どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

今年最後の日記

2011年12月31日 | 日記
昨日 ほとんど家事を終了させた

夕方に寝具のカバーを取り換えたので 今日その洗濯が残っているが 昨夜からお節料理をいただき 一足お先に正月気分

これも独り者ゆえの自由さと お節を全部平らげるためにはやむを得ないという少々の悲哀も含んでのことだ


色々な意味で今年は日本について 国というものについて 日頃ノンポリの私でも考えさせられる一年だったように思う

約束は口で言うのは簡単だが 守るのは難しい とか

守れない約束はするべきではない などと言うけれど

確かにその時は守れると思ったことも 事情の変化や能力不足で反故にしてしまうこともあるだろう

だが それには納得できる正当な理由と謝罪が必要だろう

正当な理由は 言い訳とは違う

自分の口から出した言葉に対して 回数を持ち出して責任逃れをするという恥知らずな人間が政ごとに携わっていることにも

怒りを通り越して人として情けない思い

多くのマスメディアにもジャーナリストの顔をしている人々にも失望した(そうではない人がいたからこそ見えたのだが)

決して収束に向かってはいないし 問題はこれからだというのに 

今年を象徴する漢字が 絆 だそうだが

それは 分断された絆 を意味するのではないのか?

これでは国民無くして議事堂だけが存在する国になってしまうだろう

そもそも そんなものが国と呼べるのか

決して決して隣国を笑えない


少し前に「収容所から来た遺書」のことを書いた

子供に向けて書いた部分の抜粋を載せよう

「君達はどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。

最後に勝つものは、道義であり、誠であり、まごころである。」

道義も 正義も 自由も 複雑な事情を抱える今の世界 どれもが簡単に定義することはできないものであり

こうして文字面だけを見ればクサイもののように見えるが 十数年という長い過酷なラーゲリ生活の中で

精神的・肉体的な拷問も受け 弱さ 裏切り 弱者への甚振りといったおよそ人の醜悪な部分はすべて経験する中で

絶えず人を励まし 精神の向上を忘れず 可能な限り文化的であろうとした彼の人生を知れば

それは とても重い言葉と受け取れるはずである


父の遺品の中に 共に戦地から無事に帰国できた人たちからのはがきが残っている

誰もが生きて帰ったことへの喜びとともに これからは日本の復興を目指して頑張ろうといった言葉を達筆で書き綴っている

その延長線上の日本がこれなのか これでいいのか 


戦闘機を買うのもけっこうだが それで本当に日本国民が守られるのか?

今回の震災地でも福島でも これから来るとされている増税でも苦しむ国民がいるというのに  

そもそも それは抑止力となりうるのか

それとも事あれば戦うおつもり?

それよりも 真の外交力を身につけるほうが先だろうと思う

大国であれ小国であれ 自国にとって得策と思うことをするのはみな同じ

自国とは政治家を指すのか 官僚を指すのか 一部の企業を指すのか

そうであるならば そんな国は滅んでも私は構わない


ここも来年の2月には閉鎖になるそうだ

この先 OCNが予定しているブログへの移行とするか まったく別のところにするか

そもそもうっかり入ったカフェであるから これでお仕舞とするかはまだ決めていない

今年一年 それから長くお付き合いいただいた皆様に心から感謝します

来年も どれだけ書けるかはわかりませんが 少々の間お付き合い願いたく思います

皆様のご健康とご多幸を祈って 今年最後の日記とします
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お節作り終了につき あの世への招待状を送る

