どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

気がついたら 長く日記を書いていなかったみたいで^^

2009年10月24日 | 日記
全くなんの予備知識も無く 想像さえしなかったものに突然出あって 心を激しく揺さぶられる

そういったことが 私の中では最近少なくなってきてしまっているようだ

そこそこ生きてきたことで 僅かながらもそれなりの知識がついてきたこともある

概要書や入門書だけで わかったような顔をしているせいかもしれない


裏路地を徘徊し 確かにとうの昔から存在してはいたのだが 私が知らなかっただけというものであっても

そうした出あいには興奮する

そう 自分が見つけた というよりも まさに出あい

自分の世界というか空間が広がり満ちていくような気がするのだ


当然だが 子供の頃にはそういう出あいが毎日のようにあったように思う

巨匠と呼ばれる人の絵を見ても その知識よりも先に まず絵があった

バッハやモーツァルトが 何時の何処の人かも知らずに 素直に音をひろった

本屋で背表紙をひとつひとつ舐めるように眺め 

初耳の名の作家が 読んでみてよと誘う声を感じた時の喜び


経験と十分な(幸か不幸か私には欠如しているが)知識 そしてそれから生まれる想像力は あるに越した事は無い

でも 多分 それを生かすも殺すも おそろしく柔軟で ある種の無垢な心なんだろうなぁ


情報も利害もしがらみもな~んもないところで

ぼ~っとした時にギョギョギョッ と感じるような出あいに この先幾つ出あえるだろうか

まぁ 何となく気がついたら空気となって一体になっていた というのもそれはそれで良いけれどね
 
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たかが衣替え

2009年10月11日 | 日記
絶好の行楽日和の連休ど真ん中

張り切って早起きをして・・・衣替えだぁ~~~


昨日一日よく寝たので どこまでだって歩けるほどに元気なのに

カフェの友達から携帯メールが入って ドライブに出かけているという

ちっ まあ これが私の人生さ

朝からネットラジオを流しながら 快調に仕事は進む

昔好きだった曲にノリノリになり 時々手を止めてネットで検索なんかしながらね


夏の徘徊でお世話になった半袖を仕舞う

また来年ね

今度はどこを一緒に歩こうか なんて話しかけながら


親が生きている間 食費やその他は自分で賄っていたものの 一切家にはお金を入れなかった

だが そう外出もしなくなった親の代わりに 

こまごまとした家庭用品や食材 それに衣料などあれこれを買ってくることで チャラにしていた

我が家の親子関係としては これで良かったように思う


母と色違いのシャツやパジャマや バッグなども残っている

着られるものは全部私が引き取った(太目の姉には 無理だ!)

姉に引き取ってもらったものもある

それらを見るたびに 母の笑顔を思い出す

庭掃除の時なんかは ちょっと大きめの父のシャツを着たりしている

趣味の煩かった父の好みは すでに知っていた

○子(母の名前)が買ってくるものは・・・なんてね 

私だって さんざん探してたんだから

母には そんな時間も 体力も無かったしね

いつまでたっても 親離れしない私がいるんだ


先日 義兄の三回忌の為に福井に行った時 三国までドライブした事は書いたが

あの時の甥っ子の姉に対する批判といったら

姉も確かに 40を過ぎて車無くしてはどうにも生活が出来なくなって そうして免許を取った

万年春風少女で いつまでたっても親が心配せずにはいられないような姉だが 

それでも今は しっかり者だと思われ ほとんど野放しにされた私よりもすごいと思うこともある


義兄の運転では何度も行ったことがある道だが 自分で運転するのは初めてだったのだ

ナビはあるが あれはあくまでも目印程度

几帳面な姉は ちょっと道を間違えただけで あぁ・・どうしよう 間違っちゃった と

その時だ

貴方は ちょっとしたことでパニックになるけど それやめてね と 甥っ子

そういえば・・・母もそうだったなぁ~

息子の言葉に 姉も反論する

やりとりを聞いていて 私の大事な姉に何てことを言うんだ~~~ 

そもそも 誰がお前の学費を稼いでいると思っているのかって言いたくなったけど

その時 何十年か前の 自分と親の在りし日を思い出した


親子なんだよね

車に乗っている三人の関係も温度も ちょっぴり違うんだ

それに 甥っ子のクールさもなんとなくわかるし

だから 何も言わなかった


今 ストーンズがかかっている

義兄と甥っ子が 来日コンサートの帰りに 父の見舞いに我が家に寄ってくれた

姉のことを頼むなと父が言い 固い握手をしたのに・・・

その義兄が自分の命が長くないとわかって ストーンズの公演を見ておいてよかったと

そんなことも 音は思い出させる


たかが衣替え

それでも 私の頭の中では 目まぐるしくあれこれの思いが脳裏を横切る

自分の過去と 現在と 未来

今度は ブラザー・ルイがかかっている

これも好きだったな


音が時の流れを遡ったり 大きな石に遮られて岸辺で渦巻いたり(今度はサンタナだし・・神様になる前の)


たかが衣替え

でも チョイ 色々思う衣替え

行楽には縁が無いけど こんなのも けっこういける

真昼間のビール付きとあらば なんの文句がありましょうや~(結局は ここだ~~)
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それを提案してみるか

2009年10月10日 | 日記
定額(低額?)給付金の入金のお知らせがきた

書類と名のつくものは全て苦手な私は 先送りにしていて 提出は8月の終わりだった

手元にゲンナマとして受け取れるものであったなら もっと早くに手続きをしていただろうと思う

金融機関に入ったものは 私には単に数字でしかない

この先 あぁ ありがたかったなぁ~なんて思う事も絶対に無い

重い腰をあげて書類に記入したのは それが意味不明の寄付だかなんだかになるだけと

すでに多くの税金を支払っている独身者としては ね

貧乏人は 考えることがセコイ^^


苦手といえば 会議というものも

特に形式だけの会議は いただけない

会社では 週の初めに朝礼があり 順番にそれぞれが何か話すことになっている

小学生並の発言から ご立派な話までいろいろとあるが だからといって何も変わらない

言動が一致するようなら 世の中はもっと良くなっている


月に一度は20分の早朝会議

主に 社長のご指導ご鞭撻 加えて種々の報告と決定事項の通達

その決定事項に さらに新たな会議をするというものが加わった

二班に分かれての話し合い

これは社長抜きだが 当然報告はする

意味 あるのか?

