どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

コメントの返事を日記にする―春さんへ

2014年11月09日 | 日記
 激痛の時は春さんとのデートは無理かと心配していましたが、数日して痛みも薄れてきたので決行できました。
 どうかご心配無く。

 電車を閉めだされた?その時、ふと春さんだったら絶対に抗議しているだろうな・・・なんて考えたので、コメントを見てやっぱり・・・って笑っちゃいました。
 ホームドアに押された瞬間はドアが閉まったことにあっけにとられて、自分が何にぶつかった(ぶつけられた?)かも瞬時には把握できなくて・・・数秒してからのことでした。

  首の痛みはそのせいでは無いとは思います。
私も駅員に文句の一つも言いたかったけれど、あの女性にも、乗客にも責任の一端はあると私は考えています。
 降ります!と早めに知らせることは、特に混雑してる時は必要ですし、春さんの言うように、乗客もあまりに自己中心的な人が多くなりました。
 またスマホや耳にヘッドフォンは今では当たり前になっているし、その全てを悪いとは言わないけれども、それが周囲に対する無関心へとつながっているという面も多少はあると日頃感じています。

 電車は、基本的には偶然的に集合した社会集団が移動という目的で一定の時間と空間を共有しなければならないものです。
 本を読む場所でも、スマホを見る場所でも、眠る場所でも、食事をする場所でもありません。
 そのすべてを禁止しようとは無論言いませんし、私は規則なんてものは少なくて済むのであればそれが一番良いという考えです。
 何が常識かは決めかねますが、大事なのはTPOだろうと思っています。
 それは、いつも同じではないということを頭に入れて、状況を判断する心だろうと思います。
 どんなに混んでいても車内では自分はこうしたい、とばかりに自我を押し通そうとする人を見ると、残念なことにこれが今の日本の姿なのだと思うしかなくなります。

 以前は、降りる人がいます・・・なんて、付近の乗客が声をかけたりしたものですが、最近はそんな素敵なおせっかいの声も聞かなくなりました。
 現実の世の中を見ずして、いったい四角い物体に向かって何を見たり聞いたりしてるのかと思っちゃいます。

 あの時、もう少し多くの人が電車から降りて女性の下車をより早くすることができたら、駅員だってそのために降りた乗客だと判断できただろうと思うし、また私なら、降りますという声も出せないほどシャイな人間だったとしたら、ドアが閉まりそうになる時に降りるよりは潔く一駅乗り越します。
 あの場合はたかが10分程度の損失なだけですから。
 (だが、その時もしも何らかの理由で声が出せなかったら?とまでも考えたりしまして・・・・そういう時はカードを持参する。そのカードを見た付近の人は代わりに「降ります~」と言う・・・そんな社会もいいかなって想像したりしました。)

 というわけでことさら誰が悪いというつもりもなく、ただこうして小さな事件(事故?)は起こるのだなと、まぁ私としては面白い出来事でもあったので抗議の声は上げなかったわけですが(その瞬間は駅員に何か言おうとも確かに思ったのですが)、ハインリッヒの法則ではありませんが小さな無関心(人に対してもミスに対しても)が大きな事故につながる・・・ということは、春さんの指摘どおり確かにあるでしょう。

 コメントの返事を日記に書くというのもどうかと思いましたが、書こうとすれば長くなるのはわかっていましたし、また私自身、日頃思っていることでもありましたので、こうして書くことにしました。
 まぁ、ごく少数の人の目にしか触れないだろうしということでご勘弁を。



※ コメントへの返事ということで日頃の日記の文体(なんてものもそうは無いけれどね^^)とは違うものとしました。
コメント (2)
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こんな日々

2014年11月03日 | 日記
ある日の仕事帰り いつもの駅から地下鉄に乗った

夕方のラッシュで車内は混んでいる

次の駅で扉が開き 少しあって奥から女性がもぞもぞと降りようとしているのに気が付いた私は たまたまドアのそばだったこともありホームに降りて道をあけた

もう一人 私と同じ思いで降りた女性がいた

その駅で降りたかったまだ若い女性が無事に下車したのを見て 再び車内に戻ろうとしたその瞬間

電車の扉が閉まった

しかも ホームドアは私の肩を押しのけて


は? なんてこと?

しかもホームのアナウンスは 「ホームドアから離れてください」と・・・・・

下車の予定の無かった女性二人は顔を見合わせて ただあんぐり

運よく降りることができた女性は あっ と小さな声を上げてすまなそうに私たちの顔を見るばかり


おそらく駅員には どんくさい女性3人組がギリギリになって降りたように見えたのだろう

だが あんまりである

ホームドアにぶつかりそうな場所に立っている人間を締め出すなんて

メトロY線よ 気をつけて欲しい


そのせいではないだろうが なぜか二日後に首と肩に痛みが出るようになった

肩こりなのだろうか 日頃ほとんど無縁なものでよくわからない

ただ その痛みは寝ていても何度も目を覚ますほどで 自分の頭の向きを変えるだけでも激痛が走った

手で頭を支えながらそっと位置を変える

頭とはとても重いものだと実感した(こんな軽い頭でさえ)

お風呂上りに洗った頭を拭く時 階段を降りる時の そういった日頃は何とも思わないようなわずかな振動でも息が止まるような痛みだった

その痛みがやがてピンポイントになり 薄れるまでにほぼ一週間かかった


人生は不条理で理不尽なもの と覚悟しているものの 実は変化を嫌い ぼ~っと毎日が過ぎていく春休みのような人生が本当は一番好きという怠け者だということも 白状しておかなければならない

物が壊れる 何かを失くす(物であれ精神的なものであれ健康であれ) 面倒な出来事 そういったことは私には(誰でもだろうか)小さなストレスになる

それが生きるということなのだとわかってはいるが わかるとは実践が伴ってこそ

まだまだだめな自分を発見しては これではあかんと思う日々を送っている 

コメント (8)
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