どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ダラダラしてますが

2016年02月28日 | 日記
今年になって初めて友人との飲み会に出かけた

話をしていたら また家を出るという

これまで海外も含めて何度移動したことか

大学卒業後 語学留学でフランスに行ったのを皮切りに その後 東京に戻ってから何度か引っ越しをし 再び大学に通うために静岡に行ったり かと思えば香港に そしてまた東京で実家に戻ったり家を出たりの繰り返し

もう落ち着くのかと思ったら 今度は通勤に時間がかかり疲れるからと

東京都下とはいえ そう遠いわけではないけれど バス利用とあって通勤には1時間半近くかかってしまうようだ

私のように駅から家まで徒歩数分の人間にはわからないことかもしれない

私はどうやら定住型農耕民族の遺伝子があるのか とてもそんな行動力は無い

格別何を話したということも無かったが ダラダラと飲みながら 結局7時間も店にねばっていた


ダラダラといえば 最近の私はそんな生活なのと話したら 心の底からといった声で「いいなぁ~」と

うん 悪くないよ

退職して まだ か もう かはわからないけれど 半年経った

彼女は退職したら3年くらいは引きこもりたいというから それに比べたら今の私は頑張っているほうかも


そういえば 先日 英語の筆記体を書こうとしたら 手が上手に動かずにびっくりした

数分書き続けていたらようやく思い出してきたけれど 

彼女が香港のお土産に買ってきてくれた墨がある

もう30年近く前のことだろうか

墨は長く寝かせておくと段々良くなるのだそうだ

ダラダラも良いけれど そろそろ初心に帰って学校ごっこを始めようかな
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

必殺仕事人 お雛様に引導を渡す?

2016年02月25日 | 日記
家の整理にあたって 今まで多くのものを捨ててきた

気持ちよく(ゴメン!でもこれ ゴミでしか無いし・・)捨てられるものもあれば 思い切りが大事だったり 時にしばし眺めてみたり 迷いに迷って半透明の袋の中に消える運命となったものもあれば わずかな気の迷いで救われたものある

そんな中 今 一番ためらわれるのが「お雛様」である

前にも書いているが 私の姉は3月4日生まれということもあって 両親のそれぞれの家から「お雛様」がやってきた

そんなわけで 子供の頃は隔年で飾っていた

思春期には あれは両方姉のものなんだなぁ なんて感じたこともあったし 次女なんてものはこんなものなんだなって でも 私は次女で良かったし っていうか 次女に生まれたからそう思うような人間になったのか

楽しいから笑うのではなく 笑うから楽しくなるのだという説もある

鶏が先か 卵が先か?


姉は段飾りを持って(というか持たせて)嫁に行ったので 決して嫁には行かないと決めた娘(私)のこの家にはケース入りのお雛様が残った(90×50×70くらい?)

全員童子のような顔立ちの木目込み人形で 総勢15名が嫁入り道具などと一緒に 普段はケースの下の観音開きの中で眠っている

押し入れの奥から出すのが面倒だけれど 飾るのはわけもない

子供の頃は人形をいじることのできる段飾りのほうが嬉しかったが 大人になるにつれ 扱いやすさも それに顔立ちも(私も童顔のせいだろうか)こちらの方が勝っていると私には思えてきた

「右近の橘 左近の桜」も 子供の頃から耳にタコだった(これはどちらから見るかで違うらしく 夫婦をどう置くかも違うらしいけど) 

ともあれ私が飾ると喜んで見ていた両親も亡くなってしまうと もう出す気にもなれずにここまで来て この際処分しようと考えた


一番良いのは誰かに引き取ってもらうことだが 少子化の今 娘や孫娘には新しいものを与えたいだろうし また住宅事情もある

ネットオークションなんていうのは面倒だから私はしない

価値がどうだかは知らないけれど 引き取り専門のところに相談するのも好みでは無い

人形供養などということも考えないバチあたりである(人だって焼却炉に入るのだ)

ええい これも処分だ!

