どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

謎がひとつ解決した日

2017年11月30日 | 日記
今日で11月も終わり

誰もがもう今年もあと一か月 早いですね~ と言う

それでもよくよく考えてみると 私にとっては早いとか遅いとかを今年の物差しにするのは何か違うような気がする

新しい環境の中での日差しや空気 風の流れを 日々移りゆく季節の中で体感していると 何十年と同じ土地で暮らしてきたのに全くの新しい経験のようでもあり 退職人生を送る一年生として 毎日が新鮮な日々になった

大したこともせず 日々坦々と過ごしてきたけれど 時間も私の気持ちと歩を合わせて坦々と過ぎてくれているような気がする


朝の家事が一区切りついたあとで 長く滅多に家で飲むことのなかったコーヒーを一杯だけ飲むのが この秋からの習慣になっている

冷茶のシーズンが終わったあとに 日本茶以外の暖かい飲み物が欲しくなったのだ

メールを確認したり ネットニュースを見ながらコーヒーを飲むのだが しばらくするといつもどこからともなく微かに焦げ臭いような匂いがしてくる

いったいどこの何が焦げているのだろ

外からかとも思ったが 窓を開けない日も同じように匂う

家のどこかに焦げてる場所があるの?

熱源とかコンセントとか電気コードとか まさか屋根裏・・・? 

一体なんだろうと気になって 時々鼻をクンクンさせてみるけれどさっぱりわからない

少し時間がたつとその匂いも消えるので まあいいかと思うのだが 気が付くと翌日も同じような時間にまたいつもと同じ匂いを感じる


今日 随分と長くかかったけれど やっと気が付いた!

それは 飲み終えたコーヒーのカップからうっすら香ってくる コーヒーの匂いだったのだ

コーヒーだもの

ローストしてるんだもの

あったりまえだよね~

原因がわかれば 匂いの正体は枯れ尾花ならぬコーヒーだったというわけ

少し時間がたつと匂いが消えるのも これで納得できた

今日は 謎がひとつ解決した日
 
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小春日和

2017年11月29日 | 日記
今日は晴天で18度になるという

こんな日も今年はこれが最後だろうなあと思うと外を歩きたくなったけれど 布団のカバーも洗濯したいなあなんて思っているうちに 完全に出遅れた

常々 徘徊場所を考えておかないとこうなる


友達がメールで 母親にも認知症の気配が見えてきたかと書いてきた

すでに父親が認知症になっている

母親を頼りに何とかやってきたけれど その母親もとなると 独身の身で仕事をしながら二人をみるのは無理と

まだそうと診断されたわけではなさそうだが 両親ともほぼ90歳ともなるとこれから大変なのは間違いない

私は暇だから何かできることがあれば言ってねとは伝えてあるけれど 極めてプライベートでデリケートな問題だから いざとなれば他人に頼めることはそうは無いかもしれない


今 『クレアモントホテル』という小説を読んでいる

映画化された時に知り 面白そうだなと思ったままになっていた

ラジオでの映画紹介により沢山の題名が頭の中に蓄積されてきたけれど なかなか見る機会も無く 映画館のシステムが面倒な予約制になってからはさらに足が遠のくこととなって久しい

先日 ブックオフで目にしたのでバスタイムの読書用に買ったのだ


その中で主人公の老女は 知りあった青年に言う

自由になる方法ってたった一つだとわかった それはひとに必要とされないことなのよ

自分の重荷になる人など居ない今の自分

娘や孫とも疎遠になっている彼女の 青年を前にして言った心の叫び

なんとなくわからないでもないけれど 私とは少し違う人生観だと感じる

おそらくこれは 家族を作ろうとも作りたいとも思わなかった私の孤独と ごく普通に家族を作りながらもしっくりとしない関係の中にいる彼女の孤独との違いだろうと思う

私は 家族にとっておそらく必要とされていただろうと思うけれど それよりもずっとたくさん 私が家族を必要としてきた

私にとって必要な人たちなのだということを伝えることのほうが 必要だと言われることよりも大事だった

主人公の女性は 必要とされないどころか そのうちに自分が家族の重荷となり 彼等を必要とする人間になるだろうと言う

私の重荷になる前に逝ってしまった両親のことを思い 友人のこれからを心配し おお そうだ 我が身のことも心配もせねばならなかったのだあと ふと我に返る今日は小春日和 
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ロボット≒人造人間?

2017年11月28日 | 日記
AI(人工知能)ロボット元年がいつなのかは知らないけれど すでにそうした時代に時は移っている

それを大歓迎として楽しみ 大喜びする人 だからどうしたと思う人 それぞれである

ある場面においては非常に人の役に立つけれど これによって人の肉体においても精神においても そのありようが変わっていくような気がする


冷蔵庫に組み込まれたとします

中身の全てを把握していて AIスピーカーが カレーを作るのには〇が不足していますとか 〇の賞味期限が今日切れますだとか 冷蔵庫にあるもので献立を考えてくれたり 卵や牛乳が無いと知らせてくれるようになります

そんな話をラジオでしていたら 女性のコメンテーターが「そんなことって必要ですか?」と 半ばくってかかるように言うので 可笑しくて笑った

いや 私もそこまでは求めていないし~ 冷蔵庫の中身の大よそを把握できていないようでは そもそも料理も作れまいとは思う

そんな人には お料理ロボットの方が必要なんじゃないの?

