どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ガサツか神経質か

2016年06月30日 | 日記
家での一人飲みの時は PCが相手になることが多い(うぅ・・・なんという寂しい生活!)

だからテレビが無いことは 私にとっては良かった

ユーチューブにある「踊るさんま御殿」で「ガサツ対神経質」という回を見た

私はどちら側とも言えず 両方の面があるように思う


スーパーのかごを持つ時に一瞬だけ 誰が持ったのだろうと思うことがある

そういえば 他人の体温が残った椅子やシートに座る時に嫌な気持ちがするのは といった記事を見たことがあったけれど これは多かれ少なかれ誰でも感じることだと思う

同じお箸やスプーンなどを他の人と使うのは無理

ちょっと味見といって 同じコップに口をつけられるのも本来はアウト

だから 同じお箸で鍋をつつくなどは もってのほかだった

本来とかだったというのは 今は抵抗があるものの 言い難いなと思うからどこかで我慢し 社会性を優先させるようになったからであり そこそこそれにも慣れてきたということ

ただ気持ちの問題だけだと


これは両親が結核だったことが大きな原因かもしれない

大皿の食事をつつくということが無く どんな食事でも必ず一人一人分けられた

完全に大人になるまで家族であってもそれは続き たとえ箸がつけられていなくても両親の残したものを食べることは許されなかったし 外でもそうしたことは禁じられていた

夜店の食べ物はすべてきたないという理由で 唯一許されたのはなぜか綿菓子だけだった

とはいえ姉は子供の頃から私の残したものには何の抵抗も無く箸をだし うっかりすると 最後まで大事にとっておいたものを「食べないの?」の 「~ない~」あたりでもう姉の箸がそれをはさんでいて「~の?」 のところでは口元にあり えぇ~~~~ っということも何度かあった

姉はそんなことは全く気にしなかったが 私は自分以外のお箸は洗ってあるものでも使えなかった

人が残したご飯を食べられるって すごいなと思って見ていた


かと思うと すごくガサツなところもある

最近行く工務店にはスリッパが用意してあるのだが どれだけの客がこれを使ったのかと思うと 履く時に少し躊躇する自分がいる

そのくせ自分のものであれば 数年使っていても何も気にならない

相手があることに関しては不快な思いをさせてはいけないと気を遣うが こと我が身だけのこととなると 誰にも迷惑かけるわけじゃなしというところがある

忙しかったとはいえほこりくらいでは死なないと思ってきたし どこまで神経質なのかは自分でも謎である

神経質でもガサツでもどちらであっても 他人に嫌な気持ちを与えたり迷惑をかけない限りは どうでも良いというのが私の考え

でも もしも家族で両極端だったら そもそもこうした価値観に正解も平均値も無いのだし 暮らしにくいだろうなとは思う

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青いトマト

2016年06月29日 | 日記
この急激な涼しさのせいか それとも睡眠時間が変になっているせいなのか 今朝はとても眠かった

それでも今日は打ち合わせがあるので 工務店に行かねばならない

詳細が段々と決められていく


屋根の色は決めたが 外壁の色がなかなか決められない

社長も 例の高齢の人もそれぞれアドバイスをしてくれる

あまり見かけないが気になっている色は屋根と同系色であり 全体として渋くてシックな感じだが少し暗いかどうかが心配なところ

社長はこの組み合わせを悪くないと言い 高齢の人はやはり暗いと感じているようで 私も他の候補色と迷っているのでそのまま保留とした 


帰りに トマトを持っていってくださいと 社長自ら近くの農園まで自転車に乗って取りに行った

その間 私は高齢の男性から色の選び方についての話を伺う

この農園は 家づくりで使われる天然素材に関する実験と宣伝を兼ねて作られたものだが 作物が育つのを見るのも楽しみの一つになっているようだ 

今年初収穫だというトマトをいただき もうすぐ「だだちゃ豆」も収穫できるときいて 思わず「私 大好物です!」と答えてしまった

じゃ 少し持って行きますかという声に いやまだ早いでしょう この次はいつなんですか? まだ決めてないけどと 社長と高齢者の間でだだちゃ豆収穫会議が始まる  


帰りのバスでは 珍しく居眠りをした

スーパーでは見ることのない 半分緑色を残したトマト2個を冷蔵庫に入れて 今日は早く寝ようと決めた


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物憂げな梅雨の一日

2016年06月28日 | 日記
今日はとても涼しい

これで数日後にはまた30度を超えるというから 身体も心もついていくのは大変だ

午前中少し机に向かったが 居眠りするのには最適の気温で しかも外は曇天

さっそく実行したが 少しうつらうつらしただけだった

寝転がって ユーチューブでTV番組を見たり ラジコでラジオ放送を聞いて数時間を過ごす


今や私にとって パソコンだけが情報収集の唯一のツールとなっている

社会問題やらニュースやら 最新の話題のほとんど全てを私はこれを通して知る

バスキアの絵を62億で買ったのが日本人だった ということで海外では話題になったとか

(金額ではなく マネやゴッホやピカソでは無かった という点に驚いたようだ)

