例のぽろりと出てきた一冊の本『かくれた次元』
大学の時の授業で使用したことは記憶している
レポート提出の課題本だったのかもしれない
私が覚えているのは 教室で行ったパーソナル・スペースの実験のことだけ
簡単に言うと 人と人とが接するときの位置関係や空間とその知覚のこと
たとえば 見知らぬ人とどれくらい接近できるか 不快と感じる時はいかなる時か
相手の年齢や性別 時には風体もあるだろうし 匂いや体温もそれを決める要素になる
そんな実験だった
テーブルに人が座る時の位置関係などでも関係性が変わることもあり 会話の色も変わってくるといわれている
刑事と容疑者は向かい合って座るのが普通だろうし 少々同情したり なだめたりする時には 45度の角度を取るかもしれない
事実 相談に乗ったりする時や穏やかな話し合いの時は この角度が良いときく
私がこの本で記憶しているのは そんな程度の事だった
再読して 彼が建築家や都市計画にまで言及していたことを知った
彼は 異なる文化に属する人々は違う感覚に住んでいると言う
更に 文化というものは生物学と生理学に根ざしているとも言う
そして終章では 人間はどんなに努力しても自分の文化から脱け出すことはできないと語る
それは決して究極的には自分と異なる文化を理解しえない ということとはまた少し違うと思う
それよりもむしろ 延長物(発達した都市や通信網などをさす)とそれぞれの文化の中で暮らす人間との妥当性を問うている
私は名著とはいえ こんな50年も前の本が今も読み続けられているとは知らなかった
そして 驚くべきことに 建築家や大学の建築学科でよく読まれているらしい(あるいはテキストとして推奨)
グローバル世界と言われ 世界中の人々が地球上を移動する時代になり またこれほどまでにインターネット社会になった今であっても やはり大事な事を物語っているように思える
そこで少々こじつけになるが 決して快適さではひけを取らないだろうと思ったマンション住まいに踏み切れず 結果一軒家を選んでしまった私の決断も もしかしたら私の中に培われた文化のせいか などと思ってしまった
1歳半で一軒家に引っ越してきた私は そのままそこで育った
実際は4年間ほど姉と一緒に家を出たことがあるが そうはいっても実家にもよく帰り いわば楽しい隠れ家を作る子供と同じような気分だったし 家はあくまでも実家だった
大学進学や就職で若くしてアパートやマンションに住む人とは また少し違う文化や生理的要素があったのかもしれない
なんちゃって これは言い訳
文化の違う人々が今後ますます同じ都市や町で住むようになった時 互いに違うということを両者が知っておく必要がある
常識や 郷に入っては・・・式だけでは解決できないし 時に誤解を生んだり不要な疎外感を抱かせたりする危険もはらんでいる
(ゴミの捨て方といった些末な事ではなく 人との距離感や空間に対する感情 声の大きさ 見つめ方などといったもっと根源的な事)
グローバルな社会とは 世界が一つの文化や価値観やものの見方でまとまることでは決して無いはず
大学の時の授業で使用したことは記憶している
レポート提出の課題本だったのかもしれない
私が覚えているのは 教室で行ったパーソナル・スペースの実験のことだけ
簡単に言うと 人と人とが接するときの位置関係や空間とその知覚のこと
たとえば 見知らぬ人とどれくらい接近できるか 不快と感じる時はいかなる時か
相手の年齢や性別 時には風体もあるだろうし 匂いや体温もそれを決める要素になる
そんな実験だった
テーブルに人が座る時の位置関係などでも関係性が変わることもあり 会話の色も変わってくるといわれている
刑事と容疑者は向かい合って座るのが普通だろうし 少々同情したり なだめたりする時には 45度の角度を取るかもしれない
事実 相談に乗ったりする時や穏やかな話し合いの時は この角度が良いときく
私がこの本で記憶しているのは そんな程度の事だった
再読して 彼が建築家や都市計画にまで言及していたことを知った
彼は 異なる文化に属する人々は違う感覚に住んでいると言う
更に 文化というものは生物学と生理学に根ざしているとも言う
そして終章では 人間はどんなに努力しても自分の文化から脱け出すことはできないと語る
それは決して究極的には自分と異なる文化を理解しえない ということとはまた少し違うと思う
それよりもむしろ 延長物(発達した都市や通信網などをさす)とそれぞれの文化の中で暮らす人間との妥当性を問うている
私は名著とはいえ こんな50年も前の本が今も読み続けられているとは知らなかった
そして 驚くべきことに 建築家や大学の建築学科でよく読まれているらしい(あるいはテキストとして推奨)
グローバル世界と言われ 世界中の人々が地球上を移動する時代になり またこれほどまでにインターネット社会になった今であっても やはり大事な事を物語っているように思える
そこで少々こじつけになるが 決して快適さではひけを取らないだろうと思ったマンション住まいに踏み切れず 結果一軒家を選んでしまった私の決断も もしかしたら私の中に培われた文化のせいか などと思ってしまった
1歳半で一軒家に引っ越してきた私は そのままそこで育った
実際は4年間ほど姉と一緒に家を出たことがあるが そうはいっても実家にもよく帰り いわば楽しい隠れ家を作る子供と同じような気分だったし 家はあくまでも実家だった
大学進学や就職で若くしてアパートやマンションに住む人とは また少し違う文化や生理的要素があったのかもしれない
なんちゃって これは言い訳
文化の違う人々が今後ますます同じ都市や町で住むようになった時 互いに違うということを両者が知っておく必要がある
常識や 郷に入っては・・・式だけでは解決できないし 時に誤解を生んだり不要な疎外感を抱かせたりする危険もはらんでいる
(ゴミの捨て方といった些末な事ではなく 人との距離感や空間に対する感情 声の大きさ 見つめ方などといったもっと根源的な事)
グローバルな社会とは 世界が一つの文化や価値観やものの見方でまとまることでは決して無いはず