どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

出所(しゅっしょ)

2010年05月22日 | 日記
今日は 歯医者の予約の日だった

診察台のシートがビニール製のこともあるし このところの暑さのせいもあるし しかも汗っかきでもある上に

何をされるのかという緊張感と不信感もあってか 頭も顔も オシリの下も 汗をかく

痛みには強く それ自体には抵抗は無いのだが 修復作業であって決して復元はしないというのが苦手なところ

終わりに近づいた頃 先生が 汗かいちゃって 大丈夫? 緊張してる?と

大丈夫ですけれど 歯医者が(先生がという意味ではない)嫌いなんです と答えてしまった(まるで子供だ^^)

先生 笑って よくわかります と


今日で終わりの言葉を やっともらった!

毎週というわけではなかったので長くかかったが この一言を待ちわびていた

開放感が全身を包み込む

受刑者が 長い刑期を終えて出所する時も 同じような気持ちなのだろうか

もうこんなところには決して戻ってくるんじゃないよ(看守)

はい 二度と来ません(受刑者)

と 心の中で一人芝居をしたが おっとどっこい 現実は甘くない

半年後には検診するようにと釘をさされた


その足で買い物を済ませてから家事の続きをし そのあと一人で祝杯をあげた

数ヶ月前の金曜の夜 歯の詰め物が取れた時は やっと膝の調子も良くなった頃で またか~とがっくりした

もっと深刻な問題を抱えている人には これっぽちのことでとお笑い種だろうが こういうことは比較の対象外だ

私の心の中は まさに暗雲たちこめるといった状態だったのだ

そして今日 やっと晴れた

何も無ければ無いに越したことは無い

それでも あんな日々があったから 今日が素敵に感じられる

暗雲が不運にも晴れない時が やってくるかもしれないが 

その時は どういうかたちであれいつかは晴れるという信心にも似た境地になるしか無いのだろう


いつに増して 力強く医院のドアを開けて外に出た

物事の最後はなんであれ 全て こうでありたい  
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おなら

2010年05月16日 | 日記
私が住んでいる地区を走る私鉄は 私が青春真っ盛りの頃から 高架にする計画を進めてきた

長い年月をかけて かなりの部分が高架になったが 私が利用する駅は結局断念したのだろうか

道路が線路の下をくぐるカタチで 再開発が行われた


駅の改札は二階にあり そこからコンコース

隣接する建物の脇を通り 道路の上のいわば陸橋のような橋を渡り 階段を下りてから1分ほどで我が家につく


会社帰りのある夜 その橋のところで突然 前を歩いていた中年男性からブブブブブブ~という音が流れた

どう逆立ちしようとも誤魔化し様の無い音で 他人のそれを耳にしたのは実に久しぶりのこと

屁をひって おかしくもなし 一人者

今は まさにそういう生活なのだ

狭い空間のオナラでもなし 悲しいかな そんなことに動じたり笑ったりする年齢でもなくなった

あっ そか と私は思ったのだが 件の男性 そら当然 自分でもわかったのでしょう

彼がどうしたかっていうと・・・

いきなり立ち止まり 振り返り(私の存在を確認した) そうして橋の手摺に寄り添うと 私を先に行かせたのだ

多分 背中をじっと見つめられながら前を歩くのには耐えられなかったのだろう

その行動にびっくりしたのと(可笑しいのもあったが) 女性ならまた違った行動を取っただろうなぁ~と思いつつ

(おそらくは女性ならば 何事も起こらなかったかのように毅然とした姿で私の前を歩くだろう)

彼は やばい!と思ったかもしれないが 私には 一日の締めくくりを飾る(にふさわしいかどうかは疑問だが)

妙に愉快な出来事だった
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遠ざかっていた理由

2010年05月15日 | 日記
大方が飲んだくれの私の日記

先日も 目が覚めてから はて なにを書いたっけと

文章もひどいが 内容も赤面することばかりだった

いっそ削除しようかと思ったが ほとんど見られることの無い日記だから そこまでする必要もないかと


更に 今週の早朝ミーティングではがっくりくるような社長のご決断

それでなくとも社員の士気を下げるのが得意な彼

今 我が社は不満の巣窟となっている

だが そんなグチめいた事は書きたくも無い

それを書く行為そのものが 私には不愉快だ

こうした二つの理由から この一週間遠ざかっていた


不満があるとすれば それは概ね自分自身の中に

そういうことなのだ

さて 皆さんはいかがお過ごしか

これから拝見に参りましょう
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母の日と金平牛蒡とファミコン

2010年05月09日 | 日記
母の日である

感謝の気持ちを受け取った人 渡した人 受け取りもしたし渡しもしたという人

その対象となる人物はいるのだが 何らかの理由で何もなかった人

そして私のように 渡す人もいなけりゃ渡してくれる人もいない という人もいるだろう


昨日 買出しに出かけたら 生花店がカーネーションだらけだった

可愛いブーケもある

う~ん 1800円かぁ

まぁいいよね お母さん 先日 カーネーションも入っている花束をちゃんとお供えたしね~


楽しそうにお花を買い求めている人を横目に 私は牛房と人参を買った

金平牛蒡を作るためだ

母は生前 私が死んだらこれだけは作ってお供えしてね なんて笑いながら言っていた

母の好物というと 他にはサザエを焼いたものとか イカの塩辛とか(下戸だったのになぁ~)

ごめん!