立体的に見える金魚を創作している深堀隆介という美術家の話もラジオで聞いた

知りたくも無いような残酷な話も 現在入院中の大橋巨泉が連載『今週の遺言』を最終回にしたことも

そして 私はあれこれと考える


週末に遊びに来てくれる友人が糖尿病である

日頃 生活習慣に関しては半分ほどしか注意してなくて 先日の検査でお目玉を頂戴したとか

我が家に来るまでの数日 ビールをやめて食後の運動をするというから 私もつきあって今日から夕方のイッパイを中止にしてみようかと思い さきほど夕食を食べ終えた

自分一人の口に入り 胃が満たされれば良いだけの食生活は 貧弱になり 変わり映えのしないメニューになる

時には誰かに作ってもらいたいという主婦の気持ちが わからないでもない

これから食事の後片付けをして また少し机に向かい 早めに寝ることにする

梅雨の残りの三週間 もうこれほど涼しい日は それほどは無いだろう

静かで 少し物憂げな梅雨の日も悪くない

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贅沢な憂鬱

2016年06月27日 | 日記
退職してからまだ1年経っていないということは 四季の全てを経験していないということになる

そもそも毎日 一日中家に居るという経験さえ無かったのに ましてや今は慣れ親しんだ家に住んでいるわけではないとなると この梅雨も 暑さも ある意味初体験

除湿を入れるか 冷房にするか いやいや まだ早いのか


今までの夏の休日は 午後からはほとんど冷房を入れて過ごしていたように思う

普段は朝の2時間ほど 帰宅してからはすぐに 時には朝にタイマーセットをして家を出ることもあり 寝る時は弱めるものの朝の4時頃に切れる設定と 悩むこともなくほぼ決まった日々だった


決まった毎日というのは ある意味非常に楽である

今では今日一日何をするのかさえ それこそ起床時間から食事 そしてエアコンに至るまで 自分ひとりで考えて決めなければならない

独り者の退職は 贅沢な憂鬱になる可能性が高い


まだ真夏では無いので じっとしていても汗が流れるといったことは無い

それでも微妙な室温と湿気を感じ 職場であればどこでも冷房が入っていると変な言い訳をして えいっと除湿を入れた

エアコンは一室にしかつけていないから こうなるともうそこからは出なくなる

何もかもが大きく変わった 全くの未経験の暑い夏を(今年は猛暑の予報も出ている)どうしたら快適に送れるのか まだまだ手さぐり状態である   



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行ったら行ったで

2016年06月26日 | 日記
本日は家事デー

真夏ほどでは無かったが それでも買い出しに外に出たら ああ 夏の暑さってこんなだったと思い出した

梅雨の合間の晴天は いずれ来る真夏の練習日


汗を流して炎天下を数日間に亘って歩き回るという私の夏の旅も 2013年を最後としてもう出かけていない

あの頃は夏休みにしか行けないという理由があり また どうしても見たいという強い思いもあり それが原動力となってあの暑さをはねのけることができた

暑かった 本当に暑かった

流れる汗は止まることが無く わずかな日陰さえ求めた

何度となく こんな夏の旅は嫌だと思った

それでも素敵なやつに出会いたくて そしてそれが目の前に現れたらもう他のことなど何も感じなくなり ただただ眺めつくし 見上げ 覗き込み 触れ 興奮した


昨年の秋 京都に出かけた

11月中旬は旅をするには最高の季節で 紅葉にはまだ少し早かったが どんなに歩いても快適で苦にならなかった

それなのに今日 夏の暑さを感じるとほぼ同時にさまざまな旅の日々を思いだし またあの日のようにザックを背負って歩き回ることができるだろうかと思い あの情熱も含めて懐かしく また愛しく感じた

私にとっては 旅というものはあの暑さと汗とがあってこそで それらが密接にからみあいワンセットとなって刷り込まれてしまっているようだ

もしかしたらハードであればあるほど 流した汗の量が多ければ多いほど感動も達成感も大きくなるという 実に単純な理屈のせいもあるのかもしれない

それでもまたちょっとやってみたいなと思いながら 買い出し荷物を抱えて家に帰った

でも 行ったら行ったで もうこんな汗だくの夏の旅は嫌だ って言うのかもなぁ 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする