どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

一月下半期のあれこれ

2013年01月28日 | 日記
今月中旬 仲良し君の送別会が行われた

辞めていくものにお金はかけないのが社長

デリバリーのお寿司をとっての社内での会となった

1時間ほどで終了となり 彼が挨拶をした

その時 彼が幾らか涙ぐんでいたのには驚いた

勤続10年の彼の胸の内には 多くの思い出が蘇ったはずだ

もしも彼が社長と折り合いが良く パワハラを受けることも無かったら 顧客との付き合いも仕事自体も そして仲間にも格別不満の無かった彼が辞めることにはならなかっただろう


そうして始まった先週 人手不足になりつつもなんとか乗り切った

ところが今週 今度は定年で再雇用になる男が 一週間の有給休暇を取るという

前もって休暇を願い出ることはもちろん可能だし 突発的に休んでもペナルティーは無い

権利は権利

しかし 休めばそれだけ仲間に負担をかけることになるとわかっているから みなあえて有給休暇の申請はしないでやってきた

今 この時期に取る彼の真意も日頃の行動を見ていればよくわかる


誰が正しいとか正しくないとかの話ではない

私が そういうこと(ひと)を好まないだけだ

彼が居なくても別に困りはしない


15年使ってきたエアコンを買い替えた

まだ動いてはいるのだがそろそろ寿命だろうし 電気代の節約にもなるだろうし 必要な時に壊れると生活にも影響する

しかも こういうものはたいてい 必要な時(稼働している時)に壊れるものときている

先週末購入し 昨日の工事日に合わせて 土曜は部屋の大掃除となった

15年の間にPCが2台 TVは捨てたが本が増殖した

それをエアコンの下のところに置いていたのだが 工事をするのには邪魔になる

押し込める場所を確保するのに 本棚にある不要なものをこの際捨てることにした

(ちなみに本ではないし 本は捨てられない)

土曜日丸一日かかったが すっかり綺麗になった

電気料金がどれだけ安くなるのかが楽しみである


今朝はまた粉雪がちらほら

外は寒いでしょ 行ってらっしゃい

冬だもん 当たり前~ 行ってきま~す と元気に答えて家を飛び出した私

8年前の今日の朝

母との最後の会話
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過去と未来の正月

2013年01月14日 | 日記
休日の朝ではあるが早起きをした

朝食を済ませた後 やはり早起きをした友人から 生ごみを出してきた とのメールの一文を見てのことだ

突然私はパジャマを脱ぎ捨て 着替えると 雨の中を傘もささずに飛び出した

空き缶を持って・・・


月曜は休日になることが多い

その月曜が私の地域では 週に一回のリサイクルごみを出す日なのだ

空き缶は言わずと知れたビールのもので 中をすすいで干してあるものを潰すのが週末の仕事の一つになっているのだが 何しろ週一回のこと 出し忘れると次が大変である

しかも その時にご近所の住民と会いでもしたら とても恥ずかしい思いをすることになる

週一回であっても空き缶の量はそこそこあって しかも一人暮らしの私は誰のせいにもできないという弱みがある


その朝の雨も 気が付けば雪に変わっている

今冬初めて見る雪は これからのちに雨に変わらなければ積もる勢いで あたり一面を真っ白にしていく

雪かきと 明日の朝の凍結のことを考える


今年は7日の始業とあって 正月などは遠い過去のように日常がすぐに戻ってきた

初日は半病人のようにして出勤したが それさえももう過去になった

そして 日の出が今日から早くなった

といっても2~3日に1分ずつという歩みではあるのだが ちょうどその頃に入浴タイムの私にはひときわ嬉しくもあり また実感も強い


休暇中に髪を切るはずだったのに 思いがけずダウンしてしまって 先日になってしまった

長い休暇の話になり・・・マスターは 来年もそうなるらしいじゃないですか お客さんがそんなことを言っていましたよと

そうなのだ

労働者はそれだけが楽しみで 年末に新しいカレンダーを見ると 来年の連休の具合はどうか 夏休みはいつか 年末の休暇は と それを先に見るものだと 私は説明した

客商売で自営業のマスターには そういう感覚が無いらしく そういうものなんですね~ とちょっとびっくりした様子だった

そう 今年はおそらく12月27日が仕事納めで 来年の6日が始業になるだろう

しかも さらにその先まで言うと2014年度 年末年始の休暇はやはり9日間になる予定だ

そして そのあとしばらくは6日間の休暇となるはずだ

最長の年末年始休暇を味わっての退職も悪くないと 怠け者労働者は鬼も抱腹絶倒の計算を今からしている

 
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正月気分も今日まで

2013年01月05日 | 日記
仕事始めは7日

昨日は寒風の中 友人と豊洲から市ヶ谷まで歩いた

豊洲から晴海に行く時に渡った晴海大橋から 澄んだ青い空の下 綺麗な富士山がくっきりと見えた

そして 今まで見る機会の無かった というよりも意識的に見ることを避けていたスカイツリーが 近くの高層ビルとほとんど同じ高さで建っているのに気が付いてしまった

遂に私も見てしまった・・・


まだここが開発中であり ゆりかもめだけが開通していたころに 遊園地の乗り物に乗る気分でそれに乗ったことがある

勿論 乗客などほとんど居なかった

むき出しの地面 開発が始まりかけた殺風景な車窓

それからここに来たのは 数回ほど

次々に増えていく高層のマンション群が日陰を作り 海風なのか川風なのか それともビル風なのか それでなくとも強風で冷え切った日 立ち止まっては何度も何度も洟をかみながらひたすら歩く


