どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

8月10日火曜日―その弐―

2010年08月29日 | 日記
どこまでだったか そう 彦根城見学に出たところまでだった


城郭ファンというのがいるそうだ

俳優や落語家にも そんな人が熱く語っているのをTVで見たことがある

私は わからない

わからないながらも とにかく目の前にあるのだから(といっても徒歩15分か)見ることにした

彦根城は小さかった

もしかしたら 私の見ているものは本丸ではないのでは と思ったほどだ

一体 城とはなんなのか 作った意味がわからんと思いながら 天守の階段を上がる

殿を守る最終拠点なんだろうが 攻撃は最大の防御なり であるならばだ

立て篭もるような事態になったなら そらもう 負けなんじゃないの?なんて思ったりしながら


階段は 一段が狭くて高く しかも急勾配だ

何が起こっても駆け上がるのは絶対に無理

ステンレスの手摺が設けられていたが それを掴まらなければ 怖くて登れたものではない

猛暑の中 風通しも悪く その手摺が人々の汗で濡れている

うっかりすると 持った手が滑る

真夏の鳥取砂丘で こんな時に来ようと考えた自分が愚かだったと悟ったが

城も 絶対に夏に行くところでは無いと思った


城にはそれなりの用途というものがあるが ここは権威の象徴というか 

城そのものよりも それを中心とした城下町を見るほうが よほど面白い

城は やっぱりわからんて^^

そう それに 此処でお気に入りだったタオルハンカチを紛失した


台風の影響か 雲行きが怪しくなり始めたが この先に訪れたい場所があった

玄宮園という回遊式庭園を見始めた頃 雨が降り始めたので そこそこに退散して 先を急ぐ事にした

そこから更に徒歩で15分

城から去るにつれて 雨は次第に激しくなり しかも歩く人も見当たらなくなっていく

観光マップを片手に ひたすら歩く

ハンカチを失くしたので 頭に巻いていたバンダナで汗を拭く

傘は 昨年の秋田で雨に降られた時に買った500円のへなちょこ折り畳みだ

ズタズタでヘロヘロの格好で ようやく滋賀大学に着いた


と 素敵なものが目に飛び込んできた

興奮した

この存在は知らなかったからだ

知り尽くして その上でそれを目の前にして立つというのは 勿論喜びではある

だが 何も知らずに遭遇する喜びは 格別なものがある

見切り発車するのは 確かに私のいい加減さからくるものではあるが 一つにはこの感動に出会いたいからでもある

多くはハズレなのだが だからこそ こんな時は飛び上がるほど嬉しいのだ


守衛の人に見学を断ってから(おそらくかなりの形相だっただろうと思う) 早速拝見する

旧彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部の前身)講堂

銅板葺のドーム型小塔が 実にイカしてる

正面の顔も良い

その妻面の丸窓が 換気用ではあるのだが 実に奇麗だ

その奥にこそ 私が見たかったヴォーリズの陵水会館なるものがあるのだが そのことをしばし忘れるほ見入った


陵水会館は同窓会館として 昭和13年に建てられたものだ

内部の改装は行われているが 外観は当時の原型のままだという

入り口のガラスの小窓をあけて 事務の女性に見学を依頼する

各部屋には入れないということだったが 快く許可してくれた

当時の階段の一部が 展示物のようにして残されていた

内部で感激するようなものには出会わなかったが お礼を述べて帰ろうとしたら その女性がなにやら差し出して

随分前に作ったもので もうこれしか残っていないのだけれどといって 講堂と会館の資料のコピーを下さった

何しろ こちらは猛暑の上の雨にたたられ 汗だくの髪を振り乱し ヘロヘロになったいいトシの女性だ

哀れに思ったのか 熱心だと思ったのか・・・
 
喜んで頂いた

(あとでホテルに戻ってからそれを見ると かのヘレン・ケラーもこの講堂で講演をしたとの新聞記事が載っていた)


帰りの30分の道程は幾分知った道でもあるので いい加減止まない雨にも負けず ズンズン歩いた

ホテルに戻り 敦賀名産小牧のかまぼこをかじりつつビールを飲みながら 明日の作戦を練る

迷っていた醒ヶ井にやっぱり行こうと決めて(これで結局心に描いていた土地は全て見たことになる)

