どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

大事にかつ気楽に

2024年07月31日 | 日記

今日で7月も終わり

昨年の夏も暑いと感じたけれど 私の住む町は今月のほぼ2/3が35度超えだった

昨年は半分ほどだったから やっぱり今年のほうが暑い!

 

私が子供の頃でさえすでに古かった 大きな三角屋根の家が今も建っている

敷地は少なくとも500坪はあるだろう その家の持ち主がだれかは知らないのだが あれは戦前からの家だろうか

それはさておき そんな家なので庭には背の高い大きな木が何本もある

月に2~3度行くある店のそばにその家があるのだが 今日 例年よりは少し少なめながらそこで鳴くセミの合唱を耳にした

いるところにはいるのだと 少し安心する

 

夕方 いつもの(いつものになってしまった)雷雨あり

前兆らしき涼しい風が吹いてきたと思ったら 遠くからセミの声が

生まれてきてしまった以上 もう暑いのなんのとも言ってられないということかな

 

今日 友人の姉上の体調が思わしくないという話をきいた

数日以内に結果がわかるようで 今は心配しても仕方ないのだけれど そういうことが起きても当り前の年代になったことを痛感する

私かもしれないし 友達かもしれないし これから先の健康は決して当り前ではないのだ

明日から8月

まだまだ暑い日は続くけれど 夏休みが終わったと思ったらもうクリスマス

大事にかつ気楽に 楽しく過ごさなくちゃ

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年とった

2024年07月30日 | 日記

今年になってからだろうか 年をとったと感じるようになってきた

とはいっても 体力的衰えを感じるとか(無自覚なだけかもしれないけれど) 肌の衰えを感じるとか(無自覚なだけだろうけれど) 物忘れが激しくなってきたとか(それなりではあるだろうけれど) 身体のあちこちが痛いだとか ということではない

 

たとえば テレビの無い私がたまにパソコンで見逃し配信から何か見ようとしても まず 最近のドラマを見ようという意欲が全く起きない

NHKの番組であれば 多少は見たいものもあるのだろうけれど NHKに反感を抱く私は見ることができないし

ではバラエティー番組はどうかといえば これまたその面白さがわからない

似たような顔ぶれの人たちが仲間内で楽しんでいるかのような番組で これまた似たような旅とグルメと話題のスポットの話ばかり

若い子のファッションも全く理解できないし あまたあるアニメのほとんどが????だし 若者が楽しんでいることも????だし

そういえば父も後年 段々テレビからは離れていき しかし本は手放さなかった

 

もともとミーハーでは無いので関心の幅は広いほうではないのだけれど だからテレビを必要とはしなかったのだけれど・・・ 

こんな感情をうれいているわけでは全く無い

「私は私」という頑固でいささか意固地なところがあるので(自我が強い?) 自分が楽しければそれで良いのだけれど でも若い時と比べると楽しいと思う世界が狭くなったような気がする

量的には減ったとは思わないし この足枷の少なくなった今の生活ではむしろ増えているくらいかもしれないが

ただ こうなったのは やっぱり年をとったということなのかなあと ふと思うのだ 

子供やら孫やらといった若い人との接触が無いせいかもしれない

まあ 実際年はとってるんだし 不満は無いんだけどね~

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今日は初ニイニイゼミ

2024年07月29日 | 日記

今日は40度を超える地域もあるいう予報だったので 買い物に行くのはやめて 朝から冷房の中で過ごす

結果 39度超え~

40という数字に驚かなくなった今 45の数字にも驚かなくなる日は来るのだろうか

 

水道をひねると ぬるま湯を超えた温度の水が蛇口から出てきた

一瞬 給湯器をオンにしていたかと確認してしまったよ

 

夕方 日中があまりに暑かったせいだろうか 風が涼しく感じられた

階下の小窓を閉める時 日も落ち始めて幾分過ごしやすくなったのか 今年初のニイニイゼミの声

 

パリの朝は15度だって

セミは鳴くのか(そもそもセミはいるのか?)