と思ったものの 二人だけなら持っていっても良いかな などと考え直す(甘い・・)

3月になったら玄関に飾ってみるのも良いかもしれない なんてね

そうなると12名に恨まれるのだろうか

どうせこちらは仕える身だもんね・・・と身分の違いを憂い 連中はひねくれるかもしれない・・・


彼等とは大人になってからは時々会うだけだったし この10年はもう連絡さえ取ってこなかったけれど 思い出は沢山ある

お雛様を飾ると親が喜んだのは それを贈ってくれた家族を思い出すからであろうか

それとも 遠い日の娘が生まれた日を(それは私では無かったが)思い出してのことだったのだろうか

チラシずしやハマグリの御吸い物 桜餅 そして 何故だか我が家ではサザエを食べた(母の好物だったこともある!)


そして今はもう知る人も少なくなった「金華糖」

鯛は必須 貝 松茸 エビ 犬 野菜 はいはいする赤ちゃん などがあって 昔はそれぞれ1個から買うことができた

おそらく それぞれに意味があることは想像力のある人であればわかると思う

菱餅にも意味があるのだと(私は その色についてだけ母から聞いたけれど おひし に関しては そうかも?そうなの? みたいな・・) 

食べるよりも その存在の方が嬉しかった(食べたら・・・ただ甘いだけだし 梅干しの方がずっと嬉しい) 

次第に扱う店も無くなり たまたま見つけたと思っても何かが違っている気がしたし(型の違いだろうか) そのうちすっかり見かけなくなってしまった

今は地方には作っているお店もあるらしく 東京でも復活させているらしいことは知ったけれど もうあの頃のものとは違いそう


もしかしたら両親の笑顔は 単に季節のお祭りとしてだけのことであり お正月のお節料理は勿論 春の筍とか 夏のその年に初めて食べるスイカとか 年に一度程度の秋の松茸とか そんなものと同等の喜びだったのかもしれないとも 今となると思う(ってか 花より団子?)

でもそれはそれで良いし 同じ温度でそれを楽しんだ家族っていうのはかなりお目出度くもあるけど まぁ深く価値観の違いに悩むことも無くてラッキーだったかもしれない


今年は飾ってあげようかな

それは 彼らにとって最後の出番になるかもしれない

葬儀になるのだろうか

それならば 私が引導を渡す!

恨みも買いましょう!引き受けます!

なんか 必殺仕事人みたいかなぁ

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人も気に入った藤沢周平

2016年02月23日 | 日記
友人が藤沢周平を読みたいというので 少し前にゆうパックで送った

彼独特の人を見つめる視線を気に入ってくれたようで 着々と読み進めているらしい

彼の作品から離れてすでに10年以上か あらすじを忘れているものもあるが あの静かな世界は忘れられない

別に声高に何かを言うわけでもなく 水戸黄門のような高笑いも無い

人が持つあらゆる感情(嫉妬・友情・愛情・卑屈さ・自負心・不安・焦燥・嫌悪・軽蔑・欲望・怒りなどなど)の そのどれもを人は自分の中に持っている 

それゆえ人は愛すべき存在でもあり また哀しくもある

そしてどうあろうとも決して割り切ることのできない世界を 自ら引き受けてあえて割り切ることを選ぶその覚悟


生きている意味を問うという青臭い時代が 私にはあった

とっくに過去のことになっている

訊くな!答えろ!

