どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

フランク・ロイド・ライトの自由学園明日館

2009年02月22日 | 日記
2月に入ってから 我が社も流行の波に乗ったのか そこそこ暇になってきた

肉体的にも精神的にもヒジョ~に樂になってきているのだが これで大丈夫か?

まっ いいよね!

ってなわけで 今日は予てから何時かはと思っていた自由学園の明日館(みょうにちかん)の見学に出かけた

見学日にはスケジュールがあって いつも可能というわけでは無い

理由は 今もちゃんと建築物としての責務を果たしているからであり それが何より嬉しいことでもある


これは 帝国ホテルで有名なフランク・ロイド・ライトの設計である

その一部は 現在のホテルのバーと明治村(愛知県)で見ることが出来る


ガイドの説明は11時から

その前に私は見てまわった

ライトは近代建築の三大巨匠の一人と言われているが さぁて 結構好みが分かれるところかも

私は好きである


どこもかしこも あぁ ライトらしいなぁ と思う

この らしさ っていうのは 裏切られないということだ

勿論 楽しい裏切られ方というものも あるのは事実だけど


ホール入り口の天井の低さは帝国ホテルでも使われた演出だが 求心力を感じる

そして 其処には人の心と身体を温める暖炉がある

ところが一歩踏み込むと ホール自体は吹き抜けと大きな窓で生まれた開放感

中二階というのか そこには食堂があって そこからこのホールを見下ろすことが出来る


光と 彼独特の幾何学的文様と 直線の美しさ そして 大谷石

建築費に限度のある中で 節約できるところはとことんして それでもなお これだけのものを作ったのだ

朽ち果てていた建築物が取り壊しの案を退け 重要文化財の指定を受けての保存工事がなされた事に

私は ただただ感謝する


話はまだまだ続くのだが 今日はこれまで

ひとつだけ

ライトは帝国ホテルの完成も待たずに本国に帰った(クビになった・・・とも言える)

1923年 それは竣工されまさにその落成披露宴に かの関東大震災が起きた

無傷だという知らせを本国で受け取ったライトは 狂喜したと言われている


彼が手をつけた仕事は 遠藤新が引き継いだ

ここ自由学園も同じであり 帰国する彼の送別会の写真が残っていた

この時一緒に写っていた子供たちは おそらくそのほとんど(か 全員)もうこの世にはいないだろう


私はこの空間の中で いくつもの人になれる

創設者羽仁もと子にも 此処で学んだ少女たちにも 設計したライトにも 後を託された遠藤新にも

それは建築に限ったことでは無いけれど 実際に目に触れ 触ることもでき

今回もまた必要に迫られて 床に寝転んで写真を撮ったのだが

こうした空間での感動というのは 建築を置いて外にあるだろうかと思う


その細かいことについては またの機会に(明日と言いたいのだが 何しろ これも含めて酔っ払いだから^^)
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なにひとつ 色褪せない

2009年02月21日 | 日記
父は時代小説が好きだった

だから私は自分では買わずに 父から借りて読んでいた

父が亡くなってからというもの 読まなくなってしまった

何度も自分で買おうとしたが これは父が読まなかった 読めなかったものだと思うと

なんだろうか

私が代わりに読んでいるという解釈も成り立つのに

なんだか切なくなって ページを繰る気にもなれないのだ

いつかは全て決着がつくのだろうけど 今はまだまだ先送りにしておきたい

母が亡くなって4年 父が亡くなってもうすぐ3年

私の中で色褪せるものは 今もって何ひとつ無い 
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私は○○である

2009年02月17日 | 日記
暑いと言いたくなるような日がこのまま続くとは いかに○○な(お好きな言葉をどうぞ)私でも思ってはいない

ここ数日の 東京の冬の寒さにありがちなこの冷たい強風は 確かにこたえた


しかし 何よりも嬉しいのは 夜明けが早くなり 日没が遅くなってきていることで 

私が冬を嫌うのは まさに日照時間の問題だけなのだと よくわかった(殊に夜明けの時間!!)


出勤する時の朝日の輝き 強さ 高さが 日に日に変化しているのを感じる

それをこの身で受け止める嬉しさといったら


緯度だけでなく地理的環境で 春を感じる時期は地方によって異なるが 確実に春に向かっている

ただそれだけの当然の理にハッピーになる私は 相当の○○だと(お好きな言葉をどうぞ) 自分でも思う
 
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どうやら暑かったようで

2009年02月15日 | 日記
相手は宇宙人なのか それとも悪の集団なのか

とにかく私は得体の知れぬ相手と戦っている

敵は 地殻変動を起こして破壊させようと目論んでいるのだが

私が守ろうとしているのはどうやら地球の平和なんかじゃなく 自分の家らしい

そもそも敵の狙いが何処にあるのかさえわかっていないが ご近所さんの様子は見えない

奮闘の甲斐あって 勝利をおさめた


実に馬鹿馬鹿しくて疲れる夢である

寝ている時に暑いと嫌な夢を見る というのが私の定説?である

早く目を覚まして温度調節をしろ という身体の命令ではないかと 勝手に思っている

何故か 寒い時にはこういう夢は見ない

寒さへの反応のほうがもっと早急にやってくるせいか そんなまどろっこしい手段は必要無いようだ


この夢を分析して 私は自覚せずして何かと闘っているとも 

また この家の跡取りとしての責任を必死で果たそうとしているとも考えられるだろうけれど

実際は 全く無いとは言わないが それほど深刻に考えたことも無い

夢とは意識下の顕在化したものだとしても しなくても 私は殊更意味を解こうとはしない

ただデジャ・ヴに似た感覚を持つことはある


未だに謎なのが 水で作り出す音の公園の夢で 私はそんな公園に実際に行ったと記憶しているのだが

何処にあって 誰と行ったのか 何も思い出せない

映像かなにかで見ただけなのだろうか

それとも 私の頭の中だけに存在するのか


何れにしても 夢は目覚めがあるから夢であり

例えどんなに素敵な夢であっても 目覚めが起こるほうが 起こらないよりずっと良いのは 間違いない!
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高気温当たり

2009年02月14日 | 日記
寒さにも 恥じらいと慎み深さと慈愛とを感じる頃になった

昨夜吹き荒れたそれは春一番とのこと

本日 南向きの私の部屋は Tシャツ一枚でも暑いくらいになる


いつもどおり起床したのに 朝食も口にせずしばらくしてから眠り込んだ

そう疲れてもいないのに睡魔に負けたのは 風が運んでくれた南の楽園の空気のせい?


子供の頃は 短いけれど 春休みが一番好きだった

義務や責任から逃れた 一種のモラトリアム期間


眠っている間に両親の夢を見た

詳細はおぼろげで その感覚だけが残っている


来週は 至極当然であるが 寒さが戻るという

2月中旬にしては 馬鹿げた気温の今日 妙に いや 通常にも増してぼ~っとしている

湯当たりならぬ 高気温当たりのようだ
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