長かった一日にピリオドを打った 
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2010年08月29日 | 日記
49歳の女性議員が体外受精をして めでたくご懐妊

来年 出産の予定だそうだ

それはどうでもいいのだが そのせいだろうか 夢を見た

なんと 私が妊娠した夢だ

精子の持ち主の事は一切考えもしないし 何故か先の事も考えず 

ただ 産むのかぁ~とだけ思っているところが夢たるところ

次第に覚醒してきたのか こんな事ってあるのだろうか これは夢じゃないのか と考え始める

それに 産まないという選択肢だってまだ残っているんじゃないのか というところまで行き着いた


夢はもう一つ見た

大学の夢で 何故か卒業してからもう一度大学に通っているようなのだが 卒業出来るかどうかが心配な夢だ

これに似た夢は 何度も見ている

実際 私が4年生の時のことだが 出席すれば単位が取れるという一般課程を4割近く休んだ

ほとんど授業を休むことは無かったのだが 大教室でしかも前にしかドアの無い教室だった

少しでも遅れると 入室しづらかった

おまけに 4年生というのは何かと忙しい

単位を落として卒業が遅れるのではないかと ヒヤヒヤした覚えがある

そんなわけで 今もってくり返しこの夢を見ているというわけ


今日は 他にも夢を見た

他というよりも 脈絡の何も無い一連の夢だったのかもしれない


このところ拗ねものだった私のPCが復活したこともあって 昨夜夜中に目覚めてからユーチューブなど見ていた

さるブログで ナックのマイ・シャローナについて書いてあったので ついつい覗いてしまったのだ

ナック=マイ・シャローナというほど これは衝撃的だったし これ以外には彼らの曲は覚えが無い

それは2年前のライブだったが 彼らは何万回この曲を演奏してきたことだろうか

それにしても 完璧だった

歌詞そのものは ねぇ~シャローナ やらせてよ というエロソングなのだが ベースラインが最高なのだ

リード・ヴォーカルのダグ・ファイガーは 今年の2月に亡くなっていた


再び寝たのは3時で 眠りが浅かったのか それであんな夢を見たのだろう

さて 今日は旅日記の最後を書き上げておかないと

9月には草取りをし 10月には植木屋さんを呼んで 衣替えもしなくてはならない

夏休みが終わったらクリスマス そう言っていた人がいるが 確かに年末などあっという間だ

自分の身体への信頼も次第に薄れてきてはいるが なるようになる やるっきゃない この2本立てでいくしかない
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一番の遺産

2010年08月24日 | 日記
―毎日暑いね!金曜、土曜と、亡くなった親の歳を数えてしまいました。
○○ちゃんの誕生日は水曜日だね。仕事に行っていると忙しそうなので、今日言っておきます。
お誕生日おめでとう。―

日曜にもらった姉からの携帯メール(無断で掲載^^)

滅多に メールも電話もしない姉妹だ

それでも 私が旅に行く時には その予定は告げておく

姉にとっても大事な実家を留守にするのだから 当然のこと

そうして その時には姉から 電話やメールが入る


いつまで こうして誕生日を祝うメッセージを送りあえるのか

いつかは どちらかが一人残ることになるのだが

今は それがどちらであっても良いと思っている

私が先ならば 悪いね お先~上がり!って気分だし

そう思うからこそ 姉に譲りたいという気持ちもある


きょうだいは仲良くしろ それが父の望みだった

姉は姉らしく 妹は妹らしく それが母の躾だった

父は亡くなる前 財産の全てを私に譲ると一筆書いた

そうして 姉にも分けてやってくれよな 決してそんなことで喧嘩はするなよと

まぁ 喧嘩するほどの財産でもないけどねぇ~~

でも 今思う

一番の遺産は きょうだいではなかったかと
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8月10日火曜日―その壱―

