どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

2006年前半期終了日

2006年06月30日 | 日記
私が 一番に出社する

でも冷房は 入れない

次に来た人が もう始業時間間近だけれど 暑い~と言って入れる

暑いのって そんなに 嫌かなぁ~

汗を流さなきゃ 夏って気がしない

だから スイカだって ビールだって 美味しいのに

木陰の涼も そよと吹く風の心地よさもね

ダラダラと汗を流すのが好き

おぉ~~生きてるぜぇ~って 思う

でもね 会社の人が言ってた

痩せてた時は 俺もそう思ったよ

デブになったら 辛いんだよぉ~って

肉体と精神 心と身体

お互い わからない事って 沢山あるんだ
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窓を開けて

2006年06月30日 | 日記
帰宅して 一番にしたのは 窓を開けたこと

ちょっと前は 母が冷房を入れてくれていた

何時の帰宅になるか判らなくてもね

母が亡くなった後は 帰宅してすぐにリモコンを握っていた

父には何となく頼めなかったし タイマーもあるけどね…

今は 少しでも外気を家に入れたくて 

えっ? ホントは電気代の節約でしょって?

ばれたか~

でも 暑い夜に微かに入る風 

これって 凄くお気に入り

暑い暑いと文句を言うけれど やっぱり夏っていいねぇ~

今日は窓を開けて寝ましょ
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というわけで

2006年06月28日 | 日記
朝 ホームに立って電車を待つ

下りは ガラガラ

ふと友達と その下りの終点近くの温泉に行ったことを思い出す

露天風呂 気持ち良かったなぁ~

後ろ向け~後ろ で 下りの電車に乗る

下車した頃 丁度始業時間

携帯から 適当な言い訳を考えて休みの連絡を入れる

誰にも会わない長閑な道を 記憶を頼りに歩く

近くに川が流れていたっけ

見つけた 此処だ

誰も居ない露天風呂に浸かり ただただ空を眺める

そんな空想をしながら 今日も混んだ電車に乗り 半分寝ながら出社した

先程帰宅

睡魔には 勝てない

露天風呂にはいつか入れる

仕事は待ってはくれないし 睡眠も明日に延ばすわけにもいかない

というわけで おやすみなさい
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永遠の三角関係

2006年06月26日 | 日記
姉は地方に嫁いだ

車が無ければ生活出来ないというのは 東京に住む私には知識であって実感では無い

昔 上京した友人から 田舎じゃぁ~歩いて5,6分の所へ行くのにも車だ と聞いて驚いた事があったが

東京人の方が ずっとずっと歩くかもしれない

地下鉄の乗り換えなんか びっくりするほど歩かされる事もあるしね

で その車だけど 姉がスーパーに駐車して買い物をし いざ帰ろうとしたら…一台の車が姉の車と接触していた

持ち主を呼び出し車を動かしてもらうと 僅かだが傷がついていた

相手が開口一番 大丈夫だよ これくらいの傷 

姉は そこでキレた(本人曰く カチンときた)

それはこっちの科白じゃないの(何処かで耳にしたようなフレーズだが)

そうは口に出さなかったが 心の中では プレイバック!

まず謝罪の言葉が先だろうという訳

確かにこの車は 旅行や上京の時にも乗るもので セカンド・カーとはちょっと違う

それでも姉は 傷自体は大した事が無かったから 流そうと思ったらしい

それが謝罪無しの自己弁護

で 本人曰く 主人の車だから困る とごねたそうだ

謝罪が難しいのは それが何らかの補償を伴うからだろう

それは日本国内の種々の訴訟を見ても 外交問題を見ても判る

だがまず先に ゴメンね という言葉が無いのは悲しい

また 相手が成熟した礼儀正しい紳士(淑女)ならば この際できるだけふんだくってやろうとは思わないはず

でも そうはいかないのも また人間ってことかなぁ~

勇気ある謝罪 寛大な赦し 適切な補償

これは永遠の三角関係かもしれない 

それにしても いつも春風が吹いてる様だと言われた暢気な姉が いつの間にかこんなに強くなっていたとは

義兄殿! 製造責任者も居なくなった今 謝罪もしない 赦しも請わない 補償も勿論しませんよ~
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ある大正生まれの不良少年の思い出

2006年06月25日 | 日記
友達との貧乏旅行を計画している

だが それとは別の一人小旅行も計画している

一つは 東京生まれの父が幼少期と少年時代 2度に渡って預けられた母方の実家の地

もう一つは 母が 家族で東京に移り住む以前に住んでいた故郷である

どちらも何とか日帰りが可能な距離だ

前者には行った事がある

私の祖母と同じ顔の写真を見て あっ お祖母ちゃんだ と言ってしまった

黒い額縁に納まった写真だったのに^^

6人きょうだい(内二人は戦前に亡くなっている)の中で 何故自分だけが母の実家に行かされたのか

父の中では それが一生の疑問でもあり トラウマの様なものでもあった

今となっては真偽も判らぬ出生の秘密があったのではないかという いささかロマンティックな解釈もまた

父にとっては 自分を納得させるのに十分なリアリティがあったのかもしれない

気分良く家族相手に呑んだ時は いつもこの話しになった

2度目は10歳の頃 今日から夏休みという日 突然の事だった

年子の兄は弟の手を引いて駅まで見送り 電車の乗り方をしつこいほど説明してくれたという

たった一人でいくんだぞ 父は必ずそう付け加えた

それから青春時代の前半迄 その地で過ごした

父親が宮内省勤めの友達がいて 東京で別れたと思ったら この地で偶然にも再会

一家で父に優しく接してくれたらしい

その友人の姉が―父が亡くなる少し前に初めて聞いたのだが―父の初恋の女性だった

といっても密かに想いを募らせるだけの

士族の商法が何故か成功した家だったが 父は店の手伝いをさせられ その家の跡継ぎである長男は放蕩息子

孫にあたる父は 祖父母には勿論 地域の人にも可愛がられたから その息子との確執もあったという

多感な青春時代だから 不良だったというのも判る気がする

店の手伝いの合間に 友達と酒を飲みタバコを吸い そして蔵に隠れて本を読む少年

父にとっては愛憎が渾然一体となったような それでもまた確かな一つの故郷なのだ

そして話の締めくくりは お前たちは親きょうだいと一緒に暮らせるのだから 幸せなんだぞと 

その後 父は遠く根室の測候所まで行くことになり 更にまた戦地である北支へと

そこもまた 思い出イッパイの土地らしいのだが…

私は 生後一年半でこの地に住み 家族とも別れずに生きてきた

何だか 父の人生の埋め合わせというか反動というか そんな風にも最近思う   
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