勝鬨橋を渡り 築地近くで軽くお寿司をつまむ(ビールつきで)

銀座 新橋とくると 初出勤や新年会らしき勤め人の姿も多くなってくる

その人ごみを避けるようにして 首相官邸 日枝神社 赤坂御用地 迎賓館 などを横目に歩く

このあたりを歩くと なぜか嫌な気持ちになるのは相変わらずのこと

四谷で再びイッパイやって 市ヶ谷まで歩き 日暮れ前に家に帰った


今日 筋肉痛・・・・

夏の旅以来 ほとんど歩いていなかったしなぁ

そんなわけで ダルダルと体を休めながらの今日 ラジオを楽しみ 本を読み ネットであれこれ検索したりと 最後の正月気分を味わった

リタイアしたら 毎日が休日になる

特に独り者はよほどきちんとした生活を送らないと 人生の最後をダルダルで終えることになってしまうだろうと感じつつ


さぁ~ 残ったおせちで正月気分最後のイッパイといくか~~(って いつも最後はここかい!)
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身の丈にあったほどほど

2013年01月03日 | 日記
ダブルブッキングになってしまった今年のおせち

そうそう食べる機会の無い背中を丸めた伊勢海老や かにみそをソースにしたカニのカクテル 蒸した雲丹など美味しいことは美味しいのだが

こうなるともうなんだか半分義務にも似てきて 味わうというよりもやっつけるようにして食べることとなってしまう

美味しいね という相手も無いものだから それに腐らせたら勿体ないという貧乏根性も手伝って格闘するのだが 元々が小食の私

朝起きて まずお雑煮

しばらくしておせちの数々をお皿に盛りつけてイッパイなのだが その一食で一日もってしまう

 

日本はご存知の通り 食料の自給率が非常に低い

にもかかわらず 廃棄率は非常に高い

私自身 使いきれずにだめにする野菜も少なくない

捨てるときは 嫌な気持ちになるものだ

自分で用意したおせちは5日で終わる計算だったのに これでは初出勤(7日)まで続くだろう


過ぎたるは及ばざるがごとし

身の丈にあったほどほどが一番幸せな立ち位置なのだと この身をもって実感している

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早くも夏に向けて

2013年01月02日 | 日記
子供のころから そして今も 大晦日の夜の時間が一番好きだ

終わることへのある種の爽快感や 心であれ物であれ 新しきものを迎え入れる興奮

元日を迎えてしまえば もうすでに日常が動き出す


大晦日に叔母からさるデパートのおせちが届いた

子供は無く すでに寡婦となっている父の一番下の妹である

父が亡くなる時 一緒に暮らしたらどうか と言われた

それは 女性の独り暮らしよりもふたりのほうが安心できるという思いがあったのだろう

だが 私は申し訳ないと思いつつも その父の最後の願いをきっぱりと断った

大勢の中に一人が入るのであればともかく 近しい叔母とはいえ遠慮なく暮らすのは無理だろうと感じたし 

私にも私なりの生活のリズムがあり きっと互いに嫌な思いをするだろうと想像し

そのことで一生 深い傷を負いながら生きていくのは嫌だと思ったのだ

何より 私には二年に続いての看取りがあった

この先 寿命でいけばいずれまたそうなるわけで 私の人生はこのためにあるわけではないのだと言いたかった


彼女は 友達と暮らすとかで家を売却して南紀に引っ越したが 案の定うまくは暮らせずに東京に戻ってきた

そういう人だということもよくわかっていたので 驚くほどの展開ではなかった

住所や電話番号は聞いたものの それ以降 ほとんど音信は無いままだった


時期をはずしてお墓参りに行くと 必ず誰かが墓参してくれただろう痕跡がある

それを 今年の秋には見ることが出来なかった

心配になった私は その場で電話をしてみた

その時に おせちを送るからと言われたのだ

一緒に旅行にも行きたい 費用なら任せて とも言われたが 声は随分と元気が無かった


叔母の様子を見にいくべきだろうか

だが 姪や甥は私以外にもいる

父と仲の悪かった というよりも散々辛酸をなめさせられたあの叔父には 今は私とは比べられないほどに出世した子供たちがおり

しかも 叔母とは長く付き合いもあったらしい

今更 私が出ていくことも無いだろうと思う

万が一遺産でもあったら 返ってやっかいを背負い込むことになる

父が 自分の死のことは知らせるな 葬儀にも呼ぶなと言ったのにもかかわらず その叔母は知らせたのだ

従妹からの電話を受けた時 私は丁重にお断りをし それが父の意思であることも伝えた

これ以上 関わりたくはない

そう思いつつ 地図で叔母の住む場所を確認したりもしている


大晦日の午後 私が作った我が家のおせちと叔母のおせちを両親の写真の前に並べ 一年の報告をしてから前倒しの正月

昨日は ゆるゆると過ごした

ネットで無料の映画「グレート・ディベーター 栄光の教室」を見た

州立大学への入学を黒人には許されていない問題について いつかは変わるだろうが今は性急だという白人学生の意見に対して 黒人の女子学生が言った

いつかとは いつなのか 明日なのか 来週?100年後?永遠に来ない? 正義と自由の時はいつでも 今 なのだと論破する場面がある

その時 今の日本の原発問題を言われているような気がした


今朝は 今年の夏の旅の候補地を検索

せっかちな私は 早くも夏に向けて今から心が弾む

そして夏が終われば また大晦日がやってくる はずになっているのだが

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