2011年12月30日 | 日記
28日に今年の仕事も無事終了

昨日の午前中は買い出し

食材を求めて 隣駅のスーパーまで出かけた


ここには某書店のチェーン店がある

私の住む町よりも店舗の規模は小さいのだが 棚に並べるチョイスが悪くない

大型書店であれば多くの人の希望に添った本を並べることができるだろうが 限られたスペースでは難しい

新刊や売れ筋を並べるのか 本好きの人のためだったり これは読んで欲しいと思うような本を並べるのかは

それぞれの書店の方針によるのだろうし それはそれで構わない

大事なのは どこも同じ色にならないことだ


帰宅してからお節作りを半分ほどこなし 今日が今年最後のゴミ出しの日ということもあって 部屋を片付けた

そして今日は 朝から残りのお節作り

流しているラジオから 年末は野菜などの物価が上がる 値段が高いので買い控えた というリスナーの声があり

あまり実感しなかった私は よほど疎いのか知らないのか あるいは いや だから幸せなのかとも


決して高給取りでは無いし どちらかといえば貧乏な生活だが お節の材料を買うのに何の躊躇も無いのは

おそらく親がそうしてきたことを見てきているからだろう

年代的なこともあって 決して贅沢をするような親では無かったが それゆえの正月の贅沢だったのだろうか

それとも これが江戸っ子ということだろうか


ラジオのパーソナリティーはリスナーの声に続けてこんな話をした

昔 先輩に言われたのだけれど それもこれも一年の終わりのご祝儀だと思えばいいと

それが 誰かのところに回っていくのだからと

そう思えるとしたら 十分幸せな今を送っている何よりの証拠だろう


今年も慈姑(クワイ)を買った

5個入ったパックが700円と 昨年よりも高かったようにも思うが それもあまり記憶に無い

あれこれ見比べて3パック買った(これを一人で全部食べるのだ!)

それを選んでいた時 これ 皮をむくのが大変なのよね~ という声を聞いた

80個のクワイの皮をむくのは これが大好物である父の仕事だったことを思い出した

几帳面な父が 嬉々としてやっていたことを思い出す

昨日 15個の皮をむくのでさえ もうこれ以上は嫌だと思ってしまったが

お節作りもすっかり慣れた今 父好みの良い感じに出来上がったものを見ると してやったり!と思わずほくそ笑んだりして


毎年 毎年 この中で何が一番好き?と母は同じ質問をしたものだ

父は 慈姑 田作り 数の子 と答え

母は 金平牛蒡と蒲鉾 と言い そんなのいつでもあるじゃないと家族から言われ

あまり感情をあらわにしない姉は それには答えずパクパクと食べ

そして私は 煮豆以外は全部好き!(小食 偏食のくせに食い意地は一人前だった)


全部好きな私は 今夜から毎朝毎晩これをお皿に取り分けてビールを飲む

もうお重も出さない生活だが お節の味は何も変わってない

今夜招待するから お盆じゃないけど帰っておいでよ

あっ ごめん!二人とも好きだった煮豆だけは用意してないからね~
 
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収容所から来た遺書

2011年12月18日 | 日記
本は持ち歩くようにしている

しかし 朝の通勤電車の中では開ける状態になることは少なく 帰宅の途中で読めたら良いとしている

昼休みも30分ほどで切り上げ仕事に取り掛かるせっかち野郎だし 帰宅したら読書の時間は無い

休日 お風呂の中で読むのを一番の読書の時間として楽しみにしている

(したがって 私の本はしばしば 少しふやけていることがある)


「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」も こうして読んだ

先の大戦でソ連(ロシア)の強制収容所に入れられた人の話(ノンフィクション)である

民間人も含む60万の日本人が俘虜生活となり 一割以上がダモイ(帰国)を願いつつ極寒の異国の地で果てた

その一人となった山本幡男という人物を軸として 長い年月が静かに語られていく

彼の命が長くないとわかった時から 必ずや帰国して遺書を家族に届けると決めた仲間たち

遺書は 本文のほか 母 妻 子供にあてられた全四編

筆記したものは持ち帰ることはできないからと 幾人もがその幾つかを重複して記憶した

その彼らが山本の家族に届けることができた頃 経済白書は「もはや戦後ではない」と言葉を結んでいた


私にとっての戦争の記憶は ごくごく小さい頃 繁華街で見かけた兵隊服の人

ハーモニカを吹き 物乞いをしていた姿

10円玉を母からもらって小さな紙の箱に入れたことを覚えている

もう一つは父からの軍隊での話


人類が歴史を刻み始めてからこのかた 世界から戦争が消えたことはない

今更 戦争の悲惨さを私が説くまでもない

戦争責任についても その補償に関しても 私の考える範疇ではない

作者自らが言うように 山本という男の不屈の精神と生命力 遺書を持ち帰った男たちの友情こそが感動を呼ぶ

特に子供たちへ宛てた遺書は 日本の子供すべてに宛てたといってもよいほどのものである

彼が父親として共に暮らせたならば 長い年月の間に語っただろうことをすべて 遺書の中に託したのだろう


わが社の社員たちは しばしば冗談でこの職場は監獄だと話す

だが これを読んでから 私はラーゲリよりどれだけましかということを社員に話している

納得してもらえた様子は皆目無いが もう少し損得勘定を捨てれば そうして自分の精神向上を目指せば 

少しは居心地も良くなるのではないかと私は思っている

もっともダモイ(定年退社)まであと数年の私なので 彼らとの温度差も仕方あるまいか


追記:彼のご長男は東京大学を出られたあと 大学で教鞭をとられていたらしい

    長い間 父親の眠る地には行くことができず 数年前に訪問したらしいことをインターネットで知った
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いいトシのメロス