男性は必死に これってすごくないですか? こんなこともできるんですよ と嬉しそうなのに対して 先の女性は こんなことはAIの助けを借りずとも良かろうにと譲らない

それでもおそらく 将来的には出先から何が不足しているかを知りたいと思えば 中身をスマホに映してくれるようになったり あらゆる場面で利用されるようになるのは目に見えている


ボストン・ダイナミクス社の驚くほどしなやかに動くロボットの映像を 最近見た

少し前のCG合成の映像に出てくるような動きを 実際にやってのけるまでになっている

パソコンもスマホも10年という期間で驚くほど浸透し 変化した

この世界も10年後 そして20年後ともなれば ロボットが赤子をあやし 子守唄をうたい 絵本を読んで聞かせているかもしれない

そして 私のオムツを交換するのも・・・

好むにしろ拒むにしろ 世の中の変化を止めることはできない

そのうち 新しいロボット法なるものも必要になり ひとには新しい倫理が求められるようになるかもしれない

それが当たり前の世の中に生まれれば ひとはそれなりに受け止めて生きていくのだろうけれど 私はほどほどのところでお暇したいと思う

ただの布きれにモフモフと名付けて ペットを想像するまでの能力のある私にとって ロボットはあまりにも完璧で現実的過ぎるようにも思える

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私の新語

2017年11月27日 | 日記
「リスケ」という言葉を初めて知ったのは 友達からのメールでのことだった

内容から意味を察し それで「リスケジュール」の略だとはわかったが 今時 普通にそんな言葉を使うのかと思った

少し前にラジオで聞いた 耳に馴染みの無い言葉は「ローンチ」

新しいサービスや事業を立ち上げる事をいう

それを口にした中年女性アナウンサーもすぐにはその言葉を思い出すことができず そこにいた初老に近い年令の男性も「知らないなあ」と 全員で爆笑 

勿論私もそれが初めてだったが ビジネスの世界 業界ではすでに馴染みのある言葉になっているという

「バッファ」という言葉も初耳だったが もとは「緩衝となる装置や液」のことを言うらしい

それがIT用語で「PCの保存領域」をさす言葉として使われるようになり 更にビジネスの世界においては「ゆとりや余裕」をさす言葉となった

今年 哲学とドイツ語を学んだ人以外には馴染みの無い言葉を使った政治家もおられたが 日本語で表現できることは日本語でと私は思う

ロボットだとかコンピュータだとかバターであるとかは カタカナであるべきだけれど

今日は家事をしてから買い出しに行った

すべてオンスケ!

※ オンスケ(オン・スケジュール)の略 スケジュール通りに進んでいることをさす 



  

 
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悪魔のささやき

2017年11月26日 | 日記
天気が良いので少し遠くまで歩いて買い物に出かけたら 帰りはうっすら汗ばんでしまった

今頃の気温がどのようなものなのか もうさっぱりわからなくなっている


最近 小麦粉とお砂糖と卵を使ったお菓子が食べたくて仕方が無い

クッキー ビスケット サブレ 卵煎餅 瓦煎餅 京絹巻 鉱泉煎餅 タマゴボーロ カステラ・・・

あっ ローカーのウエハース 小宮山製菓の「サラバンド」も好きやわ~~

きっとまだまだあるだろうけれど 少し前までよく食べていたお菓子が頭の中で渦巻く

五家宝(ごかぼ)も子供の頃からの大好物

あの優しい甘さのツブツブのもち米 黄粉味がたまらない

悲しいかな これらは全て封印されたお菓子たち

冬に向けて きっと体が脂肪を蓄えようと思うのだろう 私は今頃から甘いお菓子が欲しくなる

それもケーキのようなこってりではなく ほっこり甘いお菓子


家に居れば忘れることもできるけれど 買い物に行くと嫌でも目に入ってしまい ああ・・・と思う

貧しい黒人の子が ガラスのショーウィンドウの向こうに置かれたトランペットをキラキラした目でじっと見つめる 

良く使われる絵ではあるけれど きっと私もそんな風に並んだお菓子に熱い視線を向けているに違いない

世の中には美味しい食品があふれかえっている

飽食の時代と言われるけれど 本当にそうだと買い物に行くたびに実感する

その中で 栄養はあるけれどカロリーは低いものを選び お菓子などもってのほかと排除していると その実感はますます強くなる

なぜこんな無駄な商品が並んでいるのだと 八つ当たりもしたくなる

私はとても貧しいからお菓子までは買えないのだ という設定にしてみたり お菓子を食べるくらいなら ちゃんとしたおかずを食べた方がまだマシだと思ったりするのだが 買い出しは誘惑が多くて 毎回 悪魔のささやきを無視するのに苦労している  
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