今日は 私の誕生日である
昨日まではもちろんはっきり覚えていた
その前日の朝 いつものように出勤途中にコンビニに寄ると店員の交代時間なのだろうか お疲れと言葉をかけあった三人のうちの一人が 今日俺の誕生日なんだと
もう一人が 俺はいついつと近い日を言ったら 後輩らしいもう一人が自分は数日後なんですと
えぇ~ ほんとかよ~ と三人の若者が満面の笑顔
あれは何だろうか 誕生日が近いというだけで 同じ月だというだけで妙に親近感あふれる空気が流れるのは
私も明後日なんです~ と 思わず会話に入りそうになった
そして昨日は 一日早く 白い三角の布を額につけた両親と一緒に祝った
この三角の布は「天冠」というらしいのだが 最近は付けないことが多いそうだ
はて 親の時はどうだったか・・・
生前 身延山の久遠寺で真っ白の絹の羽二重に経を書いてもらい 死装束として両親が用意しておいたものをかけたのは覚えている
その際に 先に亡くなった母に父は間違って自分用のものをかけたために 父の時は少しツンツルテンだったのも いかにも父らしくて笑えたものだったが
そして今朝 すぐには誕生日のことを思い出さなかった
この日記にコメントを頂いたことを知って それを見てそうだったと思い出した
今日は 小雨が時折降る曇りがちの日
子供の頃 夏休みの終わりごろということもあって それに加えてこんな天気だと なんだかなぁ~という気持ちになったこともあった
その頃でも 誕生日会に友達を呼ぶということが全く無かったわけではないし 私も呼ばれて行ったこともあったが 私自身は夏休み中のことでもあり そんな会をしてもらったことは無かった
家でも派手に誕生日会をしたり プレゼントを必ずもらうといった習慣は無かったが 時折はささやかにそんなことが起きることもあった
それよりも 私はその日になると決まって 母が私を出産した時の話を笑ってするのが好きだった
あの日は暑かったので スイカでも切りましょうかと祖母と話していたら陣痛が来たこととか
気を失いそうになった母に その祖母が しっかりしなさい 生まれてくる子供はもっと苦しいんだから と言って励ましたこと
次は男子と期待する父は 別室でそわそわと待っていたこと(そのあとのギャフンも待っていたのだが)
家の(当時は会社の寮だったが)隣が産婦人科の医院で 二人目ということもあって 何時でも来てあげるから自宅で出産したほうが楽だろうと言われ 姉の時は大学病院で出産したのにと 少しひがんだりもした
今日 少しだけ書類や部屋の整理をした
姉からはお祝いメールが届いていた
老後を生き抜けるか 貯金を見直したりもした
数年後には60歳になる
悠々自適の老後が待っているわけでは決してないのだが とりあえず60歳まで無事に生きたら 残りの人生はおまけだと思っている
一番新しい誕生日は こうして過ぎていく
昨日まではもちろんはっきり覚えていた
その前日の朝 いつものように出勤途中にコンビニに寄ると店員の交代時間なのだろうか お疲れと言葉をかけあった三人のうちの一人が 今日俺の誕生日なんだと
もう一人が 俺はいついつと近い日を言ったら 後輩らしいもう一人が自分は数日後なんですと
えぇ~ ほんとかよ~ と三人の若者が満面の笑顔
あれは何だろうか 誕生日が近いというだけで 同じ月だというだけで妙に親近感あふれる空気が流れるのは
私も明後日なんです~ と 思わず会話に入りそうになった
そして昨日は 一日早く 白い三角の布を額につけた両親と一緒に祝った
この三角の布は「天冠」というらしいのだが 最近は付けないことが多いそうだ
はて 親の時はどうだったか・・・
生前 身延山の久遠寺で真っ白の絹の羽二重に経を書いてもらい 死装束として両親が用意しておいたものをかけたのは覚えている
その際に 先に亡くなった母に父は間違って自分用のものをかけたために 父の時は少しツンツルテンだったのも いかにも父らしくて笑えたものだったが
そして今朝 すぐには誕生日のことを思い出さなかった
この日記にコメントを頂いたことを知って それを見てそうだったと思い出した
今日は 小雨が時折降る曇りがちの日
子供の頃 夏休みの終わりごろということもあって それに加えてこんな天気だと なんだかなぁ~という気持ちになったこともあった
その頃でも 誕生日会に友達を呼ぶということが全く無かったわけではないし 私も呼ばれて行ったこともあったが 私自身は夏休み中のことでもあり そんな会をしてもらったことは無かった
家でも派手に誕生日会をしたり プレゼントを必ずもらうといった習慣は無かったが 時折はささやかにそんなことが起きることもあった
それよりも 私はその日になると決まって 母が私を出産した時の話を笑ってするのが好きだった
あの日は暑かったので スイカでも切りましょうかと祖母と話していたら陣痛が来たこととか
気を失いそうになった母に その祖母が しっかりしなさい 生まれてくる子供はもっと苦しいんだから と言って励ましたこと
次は男子と期待する父は 別室でそわそわと待っていたこと(そのあとのギャフンも待っていたのだが)
家の(当時は会社の寮だったが)隣が産婦人科の医院で 二人目ということもあって 何時でも来てあげるから自宅で出産したほうが楽だろうと言われ 姉の時は大学病院で出産したのにと 少しひがんだりもした
今日 少しだけ書類や部屋の整理をした
姉からはお祝いメールが届いていた
老後を生き抜けるか 貯金を見直したりもした
数年後には60歳になる
悠々自適の老後が待っているわけでは決してないのだが とりあえず60歳まで無事に生きたら 残りの人生はおまけだと思っている
一番新しい誕生日は こうして過ぎていく