どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

明日は呪文無しで

2010年01月31日 | 日記
一昨日の28日は 暖かい日だった

5年前の同じ日の朝 寝室で横になっている母に 行ってきますと声をかけた

外は寒いでしょう?と 母

格別寒い日というわけではなく ごくごく当たり前の冬の朝だった

食欲が増してきた母にとっても 日々の家事と看護から少しだけ開放される父にとっても

そして勿論 私にとっても

家族全員が待ち望む週末を控えた金曜日

その朝 明日の食事は何を作ろうかとワクワクしながら駅に向かったのを はっきりと覚えている


今日は ちょっと念入りの家事

まっいっか と目を瞑っているのにも限界というものがあるもので いつかは重い腰も上げねばならない

月にたったの4回しか家事のチャンスの無い私には たとえ悪態をつこうと 悪魔の言葉を吐こうとも

呪文を唱えながらでもやらねばならない


朝風呂も昼食も取らずに 午後3時過ぎまで黙々とやった

元来怠け者にできているのか 家事労働まで残業することはないやと それで切り上げた

週末の楽しみである長風呂と 我が身だけを喜ばせるための手料理も作った

明日も引き続きの家事と 雑用を片付けなければならない

それでも 仕事を除けば 今では時間は自分だけのものとなったのだ

明日は呪文無しでいかなくっちゃね
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カフェを退会した君に

2010年01月30日 | 日記
6時前に起床して 慌しく朝食 お弁当 朝風呂とこなして 7時半にはゴミ袋を持って家を出る

帰りは21時前後で 空腹を抱えながら朝と同じく慌しく 食器を洗い 簡単な夕食の支度をしてからのイッパイ

これが私の日常だ


先日 カフェを退会する人からミニメを頂いた

最後の日記には 根室の測候所が閉鎖されることが記されていた

父の青春の場所だった

観測の話 無線での連絡 町への買出しのこと 凍てついた水面が割れての事故の話

ほんの時々 一緒に寝た夜に聞かせてくれたそこでの怪談話

電話の女性交換手との ロマンスとまでもいかない淡い淡い恋の話も聞いた


そのことを この週末のゆっくりした時間に 最後のミニメで告げようと思っていたのに 

君は 今月末まではいると書いていたのに


まっ そういうことだ

もしかしたらまだ ここ数日は 会話のあった人の日記ぐらいは開くかと思ってさ

書いてみたよ

じゃね
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同病 相憐れむ

2010年01月24日 | 日記
髪を切りに行ってきた

もう何十年と同じスタイルで 伸びたから切るというスタンス

黙って座ればピタリと切れてる そんな具合だ

ここに通い始めてから もう十数年だろうか

私とさほど年齢の違わない店主と 30過ぎぐらいの男性と スタッフは二人だけ

がちゃがちゃと煩いおしゃべりが無いのも BGMがいかしてるのも(主に若い彼の選曲らしいが)気に入っている点だ


カットが始まって 私は早速膝の顛末を話し始めた

そのとたんだ 

私も 行こうかと思っているところだと

アウトドア派の店主は 登山は勿論 スキーやキャンプ 自転車が好きなこともすでに知っている

槍ヶ岳の写真が飾ってあるが なかなか良い


その彼が ほんの先週 長いスキー歴の中で初めて転んで どうやら 靭帯を痛めたらしいのだ

腫れてしまって 翌日はホテルの部屋でゲレンデを眺めながら寝ていました いい休日になりましたよ~と

(実は 相当残念だったようだが)

今も歩くのでさえ いや それ以前に 立っているのでさえ苦痛だという

先輩から言わせてもらうと エヘン! それは 重症!

誰でもそうだろうが 病院に行くほどのことか 素人治療でじきに治るものか そういう葛藤はあるものだ

私も 耐え難い痛み 38度を超える発熱 出血 そんな事態にでもならない限り 病院にはいかない


これ話したの お客さんでは私が二人目と

かっこ悪いと思ったんだね~

痛みにも耐えての立ち仕事はどんなに辛いか ほんの少し前まで経験していた私には よくよく わかる

しかし タイムリーな話

この偶然に なんか背中を押されたような気分で 休みには病院に行こうと彼

来月もスキーの予定があるそうだし それならば是非と勧めた


それにしても気になるのは これが老化かどうかだ

医者は笑って否定した

だが 昔はもっと無茶な事をしても 平気の平左だった

身体も柔軟で 筋力もあった

診察室の横には 何でも質問して下さいって書いてあるから 

それと 湿布は効くけれど かぶれます と伝えた

私が次に髪を切りにいくのは 春の兆しを感じる頃だろう

彼の顛末を聞くのが 同病者として楽しみでもある 
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徘徊の夜明けも近い