問うものではなく 自分が問われているのだ

そんな時 藤沢周平の世界は もしかしたら 何も語らずにひっそりと寄り添ってくれる そんなものかもしれない

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃぶ台をひっくり返すだけでは終わらない

2016年02月20日 | 日記
夜明けが随分早くなってきた

退職してからの初めての冬 家に居る事が多くなったので 電気料金はいかがなものかと思っていたが そう変わらなかったのはやはり暖冬だったのだろうか

それとも 一番寒い時間にエアコンを使うことが無くなったせいだろうか


先日 靴を売ってきた

大した金額では無いけれど 捨てるよりはマシだったかなという程度

切手売りも終わり 店主に なんか寂しくなりますね なんて言われた

今日は自分の衣類をリサイクルに捨てに行った

明日 もう一度捨てに行く

これでスカートは 礼服を除けば完全に無くなった

ほぼ20年近く 滅多に着なかったと思うから もうこれから先は不要だろう


この頃 家の事はあまり考えずに過ごすようにしている

一番良いのは読書

特に哲学系というか思想関係の本を読むと集中できるし 考えることもあるので 精神衛生上よろしいみたい

何冊か残しておいて良かった


ゼロ金利になり 預金を心配する人たちが増えたという

現在ではそこまでには至っていないが なんと金庫を作る会社の株が上がったというから笑える

となると 泥棒にとってはターゲットが増えることになり 持ち出すのには相当重く またそう簡単には開けられない金庫が必要になり それ以前に警備会社との契約も必要だろうし カネは天下のまわりもの(まわしもの という説もあり^^)とはよく言ったもの

将来的に年金は下がり 介護保険の支払い額や医療負担額は上がり しかも十分な手当は受けられないことになるらしく 戦争を知らずに済んだ世代にはまた別の苦難の道が強いられるようである

それでも どちらが良いかといったら・・・

これで戦争でも起ころうものなら 私はちゃぶ台をひっくり返すだけでは終わらない
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時に 少しだけ不真面目に

2016年02月18日 | 日記
先日 別の工務店のプラン図を受け取りに出かけた

ここは最近流行りの 設計士とのコラボというやり方

設計士は女性を選んだ

某有名建築家の自邸を私が好きだと言ったせいで それのパクリになった

これはこれで面白い

二代目社長は控えめで正直ではある


私は3社に依頼していると伝えているが 実際は2社でしかない

3社と偽っているのは 断る時に二つに一つだったかと思われるよりも他の2社は選択されなかったと思われた方が お互いに楽だろうと思ったから

私って なんちゅう弱虫なんだ^^

それでもそれぞれに良いところがあり 今はまだ決め難いところ

押し付けが無く 私の希望を優先するところが一番良いのかと考えている

そしてそれを遠慮なく言えて 気持ちよく受け入れてくれるところ

勿論 提示される金額も含めてのことだ

たかが家ごときで 私の自由を奪われたくはない

それこそ本末転倒


本日 最後の境界線立会

お隣のアパートを経営する人

幾らぐらいで売れたのかという質問に 標準的坪単価を告げておいた(誰が教えるものか)

売るのだったらうちが地続きで欲しかったと言われたが 私は普通の家族がこの土地を使ってくれるほうがなんぼも嬉しい

そもそも教えてくれたならと言うけれど 何の連絡も無く勝手に塀を取り壊し(確かにそれは相手の物だったかもしれないが) 私は仕事をしていたせいで全く気が付かず 我が家の敷地には工事の残骸も残っていて 何か相手が言ったら文句のひとつも言ってやると思っていたのだが 穏便に進んだので黙っていたくらいだ

そして 今日もそのことに対する挨拶の言葉一つ無かった

そんな人だろうと思ったから 実はそれに隣接する半分の方を売ったのだ(ゴメンなさい~)


こうした人を父は卑しい人種と思っていた

そして 田舎者だとも

決して地方に住む人を蔑んだわけではない

そして 江戸っ子だけがスマートで義理人情に厚く 損得勘定をしないと思っていたわけでもない

彼の言う都会人とは(そうは言わなかったがあえて田舎者の反意語とするならば) どこで生まれどこに住むかといったことではなく 勿論3代続く江戸っ子でもなく 彼なりの美学に見合った人を言ったのだということを 私はよくわかっている


ともあれ これで文筆は無事に終わるだろう

これで全行程の1割くらいが進んだところ

先は長い

楽しみながら 時に少しだけ不真面目に進めないととてもやってはいけない 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする