どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

こんなんで ゴメンね!

2010年10月24日 | 日記
一日が終わり 眠りにつく

いつもと変わらぬ朝がくると信じて

だが それは時々裏切られる

良い事もあるし悪い事も 幸運なこともあれば不運なことも


我が家では 下水道が完備された時 それまで使っていた井戸を残すことにした

このあたりでは かなり珍しい

知らない人のためにだが 井戸といっても がちゃがちゃと汲み上げるものではない

自動ポンプというものがあり 蛇口をひねるとう~んと静かに音を立てて 夏には冷たい水を 冬には暖かい水を


昨日の朝 いつものように蛇口をひねったら 赤い水が出た

と思ったら 水が出なくなった

昔 何度かこんなことがあったように思う

そんな時は 親が注し水をしていたのを思い出した

ところが さて どこから入れるのかがわからない

一つ 栓らしいものを見つけた

それが固くて なかなか開かない

渾身の力で回したら 手応えがあった

薬缶に水を入れて何度か水を注してみたのだが ごぼごぼと吸い取るだけ吸い取って 何も変化はない

水道やさんを呼ぶしかないと判断したのだが それがどこかも私は知らなかった


あの親ならば 絶対に説明書や領収書などを残しているはずだ

だが その場所がわからない

滅多に入らない部屋を あたりをつけて捜索したのだが 皆目わからない

情けなくなってきた

私は家のことを親に任せきりで 親も自分たちの家だという責任と愛情から 私はほとんど関与せずにきた

そのツケが次第に回ってきているのを感じた


まさかと思う場所に それはあった

ケースの中にしまわれた書類の中に 「井戸・ポンプ関係」と 父の字で書かれた袋を見つけた

井戸の修理やポンプを交換した時期など それまでの経緯がすべて記載されていた

それを頼りに 私は電話をかけた

何度かけても留守番電話だ

嫌な予感がする

時間を置いてかけてみたら やっと年配の女性が出た

廃業していた


仕方なく 誰かを紹介してくれと頼んだ

そうして やっと来てくれた

ホースで水道の水を流し込んだら なんとか動き始めた

喜んだのもつかのま 彼が帰ったあとで 今度は一定の間隔でモーターが回っていることに気がついた

再び電話をした

井戸は 地下10メートルの水脈まで管を通してあり その先にジェットという部分があるそうだ

そこに問題があって そのために水を吸い上げようと回るのだそうだ

ポンプはすでに15年を経ている

もう寿命なのではないかときいたら いや まだ大丈夫だろうという返事だった

ポンプは 木製の囲いの中にあり その上に鉄板のフタがついている

こうしてきちんとしているから とても15年前のものとは思えないと言われた


部品の交換には 一日を要する

土曜日にやってもらえるかと言ったら あまり感触が良くなかった

少なくとも 一ヶ月先になるという

以前の水道やさんはとても良心的だといって 両親が気に入っていたのを覚えている

だからこそ 同じところに頼もうと思ったのだ

ところが 時代の流れなのだろう 

こんな仕事はあまりしたくない といったような感じだったのも 私をがっかりさせた 


朝食も取らぬまま 朝からバタバタして そうしてどっと疲れた

がっかりもし 親に感心もし 我が身の不甲斐なさも知り わずかな出来事に疲れる自分にも腹立たしかった

いっそ 井戸を使うのをやめようかとも考えた

井戸水はタダだと思うかもしれないが ポンプが動いた時間に応じて下水道料金を取られる仕組みになっている

いつかポンプも壊れるだろう

無くても そう困るわけでもないんだ


だが 親が残したものだ

井戸水が自慢だった

それに 以前 災害が起こった時には利用させてもらえるか といった書類が送られてきたきたことがある

いつか 誰かの役に立つことがあるかもしれない(大地震なら 無理かもしれないが)

