どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

こどもの日・母の日

2011年04月30日 | 日記
連休二日目 まずまずのお天気である

今日は台所の掃除の日

冷蔵庫の中の 沢庵のようにしなびた大根も 封を切らないままカビの生えた生姜も捨てた

その生姜を 午後の買出しで買ってきた

鶏のレバーを煮るためである

生姜は 毎日使うわけではないが 何か作ろうと思う時には欠かせないもので だからかなり頻繁に買うのだが

半分使ったところでだめにしてしまうことが多い

すりおろして冷凍保存という人もいるらしいが 煮物の時はスライスを使うから役にたたない

しかも 私は魚やレバーを煮た時に入れる生姜が格別好きときている

生姜を長持ちさせる秘訣はないだろうか


さて その買出しに出た時だが こどもの日という文字と母の日という文字に出くわした

あぁ そうなんだ そうだっけ なんて もう親と呼ぶ人もいなくなり 誰かの子供でもなくなってしまった今

なんだか他の惑星の出来事のように思える

そのくせ老女には じったりとした視線を無意識に向けている自分がいたりするのだ

母と同じ年頃 小柄なスタイル 似たような服装 

まるで「ルビーの指輪」♪じゃないか^^

勿論 母を捜しているわけではない

母は 二人は要らない

それでも 何故か 自然と目が向いてしまうのだ

実に不思議なのだが 自称ファザコンの私なのに 老齢の男性には全くそんな熱い視線を浴びせたことがない

唯一は 日光で見た勝道上人の像を見たときくらいだろうと思う


母が亡くなってからの数年は 母の日という文字が目に飛び込んでくると なにやら心がざわついたものだった

そして今 もうその文字も 意識せずして目に入ることもなくなった

だけどね 本当の感謝は そうしてから始まるんだね

失ったものへのノスタルジーでは決してない

そもそも失うことは 10歳の時に覚悟してたんだし


ところで 私はいつまでその老齢の女性に視線を浴びせ続けるのだろうか

ある日 気がついたら それはショーウィンドウのガラスに写っている己の姿だった ということもあるやもしれぬ

と思いついた今 一言 やだねぇ~~~~~
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連休初日

2011年04月29日 | 日記
自由に使えるお金があるとする

ただし それは一日で使い切らなければならないとする

寄付も投資も 勿論貯蓄もいけない

純粋な消費なので 固定資産を買うのも不可

馬を買うとか(馬券だけでなく馬そのものも) ギャンブルもあかん

絵画 宝飾品の類も含まない

他人に贈り物をするとか 奢るといったこともペケとする

本を買うのはいいが 一日で読破すること

つまり 完全に消費しなければならないというわけ

隣の中国で美味しい中華を食べてくるという日帰り旅行はOK


金額にもよるだろう

10万?リアリティーある

100万?なんとかいけそうだ

1000万だったら?私の才覚ではもう無理だろうなぁ


こんなことを考えたのは 思いがけない休日ができたからだ

この黄金週間 2日の月曜日と6日の金曜日が休みの合間の出勤日のはずだった

ところが今年は その二日を半分の人数で交替で出勤することとなったのだ

私は 金曜日が休日となる

普通の日に休めるなんてまずないこと

絵に描いた餅よろしく 有休休暇なんてまず誰も取らない会社だからだ


その金曜日は 私にとっては自由に使えるお金にも匹敵する

今週の月曜に社長からお達しがあり もっと早く言って欲しかったとは思いつつ

それからは毎日 如何に使うべきかを考えている

貧乏暇なしの私だから 結局草取りで終わったりして^^

それでも あれこれ予定を練るだけでも充分楽しい 連休初日である
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いつもと同じ

2011年04月25日 | 日記
連休に行こうと考えていたのだが 今朝起きたら見事な晴天

そうだ!お墓参りに行こう!

