どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

Winamp のストリームリッパーで 明るい引きこもり

2009年05月31日 | 日記
このところ 半ば放置の日々だった

梅雨入りの前触れかのような天気の日々が続き 加えて家でも仕事でも鬱陶しいことがあると

ダルダルな私でも チョイと冴えない気分にもなるものだ

何度か書こうと思うこともあり 書きかけたこともあったのだが それがどうした という気持ちが湧いてきて


例えば多数決についてとか 視覚の不思議さについてとか

あるいは友人と話していて気が付いたのだが 今日や未来は長く感じられるのに
 
過ぎ去った時間は何故にこうも早く感じられるのか とかね

まっ そんなわけだ


で 最近は明るい引きこもりを楽しんでいる

本を読んだりぐたっと寝たり そして最新のおもちゃがWinamp

ストリームリッパーでMP3のファイルとしてPCに取り込むのだが 思いがけない1曲に出遭う楽しみがある


今ひとつ冴えない日々なのだが 今年も夏休みは9日間と決まったので これだけはバシっときめないといけないね  
 
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私は両親の本当の子供だろうか

2009年05月21日 | 日記
入院中だった父が自分の死期を悟った時 家に帰りたいと言った

不安でイッパイだった私が やるしかないと決めたのは 臆面もなく言うと 愛していたから

その頃のことは 日記に書いてある

そうして帰った翌日 父は 枕もとの私にこれからするべきことの全てを説明してくれた

ここにあの書類があるから あの引き出しにはこれがと 

葬儀のこと 都霊園の墓地の手続き 年金の停止 土地と家屋の相続 全て指示してくれた

それまで何も知らずに来た私でも 几帳面な父のおかげで 何ひとつ迷うことはなかった

一人身の私を心配して 相続に関することは全て私に任せるという一筆も書いてくれた

ただ ○子(姉)にも分けてやってくれよな 喧嘩はするなよ そうも言った

父の貯金は 義兄が亡くなったこともあって 全て姉に譲った

不動産は 私が住んでいる家と土地だけなので 父はすぐに名義変更をするようにと言ったのだが

実は なかなかできなかった

仕事が忙しかったこともある

誰に託してよいかもわからなかった

だが一番は 私一人が横取りするようで 気がひけたのだ

姉と共同でとも考えただが 私はややこしい法的関係を持つ予定も そのつもりも今後一切ない

私が此処を守ることは 今の私にはなんとかできるし おそらく 姉と姉の一人息子を守ることにもなるだろう 

そう 判断した

姉も そういう私の考えを信じてくれた

父が亡くなって3年 重い腰をあげてようやく着手した

これが 私が苦手なことの真相である

司法書士を選ぶことから始まった

決め手は縁だということにした

先日 一日休暇をもらって会って来た

なんとなくだが 悪くない感触にほっとした

それまで実印など必要の無かった私だったが 父が亡くなってから必要に迫られて作った

ところが 案の定縁がないまま時が過ぎた

今回探したら 実印はあるのだが登録カードが見当たらない

隠し場所は そう多くはないはずなのだ

思い当たる場所を捜索したが 見つからない

かわりに 机に敷いているマットの下から 古いお札が出てきた

更に 5000円分の未使用のメトロカードも

几帳面だった父の子供とは とうてい思えない^^

更にだ

今日 7時までやっている区役所に印鑑登録カードの再公布の手続きに行った

仕事帰りに慌てて飛び込んだのだが なんてこった

あまりに急いでいたせいか 会社にお財布一切を置いてきてしまっていた

それも 手続きをしようという段になって 初めて気が付いたのだ

鞄の中をひっくり返しても 一円も出てこない

まぁ 一円あっても何の足しにもならないが

悪魔の言葉が 思わず口から出る

なんてこった もう~ くっそ~ 

いくら粗忽者とはいえ 全てが後手後手

母は 泥縄を何より嫌ったのに

本当に私は両親の子供なのだろうか

心底 自分にあきれつつ疑いたくなる 今日はそんな日
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これも人生

2009年05月18日 | 日記
式典

世間体に則っただけの言葉

心の無い涙

無意味な会議



退屈な会食 バイキングは更に

お涙頂戴の話

各種の事務的手続き


私の苦手なもの

その一つに挑戦するはめになった


これも人生
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たとえ 酔っ払っていようがだ

2009年05月11日 | 日記
生きている限り いつかは親と別れる

何しろ 親は私より年上だ^^

自分が先という可能性もあっただろうが どちらにせよ別れはくる

死というものの何たるかを知った時 悲しくなって布団の中で泣いた幼い自分をはっきりと思い出すことができる


それから長い年月が過ぎ 失うことの寂しさや悲しみよりも 

この広大無辺な時空の中で 偶然にも出会えた

そのことのほうが 喪失感をはるかに越えた幸福感につながるという事を知った


今も 階下の部屋は以前のままに近い

何処を見ても 何を手にしても それは・・・ 

だが 寂しいと思ったことは一度も無い

これは 親に限ったことではない


死というものが身近になり だからこそ生が活き活きとしたものになるのだと 

出会っただけで充分

心からそう思う

そういう気持ちで私は足跡を残し 日記を書いている

たとえ 酔っ払っていようがだ
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○(まる)

2009年05月07日 | 日記
連休に有給休暇をつけて あるいはこの不況のせい(お蔭?)で 長い休みを取った人もいるかと思った朝だったが

何のことはない いつもと同じラッシュ

働くよね~日本人

かく言う私も当たり前のようにそこそこの残業をこなし 甘い連休生活もすっかり過去のものとなった


帰りの地下鉄の中 本を読み始めた

10分も乗らない電車だ

大好きなオリバー・サックス氏の本で ついつい夢中になる

何となく降りたら 雰囲気がまるで違う

一瞬 此処は何処? 私は誰? といった気分

こんな時の人の反応は 実に面白い

私は 反対側の電車に乗ったのだろうか

いやいや 違う

その反対側の電車に乗るた~さんと別れて ちゃんといつもの電車に乗ったのだしと 記憶をたどる

やがて駅名をはっきりと認識して 乗り越した(降り損ねた)のだとわかる


私が降りるはずの駅は私鉄やJRの乗り換え駅でもあり 乗降客が多い駅でもある

私も 降りる人のためにその駅でなんと一度降りて それからまた乗ったのだ

それほどこの本が面白かったとも言える

いつもとは違うドアに飛び乗ったので たまたまそこは降りる人が少なかったということもあったかも


かなり前のことだが 冷蔵庫に冷えている飲み物で経験した

ウーロン茶か麦茶か 何かは忘れたが 見た目はそっくりの飲み物

自分ではこの味だと信じて飲んだ時に それとは全く違う味が口に飛び込んできて 吐き出した事があった

腐ってる? 変だよ という信号だったのだが 私の脳が飲む以前にこの味が来ると決めかかっていたのだ 


経験と学習によって 人は予知のもとに行動している

ある時はそれが偏見にもなるが 裏切られた時の発見もまたある

そんなわけで ちょっと面白くもあり 帰宅が遅れたじゃんかぁ~ っていう気分でもある そんな日であった

○(まる)
 
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