もうちょっとだけ なんとか残そうと決めた

感謝と反省と 懺悔にも似た気分になって いつまでたってもだめな子供だとあらためて思い知らされた

こんなんで ゴメンね!
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あまり賢くはない似た者親子

2010年10月17日 | 日記
日々 色々とありつつ 笑いもあれば怒りもあり 感じることも考えることもあるにはあるのだが

ただ何となく 足が遠のいていた

今 一番釈然としないというのか 腑に落ちないというのか キレが悪くなっているのは

やはり 以前に書いたパワハラの問題のせいかもしれない


直接的には 私の問題ではない

彼は彼で 身の振り方を考えるだろう

社員のそれぞれに 自分がおかれた立場や境遇というものがあり それを守ることを優先する

それを責めることは 誰にもできない


これが子供の世界であったなら イジメをした者は勿論 見て見ぬふりをした者も何かしらの罰を受けるべきだろう

だが 世の中は何故かそうは単純ではないようだ

そこに私のジレンマがある

そういう意味で これは私の問題となってしまう


じゃ どうするの?どうしたいの? と 詰問はされたくない

自分が正義だと思う事を守るのも大事だし 生活を守るのも同じように大事

結局は他人事で 我が身にふりかからない限りは 仕事をして給料をもらえばそれでいい という考えだって

全否定はできない

両方に折り合いをつけて なんとかうまくやっていくのが賢い生き方だと そうは思ってみたのだが

私は どうも賢くはないようだ(と 今更ながらに) 

しかも 自分の思うところの正義を守ったつもりになったとしても 何も解決しないだろうことはわかっている

更には 正義の本質だって何もわかってはいないのだ

それなのに 私は卑怯者だろうかとか そもそもそんな会社で働いている自分が情けなくなったりもする


これは悩みではない

愚痴でもない

不満でもない

日常の他の場所においても 大きく言えば 人としてのあり方を自分に問いかけているだけのことだ

答えがあるのか無いのかさえもわからないというのにだ


父だったら どうしただろうか と考えることがある

おそらく 彼なら黙ってはいられないだろう

あまり賢くはない似た者親子になるのだろうかと それを考えるとちょっと笑える
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庭で終わった今週末

2010年10月03日 | 日記
昨日と今日にわたって 庭師が入った

私は 至極単純な希望を述べて あとは彼に任せてしまう

髪を切りに行った時と同じで こざっぱりとやってくれ それだけ

あとは お三時のお茶菓子を出した時に ちょっと会話をする程度だ

それでも 彼が我が庭を奇麗にしてくれているかと思うと 私も午後から飲んだ呉れるわけにもいかない

家事に専念した

おかけで この二日間でかなりはかどった(しかも 労働者の気分も抜けなかった)


私は今 子供の頃の庭に戻そうと考えている

小学生の子供が8人ほどいて 缶ケリを楽しめるような庭だ

門から玄関 そこを境に庭に

そうしてそこには昔 小さな木戸があって その上にはバラのアーチがあった

あれは いつから無くなったのか


砂場があったのも はっきりと覚えている

そばにはブランコもあって それは公園のものと遜色ないものだった

新宿からこの地に越した父にとっては 当時は相当未開発な場所だったに違いない

娘たちが この狭い土地の中でも十分楽しめるようにと 全て作ってくれたものだ


父が結核から生還したあと それが母にうつったのだろう(生還しなければ 私はこの世には居なかったのだ)

母は 検査をしたり寝込むことが多かった

ある時 お留守番のご褒美に 白いクマのぬいぐるみを買ってもらった

それを幾度 そのブランコに乗せてこいだことか

落ちるたびに あんたってだめね~と思いながら 土を払って 何度も何度も乗せた


私たちが少し成長してから 父は ブランコの鉄柱に鉄棒をつけてくれた

そこで 逆上がりだの 懸垂だのをした

元々小柄で身軽だった私は 得意のものだった


夏休みの仕事は 庭の水撒き

何箇所も蚊に刺されながら(今では一箇所でもおぞましい程なのに)

はっきりとは覚えていないのだが 水量と角度に関することで 夏休みの自由研究を提出したこともある

いい加減な独創性が災いして校長賞をもらい その時の実験材料を持ってこいということになって・・・ 

慌てて 錆び付いた 新潟のお土産の柿の種の缶を持っていった記憶がある

恥ずかしいこと この上なかった


今では 子供の頃には無かった木が かなり繁っている

そういえば 父が セミの抜け殻だの どんぐりだの・・・とても嬉しそうに話していたのを思い出す

ガマちゃん(ガマガエル)が出てきた なんていうのも 大事な我が家のニュースだった

雑草は別にして 父は この庭で生まれる命全てに 等しく愛情を注いでいた

(それで 私は今 非常に難儀しているのだが)


此処に居を構えたばかりの頃 まだ30歳にもならない母が いつか この庭で孫も遊ぶのかしらと父に言ったら

馬鹿馬鹿しいという様な顔をしたといって 後年まで根に持っていた母だったが

まぁ どうあれ 甥っ子はこの庭で遊んだ
 

私にとっては こういう庭なのだ

どんなに多く見積もったところで 50年を待たずして消える

今では私がどうしたところで 誰からの責めも受けないのだが 面倒でもあり ありがたくもあり 

まぁ そんなこんなで 私の今週末は終わりのようです
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