どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

定年退職後6日―まだまだへっぴり腰

2015年08月31日 | 日記
やらなければならないことは 次から次へとある

まだまだ新生活に慣れない中 今日は国民健康保険の手続きをしてきた

他の人の話やネットで調べてわかってはいたが 当分は高い保険料となる

住民税も当然 高い

覚悟はしていたし それなりの貯金もあるからまだ良いけれど 早く二年後にならないかなぁ~と思う


両親のものを 今日初めて少し整理した

これからは ゴミの日ごとに捨てる生活になりそうだ

母の実家からだと思うが 結納の時のものだろうか 目録一式が出てきた

結婚当初の母の覚書を書いたノートの 子供の頃に見たことのある懐かしい表紙を目にして 再び母を思い出した

日々のお使いの時に使っていたお財布もそのままで 私が使うようなものでは無いとわかっているのに お金が入ったまま取って置きそうな気がする

何もかもが 切なくて それでも多くの物は処分するつもりだ

感傷に浸っていたら 整理などできない


年賀状の類が出てきたのだが 他にもどこかに置いてあるのだろうか

父が戦地から戻ったあとに戦友と交わした手紙も おそらくあそこにあるはずだし 捨てていなければ成績表などもだ

とても 手で破ったり はさみで切ったりするくらいでは追いつきそうにない

私自身のものもあることだし さきほどネットでシュレッダーを買った


退職して6日目 日々足元を確かめながらへっぴり腰で そろりそろりと歩み始めたところ
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人生の河岸を変える

2015年08月30日 | 日記
昨日は す~さんとキス男 そして今年の春に会社を辞めた女性の4人での飲み会だった

彼女は新しい仕事も見つかったようで 今のところ収入にも職場にも満足している様子だった


4人とも飲むことは大好きだが 私はさほど強いという方でもなく しかもほとんどはしご酒というものをしない

だが す~さんに言わせると 河岸を変えるとまた飲めるのよと

というわけで この日 私は初めてそれを体験することとなった


神田で4時に待ち合わせ その時間に空いているお店を探し 軽く(軽いか?)一杯やったあとで大衆割烹の店「三州屋」に行く

あちこちにあるこの店はチェーン店というよりは暖簾分けの店らしく 呑み助の間ではかなり有名な店だ 

白木の一枚板の長テーブルとカウンターがある店の中を 割烹着姿の昔は若かった女性たちが働くというスタイルは どの店でも共通なようだ

格別安いということはないが 何を食べてもまずまずの美味しさ


そのあと す~さんが知っているというバーに 彼の記憶を頼りに行く

昔 彼は神田で働いていたのだが 来るのは久しぶりのことのようで 変わったなぁ~と驚いていた

そのあと もう一軒行こうというのでまた別のバーに河岸を変える

そうか 河岸を変えるって こういうことなのか わかり始めてきたぞ

座る椅子が変わり BGMが変わり 店員が変わり 食べるものも飲み物も変われば またいちから飲めるということなんだと初めて知った


何を話したのか 記憶は定かではない

ただ 仕事や会社の話をしたのは 最初の一軒目だけだったような気がする

退職してわずかな時間しか過ぎていないのに 遠い過去のことのように思える

久しぶりに終電に乗り 帰巣本能だけで家に帰った

あんなに飲んだのに何故か二日酔いは無かったが 雨の日曜日 へたれて一日寝ていた

おそらくは もう二度とこんなに飲むことも無いだろうと思う

彼らとも もう会うことも無いかもしれないが それもいい

人生の河岸を変えたのだ と 今 気がついた

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何もかもが新鮮な日々

2015年08月29日 | 日記
こうして朝 日記を書いているが 一日の終わりに書いた方が良いのかとも思い まだまだ生活のリズムがとれずにいる

昨日は午前中に雑用を済ませてから 昼食用にワンタンを作った

朝食は鯵の干物を焼いたのだが 朝食にしても昼食にしても 今までとは違ってなんという優雅な食事だろうか

格別お金をかけた食事ではないが 朝から魚を焼くという余裕は週末の休日以外には無かったし 昼食だってお腹が満ち足りればそれで良いといったものだった


自分で作った昼食を食べ終えて そうだ 昼寝を楽しんでみようと思い立った

涼しかったこともあって3時間ほど寝てしまったが 実に心地よい昼寝だった

以前だって昼寝をしなかったわけではない

だが そのあとで慌てて家事をしたり 明日の支度をしたりと 全てが心地よいというわけにはいかなかった

そうした一種の罪悪感というか やっちまったよ~ みたいな気持ちを抱く事の無い昼寝に 私は幸福感を覚えた 

だが これを日課に取り入れるのはやめておこう


午前中にわが町を歩いた

週末以外の普段の町の顔を しかも 無職という立場で眺めることがなかったので 働く高齢者が意外に多いことに気が付き と 少し引け目も感じる

まだまだ無職に慣れていないのだ 


手続きの全てが終わったわけでなく 退職金その他の入金もまだだし 年金も数か月先になるだろうし 何もかもが落ち着かない中 少しずつ家の整理も始めている

やりたいことは 大まかに箇条書きにしても10は軽く超える

やらなければならない事とやりたい事を どのくらいの割合で いつやるか それもそのうちに自然と決まってくるのだろう


今日は す~さん他の人との飲み会

新米定年退職者は 何もかもが新鮮な日々を うろうろしながらも楽しんでいる
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新米定年退職者

