昨日 ほとんど家事を終了させた
夕方に寝具のカバーを取り換えたので 今日その洗濯が残っているが 昨夜からお節料理をいただき 一足お先に正月気分
これも独り者ゆえの自由さと お節を全部平らげるためにはやむを得ないという少々の悲哀も含んでのことだ
色々な意味で今年は日本について 国というものについて 日頃ノンポリの私でも考えさせられる一年だったように思う
約束は口で言うのは簡単だが 守るのは難しい とか
守れない約束はするべきではない などと言うけれど
確かにその時は守れると思ったことも 事情の変化や能力不足で反故にしてしまうこともあるだろう
だが それには納得できる正当な理由と謝罪が必要だろう
正当な理由は 言い訳とは違う
自分の口から出した言葉に対して 回数を持ち出して責任逃れをするという恥知らずな人間が政ごとに携わっていることにも
怒りを通り越して人として情けない思い
多くのマスメディアにもジャーナリストの顔をしている人々にも失望した(そうではない人がいたからこそ見えたのだが)
決して収束に向かってはいないし 問題はこれからだというのに
今年を象徴する漢字が 絆 だそうだが
それは 分断された絆 を意味するのではないのか?
これでは国民無くして議事堂だけが存在する国になってしまうだろう
そもそも そんなものが国と呼べるのか
決して決して隣国を笑えない
少し前に「収容所から来た遺書」のことを書いた
子供に向けて書いた部分の抜粋を載せよう
「君達はどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。
最後に勝つものは、道義であり、誠であり、まごころである。」
道義も 正義も 自由も 複雑な事情を抱える今の世界 どれもが簡単に定義することはできないものであり
こうして文字面だけを見ればクサイもののように見えるが 十数年という長い過酷なラーゲリ生活の中で
精神的・肉体的な拷問も受け 弱さ 裏切り 弱者への甚振りといったおよそ人の醜悪な部分はすべて経験する中で
絶えず人を励まし 精神の向上を忘れず 可能な限り文化的であろうとした彼の人生を知れば
それは とても重い言葉と受け取れるはずである
父の遺品の中に 共に戦地から無事に帰国できた人たちからのはがきが残っている
誰もが生きて帰ったことへの喜びとともに これからは日本の復興を目指して頑張ろうといった言葉を達筆で書き綴っている
その延長線上の日本がこれなのか これでいいのか
戦闘機を買うのもけっこうだが それで本当に日本国民が守られるのか?
今回の震災地でも福島でも これから来るとされている増税でも苦しむ国民がいるというのに
そもそも それは抑止力となりうるのか
それとも事あれば戦うおつもり?
それよりも 真の外交力を身につけるほうが先だろうと思う
大国であれ小国であれ 自国にとって得策と思うことをするのはみな同じ
自国とは政治家を指すのか 官僚を指すのか 一部の企業を指すのか
そうであるならば そんな国は滅んでも私は構わない
ここも来年の2月には閉鎖になるそうだ
この先 OCNが予定しているブログへの移行とするか まったく別のところにするか
そもそもうっかり入ったカフェであるから これでお仕舞とするかはまだ決めていない
今年一年 それから長くお付き合いいただいた皆様に心から感謝します
来年も どれだけ書けるかはわかりませんが 少々の間お付き合い願いたく思います
皆様のご健康とご多幸を祈って 今年最後の日記とします
夕方に寝具のカバーを取り換えたので 今日その洗濯が残っているが 昨夜からお節料理をいただき 一足お先に正月気分
これも独り者ゆえの自由さと お節を全部平らげるためにはやむを得ないという少々の悲哀も含んでのことだ
色々な意味で今年は日本について 国というものについて 日頃ノンポリの私でも考えさせられる一年だったように思う
約束は口で言うのは簡単だが 守るのは難しい とか
守れない約束はするべきではない などと言うけれど
確かにその時は守れると思ったことも 事情の変化や能力不足で反故にしてしまうこともあるだろう
だが それには納得できる正当な理由と謝罪が必要だろう
正当な理由は 言い訳とは違う
自分の口から出した言葉に対して 回数を持ち出して責任逃れをするという恥知らずな人間が政ごとに携わっていることにも
怒りを通り越して人として情けない思い
多くのマスメディアにもジャーナリストの顔をしている人々にも失望した(そうではない人がいたからこそ見えたのだが)
決して収束に向かってはいないし 問題はこれからだというのに
今年を象徴する漢字が 絆 だそうだが
それは 分断された絆 を意味するのではないのか?
これでは国民無くして議事堂だけが存在する国になってしまうだろう
そもそも そんなものが国と呼べるのか
決して決して隣国を笑えない
少し前に「収容所から来た遺書」のことを書いた
子供に向けて書いた部分の抜粋を載せよう
「君達はどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。
最後に勝つものは、道義であり、誠であり、まごころである。」
道義も 正義も 自由も 複雑な事情を抱える今の世界 どれもが簡単に定義することはできないものであり
こうして文字面だけを見ればクサイもののように見えるが 十数年という長い過酷なラーゲリ生活の中で
精神的・肉体的な拷問も受け 弱さ 裏切り 弱者への甚振りといったおよそ人の醜悪な部分はすべて経験する中で
絶えず人を励まし 精神の向上を忘れず 可能な限り文化的であろうとした彼の人生を知れば
それは とても重い言葉と受け取れるはずである
父の遺品の中に 共に戦地から無事に帰国できた人たちからのはがきが残っている
誰もが生きて帰ったことへの喜びとともに これからは日本の復興を目指して頑張ろうといった言葉を達筆で書き綴っている
その延長線上の日本がこれなのか これでいいのか
戦闘機を買うのもけっこうだが それで本当に日本国民が守られるのか?
今回の震災地でも福島でも これから来るとされている増税でも苦しむ国民がいるというのに
そもそも それは抑止力となりうるのか
それとも事あれば戦うおつもり?
それよりも 真の外交力を身につけるほうが先だろうと思う
大国であれ小国であれ 自国にとって得策と思うことをするのはみな同じ
自国とは政治家を指すのか 官僚を指すのか 一部の企業を指すのか
そうであるならば そんな国は滅んでも私は構わない
ここも来年の2月には閉鎖になるそうだ
この先 OCNが予定しているブログへの移行とするか まったく別のところにするか
そもそもうっかり入ったカフェであるから これでお仕舞とするかはまだ決めていない
今年一年 それから長くお付き合いいただいた皆様に心から感謝します
来年も どれだけ書けるかはわかりませんが 少々の間お付き合い願いたく思います
皆様のご健康とご多幸を祈って 今年最後の日記とします