どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

動く

2016年12月31日 | 日記
昨日は 今年を振り返ってみた

今日は 明日から始まる新しい年に向けて考えてみる

年が明けて 引越しと税金の申告を無事に終えたら いよいよ私の本当の意味での退職後の人生が始まることになる

まずは健康であることが前提

年々 その思いが募ることは予想がつくし しかも それもいつかは終わりが来ることもわかっている

いつまでも あると思うな 親とかね ではあるけれど 健康だってむしろ かね以上だ

朝食を自分で作って美味しく食べられる 一人で排泄や入浴が出来る 歩いてどこにでも行ける (ビールも美味しければ言う事は無い)

これは私にとってはとても大事なことだが 時間には限りがある

だから 出来る限り「動く」と決めた


満額の年金はまだ受け取ることができないし 満額になったところで生活費が出るかどうかという貧困世帯であることに変わりはないが  幸い今のところは家と貯金があるので それで切り抜ける予定にはしている

先のことなんてわからんし それを心配する性格ではあるけれど でもさ 生きている実感を味わっておくことはもっと大事

今年 あまり動けなかった反動もあるのだろうけれど 動物である以上 出来る限り動いていたい

いつ起き いつ寝ても良い生活は それはそれで楽しいし 全てが自分の自由と責任に係っているという状況は 私にはとても心地よいものではあるけれど どこか今年は 半分は納得できない時間を送ったように思う


「動く」とは 町歩きや旅といった 外に出ることばかりではない

家の中にいても 心も身体も脳も動かすことはできる

ひとに会うことも 何かにチャレンジするのも 色々なものに感動するのも 私には「動く」こと

何がどれだけ出来るのかはまだわからないが これを心がけて一年を過ごそうと考えている

私のアホな日常に触れ こともあろうにコメントまで残してくださった方々には 時に元気をもらい 時に慰められ そして時には少し甘えてみたりと 本当にお世話になりました

来年の今日 大した成果が無くても どうか笑わないで欲しい(その時は次の年があるし それが無くたって 大した問題じゃない)

皆さまにとっても明日からの一年が 何が起ころうとも明るく楽しく「動く」一年となることを願って

では明日また  
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大した問題ではない

2016年12月30日 | 日記
今年も残るところあと二日

というわけで振り返ってみるにつけ 今年の私は「家」一色の一年だった

今後の人生を決める大きな選択と決断を迫られたわけで 私の乏しい人生経験の中では大きな出来事だったのだが・・・

そう思うことで逆に自分で自分を追いつめてしまい 結果 今年の上半期は最低となった


今にして思う

大きな出来事とは 自分が勝手に思い込んだに過ぎなかったのだと

勿論 確かに大きな そして未経験の出来事の連続ではあったけれど そんなことは誰にでもいつでもやってくるもので 一つクリアしてもまた次のステージが待っている

大した問題ではないと思うと 不思議とそう思えてくるものだということを学んだ

脳が「大変だ」と思ったら それは大変な出来事になる


また家そのものについても色々と思うことがあった

安全な建物 満足な設備 快適な環境 素敵な意匠 

人は多くを望むけれど 一番大事な事は どんな生活を送るか そこで何をするか

起きて半畳 寝て一畳

家は 一人で生きていく私にとっては目標でも夢でも無いし むしろそうであったらあまりに空しいとさえ感じる

あめかぜ防げて 安心して眠ることができ 健康的な生活が送れて どこへ行こうとも必ず戻りたいと思う場所でさえあれば あとのことは大した問題ではない


「大した問題ではない」とは言えないようなことが これから先にもきっと起こるだろう

私はまたぐちゃぐちゃと言うに違いないとは思う

そんなにすぐに修行は成就できない

でも そんな時は 今年の事を思い出すことにする

色々あった今年も いよいよ明日一日

けれども 私の人生はまだまだ続く・・・・予定(は未定)
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気分は仕事納め

2016年12月29日 | 日記
寒い朝だった

早起きをしてしまったけれど あと29日 この生活が続く

買い出しのついでに家を見に行く

コテ仕上げのパターンとして ラフという少しコテ跡を残すものにしたのだが それが半分ほど終わっている

A4の見本で見ていた時よりも色が少し薄く見えるのは 面積が広がったせいであり そうなることは予想していたが それよりもはるかに白っぽい気がする

乾くと少し濃くなると言われた

もう少し濃いものをイメージしていたが 前の家に近い感じもあって これならこれでもいいかなと思う


買い出しをして帰る

とりあえず 今年の買い物はこれで終わりにする予定である

お節料理は作らない予定だったが 慈姑を煮て 酢だこと「けんちん汁」を作った

あとは かまぼこや栗きんとん イクラ 昆布巻きなどでお茶を濁すことにする

記憶する限り欠かす事の無かった 我が家の味の田作りと数の子が無いのが残念といえば残念

でも 今日 1時間半ほどキッチンに立つだけで お腹が冷えそうだったんだもん

これ以上は今年は無理


しばらく口にしなかった点心が美味しそうで 暖かいし食べたいなと思ったけれど 今は蒸し器も電子レンジも無い

でも 何とかなるのではないかと考えて とりあえず買ってみた

お鍋に少しお湯を沸かし 小さな器を入れ その上に幾つか点心を乗せたお皿を置いて即席蒸し器にしてみたら・・・

オ~ グッジョブ!

親と頭は生きているうちに使え ってかぁ~(父ちゃん 母ちゃん ごめんなさ~~い)


洗濯や掃除はするけれど 一応今日が仕事納め

明日からは休日モードに入る(って 毎日が休日モードなんだけど まあ雰囲気で)

あと二日 よりも気になる 二十九日(粗忽)

それまでは元気でいなくっちゃ
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ダイコンとサイン(表札)

2016年12月28日 | 日記
昨日の打ち合わせで 私も相手も忘れていることが一つあった

サイン(表札)を決めるために カタログを借りる予定になっていたのだ

今日から始まる外壁左官工事(最後の段階)に現場監督が行くからというので 朝 買い出しも兼ねて取りに行った

カタログよりも先に手渡されたものは・・・・



大根!

