どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

春の始まり

2012年03月18日 | 日記
年度末がやってきた

昔のような残業地獄ではないにしろ 昨年よりも忙しい

しばらくほどほどの残業だったせいか それとも年をとったということなのか

20時も過ぎてくると もういい加減帰りたくなる


そんな最中のこと 先月の売り上げが予定を上回ったとかで

社長が会社で軽く祝杯をあげようと言い出した

そんな時間があるのならば 少しでも仕事を進めて早く帰りたいというのが

社員一同の意見ではあったが 誰がネコに鈴をつける?


この休日は天気が悪く そうなると最低限の家事を済ませてあとはダラダラ

週末のお風呂での読書は今も大好きな時間だが 

昨日は 午後の買い出しのあとも本を読んでいて

そうしているうちに眠ってしまった


最近は映像を見るということに辛抱が無くなってきた

映画館に行かないことも 家の近くにビデオ屋さんが無いことも

そもそもDVDデッキも映像を映すモニターもないことも原因かもしれないが

(見るとすれば24インチのPCのモニターしかないのだ)

ラジオで聞く新作の映画紹介に心が動くものの 耳だけの知識で終わっている


その代わり 読みたい本が身近に無いとどうにもこうにも

不安になるというか 生活の一部が消えたように感じてしまう

読みたい本が何冊か私を待っている時は 実に優雅な気分になる


せっかちの私は どれもこれもいっぺんに読みたい

それで すべて手に取っては ちらちらと読み始める

何冊かを並行して読むこともあるし あるものだけ休日の午後から読み続けることもあるが

あまりに面白い本だと 読み終えるのが惜しくなるようなこともある


今 通勤で読んでいるのは「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)

橋爪大三郎と大澤真幸(彼のことは知らなかった)の対話形式なので読みやすい

それぞれ批判はもちろんあるだろうが 読みものとして面白い


まとめ買いしたのは 佐野洋子の文庫本

昨日 一冊読み終えた

数冊読めば どんな人かはわかるだろう


友人から借りた本の中に「さいごの色街 飛田」がある

さすがにお風呂の中では読めないし 通勤に持っていくのも控えねばならないから

(内容のせいではなく 汚すことを恐れてのこと)

こういうのは寝る前に読むしかないだろう


「銃・病原菌・鉄」は 読み切れるかどうかと悩んだ末に買った

昨日 久米宏がラジオ番組の冒頭で この本がいかに面白いかを話し始めた

そこまで言うなぁ~ と思いつつ 早く読みたくなってきた


美味しい料理(基本手料理)で飲むことと こうした読書は

特にまだ寒いこの時期においては 私の一番の楽しみになっている

今年の桜はいつ咲くのか

別に気にしているわけではなく 咲かないとしたらそれは非常に問題だが

咲くんだったら別にいつでも構わない


そろそろ墓参(というか掃除)の恐怖の庭の草取りの時期

毎年変わらぬ それでいて 変わっていく春の始まり 
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わからないことがどんどん増えていく

2012年03月11日 | 日記
余命3か月 長くても半年と 両親の最後を見届けてくれた医者から宣告された

そばには驚きと悲しみの顔をした姉がいる

こんなに元気でなんの症状も無いのに なんてこった

仕方ない

会社は明日にでもやめよう

姉に 一緒に海外旅行をしようと提案する

老後のための貯金はもう必要ないのだし 残りは姉にすべてあげるからと

恐ろしいほどの自分の決断の良さに驚いたが それでも

最期って苦しいのかな なんてちょっと思ったりして

そうしているうちに 目が覚めた


本来ならば 夢で助かったと思うところなのだろうが

あまりにリアルで あまりにあっさりと決断をしたせいか

深夜の真っ暗な部屋で布団にくるまりながら そうか 予定は延期になったか

淡々とそう感じていた


昨夜 友人との会話で いまだ終息には至っていない原発の 特に4号機について話をした

夢は そのせいだろうか

最悪のシナリオについては報道されているが こんな博打のような生き方を東日本は強いられている


子供の頃 親に 戦争っていやじゃなかったの? なんでみんなで反対しなかったの?