思い立ったらすぐというのが 私の悪い癖である

気侭な一人暮らしということを差し引いても 


頭の中に必要なものをあれこれと書きとめながら 慌てて出かける支度をした

のこぎり 植木鋏 グローブ バケツ 歯ブラシにスポンジに・・・・

ポットには氷を入れた水と 途中で買う予定のビールを入れておくための保冷剤付きバッグと・・・

え~と え~と 


電車 バス 再び電車を乗り継いで多磨駅に到着

昔から我が家のお墓参りには 何故か中村屋のげっぺい(しかも木の実)が欠かせない

駅前の店でそれに加えてビールと花を買ったら 準備完了


霊園は緑多く 空も広い

広いのは墓地も同じで いっこうに近道を覚えようとしない私は いつも区画を示した看板の前で立ち止まり

だが 一番の頼りは風景への記憶と行き当たりばったりに歩くものだから 今日は幾分遠回りしたみたいだ


こうして一人で来るようになってから何度目だろうか

私の様に一人で墓参する人も見かける

家族はもういないのだろうか

同年齢の人には 自分の人生を重ねたり 老齢の方には未来の自分を見る思いがして

私は 幾つまでこうしてザックを背負いバケツを持って墓参することができるだろうか なんて考えたりする


今年のお墓は 我が家の庭同様 びっくりするほど奇麗だった

それでも小さな雑草を取り除き 少しだけ木もカットしてあげた

墓石も水を何度もかけながら 奇麗に洗ってあげる

奇妙に聞こえるだろうが こうしているとまるで親たちの身体を手入れしているような気持ちになるのだ

あ~さっぱりした 気持ちがいいわ

そう言ってくれているような気がするのだ


一台のバイクが斜向かいのお墓の前で止まった

除草剤を撒いているらしい

その男性が声をかけてきた

定期的に手入れのサービスをしている業者の人のようだった

どこもできないうちだけの特別なやり方なんだと さり気なく宣伝をしていった

悪いね 私はこうするのが気に入っているんだ


毎日毎日奇麗というわけにはいかない

それでもいいと私は思っている

こうして2時間 日陰の全く無い中 汗を流しながら静かな時間をたった一人で過ごす

報告したり 思い出に浸ったり 褒められたいと願ったり 今それに値する自分でいるかと反省したり

私にとってはそういう時間 そういう場所なのである

他人に奇麗にしてもらって20分ほどで帰るというのは 今の私にはお墓参りと呼べるものではない

だが それもいつかは変わるかもしないよなぁ


掃除がすんだ墓石に 花はよく似合う

と思ったら 肝心のお線香を忘れていた

やっちまったよ

慌てて出かけたからなぁ

まぁ 父も時々何かを忘れてたっけ

父の場合は 必需品を書き付けたチェックシートを用意していた上でのことだから 私よりもひどいが

まぁ これも親譲りってことで 今回は我慢してもらった


気をつけて帰りなさいよ 

はいはい わかっていますって

いつもと同じように お墓に一礼して またくるからねと 

そして 歩き出してから角を曲がる時 もう一度振り返ってみるのも これもいつもと同じ
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卒倒しそうになるほどに

2011年04月17日 | 日記
例年ならば 今の時期 庭のあまりの雑草の成長ぶりに卒倒しそうになるのだが(冗談ではなく)

今年は気温の上昇が遅かったせいか それともたっぷりと放射線を浴びたせいなのか

拍子抜けするほど少なかった

それでも こんな状態にあっても気丈に育つやつもいるわけで 玄関のあたりも怪しくなってきていた


初夏のような昨日よりは幾分気温も下がり 今日は草取りには最高の日和

9時から2時間 無心になって動いた

この15日は父の命日だった

もう5年 まだ5年 

私の時間は 確かにその歳月の瞬間瞬間をあらゆることで埋め尽くし 過去となっていった

しかし 親との時間に関していえば そういう時間軸では捉えられないでいる


玄関のあたりは 私の目には見違えるほどとなり 清々しい風が優しく吹き抜けるまでになった

大げさに聞こえるかもしれないが きちんとしていることの美さえ感じた

父の満足そうな顔と ビールでも飲むかという声が聞こえてくる

母が またあなた達ときたら と言いながら笑顔でコップを用意する姿が見える


すぐにはビールを飲まなかった

その誘惑に打ち勝って 汗を流してから買い物に行き 飲む支度をした

2週間後の連休には もう一度庭掃除をしなくてはいけないだろう

レベル7になった原発からの放射線を浴びながらの草取りとなるのだろうか

そんなものには負けずに卒倒しそうになるほどに成長していろ と 思わなくもない
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理屈じゃない これは本能

2011年04月08日 | 日記
書いては消した日記のひとつ

あれからというもの 頻繁に起こる余震が昼夜を問わず幾度もあった

そして 就寝中にも

ある夜 私の頭が30度ほど上部に傾き 家が倒壊するかと感じた

なんとしても家を水平に保とうと 頭をグングンと下に押し付け 無駄な抵抗なのだが そうしたのだ

そうして 目が覚めた

夢だった

そんなことで天災に立ち向かえるはずもないのに

愚かしいが それでもまだ夢だから笑えた

これが その一つである


昨夜も 三陸地方で大きな地震があったようだ

電車の運行状態が戻った今でも 震災当時の交通事情がトラウマのようになっている私は 7時過ぎに家を出ている

今までも始業30分前には着いていたが 今では1時間前に会社に着いてしまう

そんなわけで 無駄に早寝早起きをしている


昨夜の地震は 東京近郊でも誰もが感じた規模だったようなのに どんだけ熟睡してたんだ~ 私 

あれから 何度となく余震を体験し あんな夢まで見たというのに 全く気がつかずに朝のニュースで知った

もしかしたら私 何が起きたかわからないうちにペシャンコになっちゃうかも

でも 相手が天災だったら それもしゃ~ないかなぁ~と思っている

眠ったように逝くというのが理想ならば 眠ったまま逝くのもいいかもしれない

でも もしも目が覚めていたならば なんとしても生き抜く

理屈じゃない これは本能
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