2011年12月10日 | 日記
先日 私が通勤に利用する地下鉄が 夜間作業中の事故の影響により麻痺した

通常 最も混雑する時間帯には一分間隔で列車が駅にすべり込んでくる

それがわずか数分途絶えるとどうなるか

あっという間にホームは人でごった返す

遅延してはいるが後続の車両はすぐに来るとアナウンスしているのにもかかわらず 強引に乗り込もうとする人がいる

何度もドアの開閉が行われ それが新たな遅延の原因となり 事態はどんどんとこじれていく

整列乗車は無きに等しくなり あさましい人の姿を見せつけられる

もちろん すべての人がそうというわけではないが サルと人との違いを思いがけず見ることになる

いや それではサルに悪いか


二台乗り過ごし 三台目はかなり空いた状態でやってきた

これなら十分間に合うと安心して乗っていたら 降車予定一つ手前の駅で再び停車した

なんてこった!

気の短い私のこと もう待つのはいやだと電車から降りた


会社までは約2.5キロ

普段であればそろそろ会社に着いている時間だ

歩いていてはギリギリになると思った私は 道のりの半分ほどをジョギングせざるをえなかった

途中でもういいだろうと思ったのだが いや 出来るだけのことはしなくてはとメロスの気持ちで走った

別にメロスでなくとも良かったのだが 他に思いつくランナーも居なかったのだ


10分前 無事に会社についた

同じ路線を使っているものは 見事に遅刻した

わが社の男たちは口をそろえて 俺は走れないと言う そんなことしたら死んじゃうよと

そういえば 誰一人走っている人なんかいなかったな

そら私だってできることならタクシーにもバスにも乗りたかったのだが あいにく天の味方も遅延に巻き込まれていたのだ


たまたま厚着でなかった事や 天候 靴の具合が良かったこともついていた

そして 走れる体を持っていたことにも

いいトシをした女性があの大通りを走っている姿は 他人から見たら決して美しい姿ではなかったと思う

でもこのいいトシで走って遅刻もしないなんて 私ってけっこうかっこいいじゃん なんて自惚れたりもして良い気分だった


次の日 またまた同じ地下鉄が今度は混雑のために遅延

うそでしょ~もう勘弁して~ と心の内で私は大きく叫んだ

ハムストリングの筋肉痛のことを思いながら 
 
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おひとり様の鍋

2011年12月04日 | 日記
一人になってから五年以上が経過している

その間の生活は 変わったこともあり変わらなかったこともあるが 食生活は大きく変わったことの一つかもしれない

揚げ物をしなくなったし 鍋料理も口にしなくなった


どちらも時々無性に食べたくなることがある

外食で事足りると思うだろうが 家庭の味のそれとはまた違うのだ

ことに鍋料理にいたっては さて何を入れようかとか カセットコンロを準備したり 具材をお皿やざるに並べて

そうしてコタツに入りながら 一体何を話していたのか ワイワイやりながらの食事は 今も鮮やかに蘇る光景である

とこんなことを書けば 将来は寂しき独居老人の姿が見えてくるやもしれぬが 独居が寂しいなどと思われてはかなわない

これはこれで快適なのだ


昨日 スーパーに買い出しに出かけて 今日の夕食は何にしようかと物色していたら タラに出会った

三種類あって 外国産 北海道産 北海道根室産(と思った)

最後のものが一番高くて色も良く 甘いと書かれてあった

それを見ていたら これを買って久しぶりに鍋にしようと思い立った

スダチはどこだ?

日頃買わないものだからどこに並んでいるのか うろうろと探し回った


スーパーでの買い物の前に本を買った

父が好んで読んでいた作家の中には 父が生存中にすでに新刊が出なくなった人も 活躍中の人もいたけれど

そうした新刊を父はもう読めないのだと いつも感じながら棚の間を歩いている

それがつらいのか単に遠慮なのかは自分でもわからないが 私もそうした作品を買わずにきている

俺の代わりに読んでくれよ と 多分そう言うだろうことはわかっているのだが… 

そして私もいつか どんなに素敵な本が出ようとも それを目にすることの無い日が来るのだと

そんな当たり前のことを しみじみと実感した

それで 題名こそ知っているのに あるいは気になっているのに読まずにきた本の隙間を これからは埋めていこうと決めた


夕闇の中 急いで帰り支度をする

本来ならぐつぐつやりながらが鍋の神髄だが おひとり様の鍋はこれは割愛

父が読まないような本も 読みたくても読めなかった本もこれからは私が読む なんてことを考えながら

風情の欠片も無い鍋はわずかな時間で完食となったが それでも十分美味しかった
 
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