ゴールデン・ウィークも 母の日も すでに過去のこととなってしまった
今年の母の日も私は一人の子供に戻って いたるところで見かけるカーネーションを横目で眺め また老女を見かけると何かしらの感謝を受けたのだろうか などと想像したりして なんという余計なお世話だろうかと 自分の物欲しげな眼差しを反省もした
もうすっかり慣れたはずなのにな
おそらくこの気持ちはこれから先も どんなに年をとっても変わらないのかもしれない
年をとったからなのかどうかは判断しかねるが 変わったこともある
今までとは少し違うジャンルの本を面白いと思うようになったことだ
自分では 昨年亡くなった丸谷才一さんの本で知ったように記憶しているのだが定かではない
ただ その作家と彼の作風に触れた誰かの文章からだったのは間違いない
作家の名前は 文芸雑誌の広告や書店の店頭などで見かけてもちろん知っていたのだが どんな作品なのかを知る気持ちも無く 手に取って見ることも無かった
幕末だの戦史だの軍隊だのといったキーワードは 特に私の興味からは半ば意識的に排除してきたように思う
こうした小さな発見や出会いもまた 生きている私をワクワクさせてくれる
年をとって変わるといえば 食事の嗜好についてもよく言われる事だが 私の場合は卵
卵料理は数多くあり また 卵自体も料理には欠かせない食材であるから 代表的料理と問われてもひと様々かもしれないが 私の想像するところでは 卵焼き オムレツ 親子丼 シンプルに目玉焼きや茹で卵 そしてオーソドックスな卵かけご飯といったところか
この中で子供の頃から喜んで食べたのは 目玉焼きだけのように思う
一番好きでしかもよく口にしたのが 卵の黄身だけをお猪口に割ってもらい そこにお醤油をさしてグビっと飲むという食べ方
その時に口の中で軽く潰して味わいつつ喉の奥に流し込むのだ(なんとも黄身 いやいや 気味の悪い食べ方)
白身も合わせて生で食べられるようになったのは大人になってからだったし オムレツも丼物も好まないのは今も変わってはいない
お寿司屋さんで通(ツウ)はまず卵焼き(ギョク)を注文する なんて話も聞くけれど 私は自分から注文しようと思ったことは一度も無い
温泉卵を知った時はこれは美味しいと思ったのに 今はそれも欲しくなくなった
サラダの上に乗っていたりすると ちょっと食欲が鈍る
そして 以前は味噌汁に落とした卵が好きだったのに それも最近ではしなくなり 一番好きだった黄身ゴックンも気分がのらなくなっている
冷蔵庫を開けると 6個入りパックの卵のうちの2、3個が賞味期限の変更線を越える寸前であるのに気が付き やがて超えて もはや火を完全に通しても食する気にはならない代物になっている ということが多くなってきた
今では 卵は好きなものなのか 嫌いなものなのか 自分でも判断をつけかねている
晩酌を欠かすことの無かった父が健康上の理由から一日置き 二日置きとし それでもまだ 今日は飲む(める)日だと嬉しそうな顔をしていたものだが それもやがて週一回ほどになり そうなった頃には 別にそう飲みたいとも思わなくなるもんだ と言っていたのを思い出す
私にも お酒が好きなものなのか 嫌いなものなのか 判断をつけにくくなる日が来るのだろうか
もう少し年をとった時の それはお楽しみ
※ 私の新しいジャンルの作家とは、吉村昭である。
史実をもとに、取材と資料を土台として書き上げる小説はフィクションではあるが、
フィクションとノンフィクションの違いとは?
まだ彼の家の扉を開けたばかりなので、沢山の部屋を覗くのが楽しみである。
今年の母の日も私は一人の子供に戻って いたるところで見かけるカーネーションを横目で眺め また老女を見かけると何かしらの感謝を受けたのだろうか などと想像したりして なんという余計なお世話だろうかと 自分の物欲しげな眼差しを反省もした
もうすっかり慣れたはずなのにな
おそらくこの気持ちはこれから先も どんなに年をとっても変わらないのかもしれない
年をとったからなのかどうかは判断しかねるが 変わったこともある
今までとは少し違うジャンルの本を面白いと思うようになったことだ
自分では 昨年亡くなった丸谷才一さんの本で知ったように記憶しているのだが定かではない
ただ その作家と彼の作風に触れた誰かの文章からだったのは間違いない
作家の名前は 文芸雑誌の広告や書店の店頭などで見かけてもちろん知っていたのだが どんな作品なのかを知る気持ちも無く 手に取って見ることも無かった
幕末だの戦史だの軍隊だのといったキーワードは 特に私の興味からは半ば意識的に排除してきたように思う
こうした小さな発見や出会いもまた 生きている私をワクワクさせてくれる
年をとって変わるといえば 食事の嗜好についてもよく言われる事だが 私の場合は卵
卵料理は数多くあり また 卵自体も料理には欠かせない食材であるから 代表的料理と問われてもひと様々かもしれないが 私の想像するところでは 卵焼き オムレツ 親子丼 シンプルに目玉焼きや茹で卵 そしてオーソドックスな卵かけご飯といったところか
この中で子供の頃から喜んで食べたのは 目玉焼きだけのように思う
一番好きでしかもよく口にしたのが 卵の黄身だけをお猪口に割ってもらい そこにお醤油をさしてグビっと飲むという食べ方
その時に口の中で軽く潰して味わいつつ喉の奥に流し込むのだ(なんとも黄身 いやいや 気味の悪い食べ方)
白身も合わせて生で食べられるようになったのは大人になってからだったし オムレツも丼物も好まないのは今も変わってはいない
お寿司屋さんで通(ツウ)はまず卵焼き(ギョク)を注文する なんて話も聞くけれど 私は自分から注文しようと思ったことは一度も無い
温泉卵を知った時はこれは美味しいと思ったのに 今はそれも欲しくなくなった
サラダの上に乗っていたりすると ちょっと食欲が鈍る
そして 以前は味噌汁に落とした卵が好きだったのに それも最近ではしなくなり 一番好きだった黄身ゴックンも気分がのらなくなっている
冷蔵庫を開けると 6個入りパックの卵のうちの2、3個が賞味期限の変更線を越える寸前であるのに気が付き やがて超えて もはや火を完全に通しても食する気にはならない代物になっている ということが多くなってきた
今では 卵は好きなものなのか 嫌いなものなのか 自分でも判断をつけかねている
晩酌を欠かすことの無かった父が健康上の理由から一日置き 二日置きとし それでもまだ 今日は飲む(める)日だと嬉しそうな顔をしていたものだが それもやがて週一回ほどになり そうなった頃には 別にそう飲みたいとも思わなくなるもんだ と言っていたのを思い出す
私にも お酒が好きなものなのか 嫌いなものなのか 判断をつけにくくなる日が来るのだろうか
もう少し年をとった時の それはお楽しみ
※ 私の新しいジャンルの作家とは、吉村昭である。
史実をもとに、取材と資料を土台として書き上げる小説はフィクションではあるが、
フィクションとノンフィクションの違いとは?
まだ彼の家の扉を開けたばかりなので、沢山の部屋を覗くのが楽しみである。