毎朝の御飯もあげてない^^

(そもそも こっちだって食いはぐれることがあるのだから 勘弁してね)


先日お墓参りをしたことは書いたが

父が亡くなってからしばらくして そう かれこれ2年近くになるのだろうか

隣が空席になってしまった


祖父がこのお墓を建立したのは 戦争前

末娘が5歳だかで亡くなった時だ

まつげにマッチ捧が何本か乗るというのが祖父の自慢になるほどの 可愛い女の子だったそうだ

(ちなみに 父の家系はけっこう美人ぞろいで脚線美も良いのに 私は劣勢遺伝をバッチリ・・・のよう・涙!)

その時 若かった父が 男がこんなに泣くものかと思うほど 祖父は泣きに泣いたそうだ

それから南方で戦死した長男が 遺骨の1本も戻ることなく墓誌に刻まれ

祖父 祖母 そして独身だった叔母が入り やがて私の両親もそこに入った

総勢七名?(ちなみにシチメイと読んで欲しい)

墓誌は まだ二名分くらいは残されているのだが 今後 これをどうするかも私に託されてしまった


歯が一本欠けたようになったその部分の侵食が気になったので 修復の見積を依頼しておいた

昨日 電話があった

こちらも気がつかなくてと謝罪があったあとで 相当な工事になるという

え~~~~?

私の代には なにかしらの整理をしないといけないお墓なのに~

まさか 100万とか?(心臓バクバク)


36万ほどかかるという(ちょっと安心した^)

父だったら こういうのは好きだから 自分でセメントを捏ねて何かしらしたかもしれない

その金額が高いか安いかも見当もつかないし だからといってそのままにもしておけない

進めてくださいと答えた


家族のあり方も その機能も 今は大きく変化している

私は どういうわけか 子供の頃からお墓参りが好だった

全く実像を知らない祖父にも愛着を感じたし 私は気に入ってもらえるだろうか なんて想像もした

祖父というものを知らない私は ひょっとしたらファザコンなのではなくて グラン・ファザコンかとも思うほどだ


母の日にも 来月の父の日にも 沢山思い出はある

ひょっとしたら 私は ファミコン

ファミリー・コンプレックスなのかもしれないねぇ~♪
 
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友人の決断

2010年05月06日 | 日記
本格的に仕事が再開するのは来週になるのだろう

そういうわけで今日は忙しくはなかったのだが ISMSの会議があった

社長も含めて会議の出席者一同が それぞれ不愉快な気分を抱きながら終わった 

こんな馬鹿げたことで 一日の気分を台無しにして不味いビールを飲むのは私の好みではないので

深くは考えずにおこうと決めながら帰宅した

そもそもその価値もないのだが 仲良し君は あ~これで今日も飲んじゃうんだよな~と

(酒好きではない彼が飲むというのは お姉ちゃんのいる場所でという意味 私とはそもそも飲み方が違うのだが)


自宅近くになって鍵を出そうとしたら 携帯にメールの着信があるのに気がついた

話はそれるが 私はほとんど携帯を見る習慣がない

たまたま気がついた時に見るだけなので 数少ない知人には迷惑をかけているようだけれど


電話をしたら 仕事を辞めるという

まぁ 今までにも何度もあった彼女のことだから さほど驚きはしなかったが・・・ 

ストレスだという

病気のこともあって これを治すのにはこの職場を去った方が良いと判断したようだ

すべて 本人の受け取り方であり 流し方であり 選択である

私だってストレスの中で生きていると言ってみたところで 何の説得力も無いことはよくわかっている

だから それは我侭だとか無謀だとか 逆に羨ましいとか そういった感情は一切沸き起こってこなかった

信じている人間の下した決断は どうであれ 尊重し見守る

これは私が家族から学んだことであり 父とは一番対立した考えでもあったのだが


私は パズル好きである

最近は数独(ナンバープレース)が流行しているが 誕生当初から知っている

ペンシルパズルと呼ばれるものは 他にも数多くある

それをやっていて 面白いことに気がついた

難問になると 仮定を強いられる

仮定が正しいか 正しくないかを判定するのに 何手か先まで進まないとわからないものがあるのだ

矛盾が早く見つかれば 最初の仮定が間違っていたとわかる

ところが 何手先を行こうとも矛盾が見つからない場合がある

仮定が正しかったのか それとも最後の最後で間違いが見つかるのか

仮定が間違いだったとすぐにわかれば良いのにとも思う

間違ってはいないと思いながら進むのも それはそれで不安なものなのだ

(次元は全く違うが 数学における証明も同じようなものらしい)


生きるということもこれに似ているなと 最近感じている

間違ったとわかるまでは 間違いには気がつけない

ただし パズルはやり直すことができる

人生はそれができない

ただ 学んでいくのみだ

どうであれ 正解の人生なんて無いだろうと私は思っている

父が亡くなる前に言った言葉 

俺の人生はまずまずだった

私は このまずまずが 最高に思える

時として 比較級が最上級よりも上をいく表現


彼女の選択が間違いでなかったことを証明するのは 彼女自身の今後の生き方にかかっている

でも私は友人として 少なくとも彼女がこの決断を後悔することはないだろうということだけは確信している
  
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