2010年08月22日 | 日記
昨日は 家族の誕生日会だった

参加者は 生存者一名 額に三角の白い布きれをつけた者二名

長年 全員でメニューを考え 主に私が買出しと調理を担当していたのだが ここ数年は全てを一人でやっている

あははは 彼らにはもう足が無いからねぇ~~

というわけで 遅くなった旅の日記をこれから書こうと思う

最近老齢化ゆえ よっこらしょ どっこいしょ が口癖となった私のPCではあるが それでも今は何とか動いている

こいつも 何時三角の布きれをつけることか


さて 旅も四日目

今日はのんびり 観光客気分で長浜見学(のはずだったのだが)

長浜は 黒壁土蔵の町であり 早くからガラス文化を取り入れた町でもあり 

全国で三番目に鉄道が敷かれ 日本最古の駅舎が長浜鉄道スクエアとして残されている町

そして秀吉の出世城ともなった長浜城が築かれた町でもある

元は「今浜」という名前だったのを この時に彼が改名したのだということも知った

それに 地ビールとして受賞もしている長浜ビールもあるらしい♪


朝早くの出発だったので まずは琵琶湖まで歩いてみることにした

長浜城址のある公園を抜けていく途中で「おかねさん」の石碑を見た

築城にあたって 美人で聡明な「おかねさん」が人柱になったという話

私には決して白羽の矢は飛んでこなかっただろうなぁ~と 妙な安心をしながら歩き続けた

琵琶湖を確認したところで いよいよ見学に戻る


まず初めに目についたのは 開知学校だ

この町は全くの観光気分で見るつもりだたので お目当てというものは一切なかったのだが とんだ拾い物だ

県下初の小学校だった

八角形の櫓付き三階建て洋風校舎

一階はパブレストランのようだ!

うん!地ビール会社の経営するビアホールは生憎定休日だから 今日はここでイッパイやろう!


その写真を撮っている時だった

道路を隔てたところに鉄塔が見えて 長浜タワーという字が見て取れる

うわぁ~ 最高だね!スカイツリーだけがタワーじゃないってか!

それはかなり老朽化してた

しかもよく見ると 初めは視覚から隠れていた「長浜タワー」の下に文字が続くのがわかった

「長浜タワービル」だったのだ

これも相当B級だが こんなのも徘徊の面白さだ


黒壁スクエアは 面白い人にとっては面白いものだろう

だが 私にはそう関心を引くようなものには出くわさなかった

いいんだ 今日は観光客気分なんだし

あちこちの店を覗いては 何も買わずに出るというのを繰り返しているうちに 次第に人も多くなってきた

先ほどのビアレストランを覗いてみたが 一向に開店する様子が見られない

不定休とあるから 休みなのだろう

あきらめて 地ビールを飲める店を探して軽くイッパイやる


彦根に戻る前に 鉄道スクエアを見た

何も知らない地方の文化や歴史や地理的条件に 触れるつもりはつゆほども無いのに
 
それでも徘徊を続けていると その重さや意味を嫌でも感じざるを得なくなる

それが ここ数年の感想

歩けば 尚のこと 身にしみる(汗は目にしみる^^)


彦根に戻って一度ホテルに寄ってから 今度は彦根城見学に出ることにした

明日は 彦根の町を見て帰宅の予定だ
 
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永遠に親離れしない娘

2010年08月17日 | 日記
先日 旅日記の火曜日の分を書きかけたところで チョイとPCが拗ねた

8年以上前のPCで CPUも限界かと

しつこくも書く予定なので(おそらくは週末か) 良かったら続きを読んで下さい


労働者は再び労働の日々に戻り 昨日はガラガラだった通勤電車も 今日は平常に近くなった

猛暑が続く日々

帰宅すると 無人の家は何もかもが熱を帯びていて 

それはここ数年 真冬の凍りついたような家に帰った時と同じで

うひゃぁ~ なのだが

だが それが辛いとか寂しいということはなくて 

こういうことなのだなと 

そうして それにもすっかり慣れた(そういう現状に慣れただけで 暑さ寒さに慣れたわけではない)


20日は母の 21日は父の そしてその数日後には私の誕生日だ

私は元気に暮らしている

誰よりも 誰よりも 両親が喜んでくれるだろう

どうやら 永遠に親離れしない娘のようだ 
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