2010年01月23日 | 日記
膝の痛みを覚えてから数日後に整形外科に行き 湿布をもらってきたことは報告済みだ

連休あけはさして変化もみられなかったが その週末には痛みが軽減された

24時間効き目が持続する湿布薬は モーラステープという名称で 市販はされていない

それを 朝風呂の時に交換していた

さて 今週からは湿布も無しでいくぞ と 久しぶりに生身の膝とじっくりご対面

ん? なんか がさがさしてる

これをかぶれというのかどうかはわからないが ニ百年生きてきた人間の皮膚になっていた

いや 見たことは無いが おそらくはこんな具合じゃなかろうかと

少し痒くてシワシワで赤い発疹があり しかもひりひりする

その箇所の表皮の脂という脂は 九日にわたり 湿布薬によって引き剥がされていたのだろう

決意するまでもなく もう これ以上半日とて湿布はしておれないという状態になっていた

若干の痛みを感じながらの出勤

それでも人というものはすごいもので なんとか自分の身体から苦痛を取り除こうするものらしく

私は ついに ついに 痛みを和らげる階段の下り方を発見した!

残念なのは これをもっと早くに発見していたらということ

次回からは 少しは楽になるはずだ(次回が無いことを祈るけれども)

昨夜は 日常茶飯事の残業をチョイと超えた残業だった

風の無い夜の街を 急ぎ足で帰る

地下鉄に下りる階段も トントンと駆け足

金曜の夜ということもあったが なんという軽やかな気分だろうか

我が家のある駅について 夜空を見上げると 西の空にはくっきりとした三日月がハンモックのように浮かんでいた


先週半ばから 夜明けが早くなった

日の出日の入りの時間を確かめ それがいつかをカレンダーに書き込むほど 待ちに待った日である

一日に一分も早くなっていくわけではないから 実感できるほどではない

それでも もうあの暗い朝からはどんどん遠ざかっていくのだと思うと ニンマリするほどだ

徘徊の夜明けも近い
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今年は 始まったばかり

2010年01月11日 | 日記
土曜日のこと 病院から戻って間もなく電話が鳴った

めったに鳴らない我が家の電話だから どうせまたセールスだろうとぶっきらぼうに もしもし と

かつての同僚からだった

彼がやめてから二度ばかり 一緒に飲んだかな

このところは 年賀状の交換だけになっていた

やめてからは 老人介護の仕事に就いた

給料は前のほうが断然良かったんだけど 何しろあの社長がさぁ 今も相変わらず?

気分の上がり下がりが激しいからなぁ~ あれで疲れちゃってさ

うん そのせいで皆 やめていくよ

あの人 どうした?ほら・・・あ~ 名前が出てこないなぁ

彼? まだ居るよ

あっ あの人はやめた

今では 私が一番古い人間になったのよ


こっちも老人相手に もう大変

夜になると人格が変わっちゃってさ いきなり食事の支度をするって言い始めるんだ

それにね 相性ってあるんだよ

資格も取ったけどさ この仕事はそんなもの関係ないね

そうね なんでもそうだろうけれどね と私


それから彼のバイクの話になり 私の徘徊の話になり(年賀状が 徘徊の写真だたために)

なに 結婚はしないの?

昔から 私を地獄の生活に引きずり込もうと企んでいる奴なのだ

勿論 そんなものする気ないって

そんなこといって その家に誰か 男でもいるんじゃないの?

わはははは ご近所の目があるから そんなことは出来ないって


かれこれ1時間近く話して よくありがちな そのうち飲もうという約束をして 電話を切った

不規則な労働時間の彼と 時間に追われる私だから 実現するかどうかは謎

でも こうして誰もが自分の生活を築いているんだなぁ~と思うと 何となく励みにもなる


昨日は バーチャル徘徊をしていた

候補地はまだまだ沢山ある

運が良ければ 今年の暮も 徘徊の思い出にひたれるだろう

と またまたせっかちな江戸っ子

今年は 始まったばかり
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