そう尋ねたことがある

怖いし 戦争なんかに行きたくなかっただろうし 私なら絶対に嫌だと

反対できるような世の中ではなかったし

まぁ そういう時に日本人として日本に生まれた運命を引き受けるしかなかった

そういうことのようだった


生活ってこういうことなのか 生きるってこういうことなのかと思う

東京を捨てた人はいるかもしれないが 少なくとも私の周囲ではきいていない

まるっきり以前と変わらぬということは無いにしても

あの当時はいろいろとあったけれども 今では私も含めて誰もが

仕事をし 学校に通い 病気の者は通院し 

恋をしたり 介護をしたり オシャレに買い物にグルメ 

夜は飲んで騒ぎ 出産や子育てをしている


最悪のシナリオ通りに事が進んだら もう仕事どころではなく

私の年齢ならば 何が原因でガンになったかなんてわからないし

もう老後の心配からも解放されることになろうけれど


地球上のあらゆる自然災害のうちのかなりの量のものが この小さな国土を持つ日本で起こるという

だから それは運命として背負っていくしかないだろう

どんなに学び 備えたとしても 

悲しいことだが 今後もこうしたことで人の命は奪われていくと思う

しかし原発はまた別の話だ


どんなに人の手に負えないものか 十分学んだはずだ

電力不足やコストの問題ではもはやないであろうはずなのに

まぁ 人の命が軽くみられるのは 何もこれに始まったことでもないけれどね

いったい愛国心とはなんぞや?

わからないことが どんどん増えていく

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ついこの間のことのよう

2012年03月04日 | 日記
OCNカフェから移住して 初の日記投稿となる

新生児として産声をあげるのならまた別なのだろうが 

移住となると少々敷居が高い

捨て去るのにそう未練もない日記ではあったが あったはずなのだが

結局 ガラクタをリヤカーに乗せ がらがらごろごろと

見慣れぬ景色にとまどい どこに荷を下ろそうかとあたりを見回し

のろのろと腰を下ろしたところだ


今日は 東京を捨てて福井に嫁に行った姉の誕生日である

共に移住した友達は 私の日記に何度か登場しているのですでに知っていることだが

雛祭りの翌日に生まれるというのも春風少女の余裕というか

ちょっと どんくさいかも

その姉に今朝メールを送ると じきに返信があった


ピアノの生徒(姉はピアノを教えている)の妹が姉と一緒についてきたのだが 

その妹が玄関先で 私もピアノを習うと言って大泣きしたのだそうだ

家でも姉の楽譜を自分の幼稚園のバッグに入れて 私も習うと言っていると

あとで家族の人からきいたそうだ


私は 姉が小学校に行くという春

ランドセルや筆箱やノートがうらやましくて 

べんきょう というわくわくするものをしに行くのだと知って

私も学校に行くと駄々をこねた

母は 粉石けんの箱にひもをつけて私に紙ランドセルを作ってくれた

(昔の洗濯用粉石けんの箱というのは やたらと大きかったのだ)

その日が ついこの間のことのように思われると メールには書いてあった


母は私を幼稚園の三年保育にも入れてくれたのだが 

お遊戯や歌などではなく「べんきょう」をすると思っていた私は 

思惑の違いからすぐに登園拒否児になった(結局二年通園した)

姉が帰るとすぐにランドセルを借りて背負う

ちゃんとベルトをしめていない姉のランドセルからは

私が前かがみになった時にざざ~っと中身がこぼれることもしょっちゅうだった


私には 玄関先で泣いた妹の気持ちがよくわかる

まるで ついこの間の自分を見るようである

いつか彼女たちも 私たちの年齢になった頃 

ついこの間のことのようね なんて話すのだろうか


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