追記:源助大根でした(12/29日)

これ 社長から・・・・畑で今朝採れたものです

〇〇大根といって 煮物に良いそうです(〇〇は忘れた!)

20センチほどの大根の先には 50センチくらいはあるだろうか 立派な葉っぱが小さめのビニール袋からわんわんと出ている・・・


買い出しをするつもりだったのに 計画が狂ったぁ

いや ありがたいし 重くは無い

けれども この下半身異常おデブさんで しかもやたら長い物の安定性の悪いことといったら・・・

ありがたいことはありがたいのだが そこは男のせいか 持って歩く時のことまではまるで考えていない

スーパーに寄って 少しだけ買い物をすることにした


店内はすっかりお正月に向けての陳列となっていたが 黒豚のバラ肉が売り場から消えていた

きけば 年末までは置かないという

うそ~ 去年まではず~っとあったじゃん・・・

うちのけんちん汁はこれをダシに使うのだから バラ肉といえども味の良いものじゃないと困るのに

豚肉はほとんど全て普通の豚肉で しかもブロック肉が売り場のかなりの部分を占めている

そうか・・・皆さん・・・煮豚とか角煮とか焼き豚なんかを作るのかなぁ・・・

ビールと明石の蛸を買い 大きな袋に大根を入れ替えて帰る

お正月早々ビールを買いたくないので これでもうビールは完璧


家に帰って表札を決める

私の希望は 極力普通のもの

奇妙な文字(私にはそう見える)や可愛いイラストがついたもの 妙に気取ったものなどは全て却下なのだが 今時はそんなのばかり

勿論 そういった物が似合う家もあるだろうが 私の家はそれを目指してはいない

オシャレなドレスよりも作務衣の方が好きという風だから 蒲鉾の板に墨で それも楷書で書いたもので良いと思うくらいなのだ

好みは人格そのものと思う・・・(涙)

サイズと色と字体にも制約があり あちらが良ければこちらが駄目といった具合で 100%満足とはなかなかいかないが まあ妥協して決めた

明日は 出直し買い出しをするとして 今日の仕事は終了!

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私はまだ覚えているからね~

2016年12月27日 | 日記
今日は 今年最後の工務店との打ち合わせ

出かけ間際に す~さんから電話がかかってきた

姐さん 新居の具合はどう?

それがね 一か月先になっちゃったの

またカレンダーと手帳あるからさ うちは今日の午前中で仕事は終わりなんだけど 午後は例の納会があるから 姐さんはいつが暇?

う~ん 基本的にはいつでも

じゃ また連絡するわ 新築祝いには行くからさ と彼は言って電話を切った


クライアントの会社は大会社で 業者のカレンダーや手帳を毎年 山のように捨てている

す~さんはそこから センスの良い 使えそうなものを頂いてくるのだ

社長はハズレだったが 小さな会社の割には良い仲間に出会えたと思う

それにしても 誰もが嫌がる2時間以上の納会を 今年もまたやるのか(笑)

社長の気持ちもわからないではないが 正直 気の合う仲間と飲むか 一刻も早く帰りたいと社員は思っていることに まだ気が付いてはいないようだ


ん?新築祝いに来る?

独身時代 彼はこの地に住んでいたこともあって いつか遊びに行きたいとは以前から言っていたのだが・・・

う~~ん 基本的に人の訪問を考えていない家だからなぁ

まあ 遊びに来てくれるのであればご馳走はするけれど でも何も無い家だし


打ち合わせは 引き渡しまでの工程の確認で終わった

今日は電気屋さんが工事に入っていた

予定では今日から始まるはずだった外壁の左官工事が 雨のために明日からになってしまった

帰る頃には土砂降りで 車で見回りに来た例の老人が 車で送りますよと言ってくださったが 遠慮させていただいた


まだ10代の頃 母から他人の車には乗らないようにと言われた

友達の車に乗っていて 万が一事故を起こしたりした時のことを心配したのだろう

絶対にだめだというほどの強い約束では無かったが 私は極力乗らないことを選び それがいつしか身についてしまった

この年になるまでに他人の車に乗ったのは 片手以上両手未満(タクシーは別だが)

老若男女に限らず 友人知人が乗った車の死亡事故を知ると 互いの家族の複雑な気持ちをついつい想像してしまう


全てがそのような調子で 一歩も二歩も先を心配し 用心する母には 時にうんざりすることもあったものの 私も全てを守っていたわけではないが 信頼を裏切らないことと 何があっても親より先には逝かないようにすることには それなりに気を遣ってきた

両親を無事に送り 寂しいのは言うまでも無いことだが それでももう心配をかける人は居なくなったという現実が 私の心を少し軽くしたのも確かなことだった

過保護とは少し違ってはいたが 両親の死後に一人旅をするようになったのには 休暇が増えたことに加えて こうした背景もあった

雨のせいで買い出しは出来ず 一番激しい時に折り畳みの傘で帰ることになってしまい 少し濡れたが 今日もあのザックカバーが活躍してくれた

お母ちゃ~~ん そっちはもうすっかり忘れているだろうけれど 私はまだ覚えているからね~~

(※ 親を亡くしてから 私は両親の生前中には一度も口にしたことのない お父ちゃんやお母ちゃんという言葉を 時々使いたくなるようになった
最大限の私の甘えの言葉であり 今でも私が心から甘えることのできる人は 二人をおいて他にはない) 

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