もっとも海外の人にとっては 昆虫の声は耳に入らないか 入っても雑音以外の何物でもないらしいけれど

虫の声を聴き分けて情緒を感じる日本人は 言語と同様の左脳で聴くのだそうで(ポリネシア人も同じらしい) それに対して他の地域の人たちは 音楽を聴く時と同じに左脳を使うのだとか

これは人種の差ではなく 幼児期に日本語を母語として育ったかどうかで違うらしい

 

虫の声ばかりか 自然の音(風音や川のせせらぎや波音など) 邦楽器音なども日本人は左脳で聴いているのだという

それって日本語にオノマトペが多いことと関係しているんだろうか

言語のように聴こえるからそれを言語で表現するのか 言語化されたものを幼児期から教わるから(わんわん にゃんにゃん ぶーぶ ざぶーん・・・)聴こえるようになるのか

私にはわからないが とにかくセミよ 頑張れ!

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ミンミンゼミ2号

2024年07月28日 | 日記

開会式が終ると(すでにその前から予選があったりするけれど) 競技がじゃんじゃん始まるのね

興味の無い私でも ラジオからのニュースでなんとなく結果を知ることになる

好きな人は テレビの前から離れずに夜更かし寝不足の日々が続くのだろう

 

今朝 ミンミンゼミ2号の声を聞いた

もしかしたら 先日と同じミンミンゼミ1号かもしれないけれど 

しかし たった一度きりで鳴き続けないのが不思議

場所によってはかなり鳴いているところもあるようなので この近くの何かが変わったのか

 

昨日外出したので 今日はノルマ消化の日として外には出なかった

今週はとてつもなく暑くなるらしい

高齢者が暑さを感じないのは 筋肉量が減るからだと聞いた

確かに マッチョな外国人が初冬でも半袖を着ているのを見かけることがある

この暑さのせいで外出を控える結果 高齢者の運動不足を招くことになるというから 気をつけなくては

特に 今日みたいに外出しない日はね

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『野犬の仔犬チトー』を読み終える

2024年07月27日 | 日記

オリンピックの開会式が行われたはず たぶん

友人も私もメールでは一切それには触れず 

 

決して涼しくはないけれど 幾らか曇り空でもあるので 隣駅まで行く

もちろん暗誦句の紙を手にして

「パンにバタたつぷりつけて春惜しむ」(久保田万太郎)

なんだかウキウキしてきて 足取りも軽くなる

さっさと買い物を済ませて さすがに帰りは電車に乗って10時過ぎに家に着いた

 

本を読み終えた

野犬のチトーが次第に慣れていくところは可愛いし 譲れない核のようなものをかたくなに守るところも 切なく可愛い

親しかった周囲のさほど年齢の違わない友人を次々に失うこともあって 自分の年齢や老いのことを考えたり チトーが窮地に陥ると一切を閉じてフリーズしてしまう姿に我が娘の子供の頃と同じと感じて 無理強いすることができなくなったり やむを得ず犬をアメリカの娘のところに置いて日本に帰国した時に 独居の父をひとり残して別居生活をしなければならなかったことを 仕方がなかったとはいえ今更ながらに後悔したり ほとんどがチトーと他の犬と猫たちの生活を描きながらも 時々 自分の心情を吐露するところは 同年齢なだけにペットのいない私にも感じるものがあった

それにしても家のあらゆるものがかじられ 壊され パニックになるたびに糞尿を撒かれる生活は 私にはできない

愛情と言ってしまうと むしろ安っぽいかもしれない

相手が人であれば(糞尿を撒き散らすことはないだろうけれど) 腹が立ってののしりあったり 言葉で あるいは暴力で傷つけあったりすることもある

動物と暮らすのは人と違って ただひたすら無条件に可愛いのであって きっとそこが良いのだろう

 

決してリードをつけさせないチトーが いつかは散歩に出ることができるようになるのか 気になるところ

最後の文章は「私は、チトーが死ぬまで、死ねません。」

 

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