2015年08月28日 | 日記
退職して二日が過ぎたが まだ生活が日常と呼べるものにはなっていない

新米定年退職者は 昼食を何時に取るか 何を食べるかでも悩む

うっかりするとビールに手が出そうになるのをおさえて夕食の時まで待つのだが ご飯があればもうビールはいいか という気持ちにもなっている

経済にしても 出納簿のつけ方が迷うところである

今までは給料をもらうと 公共料金や税金の類 貯金 食費と取っ払いで 残りをお小遣いとしてそれを記録してきた

これからは 毎月 自分で自分に給料を支払い 同じ方法でやっていくのか それとも ちょろちょろと小出しに使っていくのかがわからない

でも長年の暮らしで慣れているから 前者のほうが良さそうだ


自分の時間だけを楽しめれば良いのだが 家の整理が最優先なので 好きな事をして遊んでばかりというわけにはいかない

曜日の感覚も薄れつつあるし 昨日は家から一歩も出なかった

たまたま昨日 会社の先輩から電話をいただいたので声を発したが これからはうっかりすると話すことも忘れてしまいそうだ

最低でも2キロは歩いていた生活も 昨日は家の中をうろうろ 一階と二階の階段を上り下りしただけ

あかんな これでは

運動を取り入れること 歌でもうたうか 朗読でもして声を出すことを日課にしなくては

この日記も毎日書いていくつもりだ


見たかった「桂離宮」と「修学院離宮」の参観許可証が昨日届いた

11月なので 庭の紅葉が綺麗かもしれない

京都でまた忠太に会える!

その頃までには 定年退職者として少しはベテランになっていたいと考えている
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落ち着かない日々

2015年08月27日 | 日記
昨日は年金の手続きをしてきた

このほかに企業年金基金もあり 401Kもあるので 何やらめんどくさいことばかり

手続きが苦手であっても やることはやらなければならない

普段なかなか行けない銀行にも行き しばらくしていなかった記帳もしてくる


ところで 定年退職者であれば知っている情報ではあるだろうが 定年退職者であっても失業保険を受け取ることができる

勿論 建前は 就職活動をする人のためのものであり 労働意欲の無い人は受け取ることができない

けれども 長く掛け金を払ってきたのだし とりあえず手続きをして就活のふりをすれば そこそこの保険金を手に入れることはできる

ただし 年金はその間 ストップする

だから 受け取る年金と保険金との額を考慮したうえで決めることになるのだが 多くの人は失業保険の方が高くなるはず


そのことも年金事務所で正直に尋ねてみた

上に書いたことと同じ返事が返ってきた

労働意欲が無いのに失業保険を受け取ることは インチキなのか 正当な権利なのか

私の正義は 失業保険は本来 仕事を失って困っている人の生活を支えるためにある相互扶助だと説明する

心の片隅には 誰だってそうして貰っているんだし 保険金だって収入から支払ってきたのだから貰えるものは貰おうよ とささやく奴がいる

さぁ どうする 私

 
二年前に会社を辞めた子に電話をし 退社のことを告げる

入社当時の先輩には報告とお礼状を書き 叔母に電話をし そして最後に姉にも電話をした

退職当日 一番欲しかった姉の声を聞くことは無く 私はがっかりと同時に心配でもあった

姉は 夜の9時半ごろ電話をしたけれど出なかったから 送別会でもやっているのかと思った・・・と

早寝の私は 気が付かなかったのかもしれない

まぁ 元気な姉の声を聞けて良かった


頂きものやら 会社から持って帰った荷物などの整理をして 退職後第一日目の仕事は終了

夕方5時から夕食(ビール付)

とろんとしてきたのでこのまま少し寝ようかとまどろみ始めたら 電話が鳴った


なんと 会長の奥さんからだった

はがきですでに挨拶状を出し お口汚し程度のものをデパートから送ってあったので そのお礼だろうと思った

あちらからも感謝の言葉とお礼を言われたのだが 問題はそのあとだった

生前の会長と奥さんで話していたことがあって 遺言というわけでもないのだけれど お話があるのでそのうちに時間を頂けないか ということだった

私は承知しましたと答えた


これですっかり会社とも社長家とも縁が切れたと思っていたのに 面倒な事に巻き込まれるのではないかと不安になる

あれこれ思いを巡らせていたら すっかり目が覚めてしまった

う~んもう~~~だ


退職翌日から 東京は秋かと思うほどの気温

天気も悪く 庭掃除も 片付けも まだまだだ

週末は す~さんと今年辞めた女性との出所祝いがある

落ち着かない日々はもうしばらく続きそうだ
 
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