彼からの提案はいつもない

あるのは 決定事項だけ

会社で決めたことだというが 会社とは何をさしてそう言っているのか

自分だろ せめて 俺が決めたと言ってくれ


結局 本音は出ないだろう

彼の意思だけが尊重されるのだから

趣旨に沿った内容になるのは 始める前からわかっている


誰かが言った

あたまが変われば 会社も変わると


それを提案してみるか
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とりあえずは 乾杯ということで

2009年10月04日 | 日記
今日の正午 植木職人は帰っていった

野趣溢れる庭で申し訳ないのだが 快く引き受けてくれる彼には本当に感謝している


我が家の隣にアパートがある

建蔽率なんて言葉は死語なのか 世の中変わったのか 堂々の法律違反なのかは知らないが

昔ながらの我が家にとっては 本当は両隣が我が家にくっつきすぎなのだ

でも それもしゃ~ないね


そこのアパートの二階の住民が といっても そこに住む人の全てを知らないのだが 今朝 顔を出してきた

というか 庭から声が聞こえたので 何事かと出て行ったのだ

これでも一家の主 我が家に関することには責任がある

相手は初老の男性だった

おそらく独身で 仕事をしているかどうかは定かではない

どうやら 職人さんの仕事を というか 我が家の庭がすっきりしたというので 声をかけていたようだ


そもそも 人が住んでいるのかどうかもわからないような家だ(に なってしまった^^)

私自身 ほとんどが寝るために帰るような生活


あっ 貴方が大家さん? 鳩山さんの奥さんに ちょっと似てますね~

大家っていうかね~~ もう何十年も住んでんだけど・・・って思った

それに 似てるって・・・おかっぱのとこだけでしょ!!


さっぱりしましたねぇ~と 矢鱈に連発

一応 謝るしか無い(ふん! 我が家のギリギリにアパート建てた大家に文句言え とは思うけど・・・)

その人が 寂しいのか暇なのか ずっと話しかけてくるのだ

しかも 同じ事を~~~


お金のこと言っちゃなんだけど けっこうかかるんでしょ? なんてこともだ

そりゃ タダってわけにはいきませんからね と段々いい顔もできなくなってくる

でも 我が家のこざっぱりした庭を 本当に嬉しそうに眺めていた彼

どこに生まれ どんな人生を送り そして どんな未来があるのだろう


とりあえず 一つ行事が終わった

私が退職するまでは なんとしても植木職人に頑張ってもらうしかない

私は何もしていないのだが とりあえずは 乾杯の気分でイッパイやっている
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仕事とはなにか 改めて考える日

2009年10月03日 | 日記
午前中 時折激しく降る雨に軽トラ非難をしながらも 植木職人は頑張ってくれた

高校の後輩である彼は 難関私大に進み しかも大手企業にも就職したのに 何故か植木職人を選んだ

今では職歴20年というところで どうやら一人前になったという段階

やはり職人の腕はすごい

庭だけをやってくれるように頼んであるのだが(他は申し訳なくて言えなかった)

玄関付近もやってくれていた


料金の相場はわからないのだが 私はいつもささやかながらチップを渡すことにしている

そのせいかなぁ~^^

請求金額の端数を 5000円とか 万の桁ぽっきりにするかたちで お釣りは要らないからと

そういう支払い方をしている

疲れた頃 そろそろ終わりが近いだろうなという頃にお茶菓子は出すけれど 食事の心配はしない

そして 全てこういうやり方のほうが 労働者にとっては気楽でしかもありがたいものじゃないかと思っている

そう 現金はやっぱり ありがたいのだ

そして 両親もそういうやり方が好きだった


家の小さな改造を頼んだことがあった

知り合いの大工さんから勧められた人だった

無口だが仕事はきちんとこなす

何よりきちんとしているのが父の好みだ

聞くと独身だったが(当時で30半ば?)お酒が好きだという

日本酒党だった父が 自分のお好みの中の1本をあげた

次の日 彼 遅刻したって~~~

飲みすぎたんだね 家族で大笑い


昨日金曜日 社長の好きな親睦会が行われた

屋形船だった

私は 朝早くから植木屋さんが来るからという口実で断った(事実ではあるが口実でもある)

それは おそらく社長はわかっているだろという気がした

そこまでバカではないから

しかし社員として何が一番大事かといったら 休まず遅刻も早退も無く 残業も厭わずにする体力だろうと私は思う

だからこれが私にとっての会社に対するリミット


そんなものには行きたく無いと 誰もが言う

それなのに 喜んで行くような顔をしている

それは 誠実なことなんだろうか それとも世間とは そうしてまわるものなのか 謎である


先日退社した子は 社長とは折り合いが悪く そんな事もはっきり言ったそうだ

そんな上辺の関係の飲み会で 人は仲良くなれるものではない

何かといったら 日々の精進

人は 見てるんだ


植木職人は 明日も来る

腕のふるいどころも無く ただこざっぱりとしてくれ なんていう注文にもちゃんと応えてくれる

非常に申し訳ない気分だが 大いに助かっている

仕事とは何か

改めて 色々と考える日になった
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