も落ちてこない

降ったら大変なことはよくわかっているけれど ちょっと銀世界も見たいし それに一日だけなら雪かきもしたいななんて 大雪で困っているひとの前ではとても言えないことを考える

立ちっぱなしで数時間頑張ったし ノルマを終えたらもう夕方

今日は早めに休もう

明日の朝 白い世界になっているかなあ

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