どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

算数をやってみて

2016年11月30日 | 日記
まだ暗いうちに目が覚めるけれど 寒いので明るくなるのを待って起きる

これからはこうなるのだと思うと 春が待ち遠しい(って 冬はこれからだというのに)

洗濯と掃除をしたら もう自由時間

友人が算数(数学までいかない)に凝りだしたので 私も最近はまっている

子供の頃 文章問題など好きだったのに 中学受験の問題をやってみると 昔より難しくなっているのか それともこちらが鈍ったのか(大いにありえる) すいすいとはいかない

どう考えたら正解にたどり着くかを知る過程が面白いのだが もやもやし始めると実に歯がゆい


友人は 子供の頃からそう得意でもなかったようで 鶴亀算なんて 鶴と亀の頭を見ればわかるのになんて冗談で言っているが 確かに実生活ではそう

あくまでも 考え方 考える力を養うものだけれど 勉強は全てそうだ

調べ 観察して 疑問を見つけ 解決方法をさぐり 検証し 知識とし それを生活に生かす

算数なんて計算が出来れば良い というのは ある意味確かではあるけれど それを言っちゃあお仕舞よ


受験のために 子供が毎日 夜遅くまでこんな問題を解いているのかと思うと 複雑な思いがする

本当にただただ好きでやっているのであれば良いけれど よくわからないまま敷かれたレールの上を走っているだけでは いつかどこかで挫折する子もいるんだろうなあ

小学校の時 とても優秀な同級生がいた

それはもう断トツで 当時の東京都でもトップの成績だった

小学生の時から勉強が好きで また 疑問をそのままにしておくことは出来ない性格だったのだろう

がり勉とは違い とにかく誰もが一目も二目も置くような生徒ではあったのに 格別目立つことも無く 静かで温厚で いわば大人びた子だった

中学は私と同じ公立に進み そのあと国立の高校 東大法学部と進み 今では有名な法学者となって 国会でも答弁をするほどだ

小中学校時代に塾に通ったことは無い


学歴が人生の全てでないことは確かだ

少しは有利になるだろうけれど それと人の幸福度は全くの別問題

算数の問題集とは違う人生の問題集に取り組む時に 勉強の全ての工程で培ったものが役に立つけれど それは毎日の生活 家の手伝いも 運動や趣味にのめり込む時間も 友達との遊びも 全てが勉強になり その勉強は生涯にわたって続くものだ

毎日こうした問題を解き 順位と成績で振り分けられ それでもそれを楽しいと感じる子供であれば何も問題は無いけれど 誰もがうまくいくとは限らない

挫折の中から何かを見つける子もいれば 挫折のまま傷を抱えてしまう子もいるだろう

親も子も大変だろうなと思いつつ 私は 暇つぶしに時間無制限の算数問題に取り組む

時々 忘れていた脳の部位を使ってみるのも また楽しい

 

 
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こんな日もあるさ

2016年11月29日 | 日記
5時に目が覚めたが 真っ暗だし 暖房を入れるのも勿体ないので ラジオを聞きながら6時過ぎまでお布団の中でうだうだする

以前ならこんな時間に起きて 支度をしていたのだ

ひとたびこんなにものんびりした生活を味わってしまうと もう根性なしになってしまっていて とても昔の生活には戻れない気がする 


打ち合わせのために 現場に行く

今日は外構のプラン作りだが すでにおおまかなイメージは描いてある

まったくゼロからのスタートでは 双方やりにくかろう

玄関タイルも門扉も決めた

あとは図面での調整になるか


例の板は 下駄箱に置いてあった

きちんと箱に入れてあり 20枚程度と言ったのに二種類の板で作ってくれたようで おそらく40枚はありそう(こんなに必要無いのになぁ・・・)

だいだい正方形であれば良いと伝えたけれど すべて綺麗にサイズが揃っており 箱の隙間には段ボールで詰め物もしてある

いい加減なことは出来ない性格なのだろうか

工務店の人には 友達などに差し上げたいと思って頼んだと言ったけれど もしかして こんな特別な事を頼んだのはまずかったかと内心ひやひや

だが そうでもなかったみたいで むしろ 私が最初に貰ったもののように 広告用の社名の焼印を裏に押したそうだった

持って帰ろうとしたら 今必要なのでなければ置いておくのは構わないということだったので そのまま下駄箱に置いてきた


庭の部分は 砂利で終わらすか 敷石や植木 ぬれ縁など置くかは未定

今のところ あまり希望は無い

ラス網も搬入されていたので そろそろ外壁に入る

モルタルの上に更に塗り壁となるので 乾かすのに時間がかかるため 工程はたっぷり一か月はかかるそうだ

次回には 竣工予定日が決まりそう


家に帰ってから洗濯をし 夕方まで ポスト付きの門柱のカタログを見ながら検討する

色や高さなどをそれなりに気にすると どうでもいいようなものでもけっこう迷う

候補をあげて あとは打ち合わせで相談しよう

今日は頭をフル回転させたので 食欲減退

こんな日もあるさ 
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来年の旧正月

2016年11月28日 | 日記
すでに大工仕事は終了しているはず 明日は打ち合わせで現地集合 予定ではキッチンも搬入されることになっているが 今日はどうなっているのかと出かけてみた

気温は低くないが 風が少し強い

到着してみると ひっそりとしていて誰も居ない

そうか 今日は作業は無いんだ

大丈夫なのかと心配になる

今までは 行けば棟梁に会って話もきけたし 家の中も見ることができたのに 今日はドアにもしっかりと鍵がかかっていて 外周しか見ることができない

怪しい人間のように 窓から中を覗いてみたりする

建築中の家は工務店に責任があり 施主といえども勝手に中に入ることはできないのだ

なんだか忘れ去られた家になったみたいで すっごく寂しいよ~


実は 棟梁に一つ 頼みごとをしていた

工務店に最初に行ったとき 会社のカタログやDVDと一緒に 床材の見本の板をもらった

床材の幅に合わせた正方形の板で 杉と檜と青森ひばだった

それが 鍋敷きにちょうど良いと気が付いた

熱いものを置くとほんのり木の香があがり そうしたものの一切を捨てた私は これは使えるじゃん?とばかりに 引っ越しの時にも捨てないで持ってきた

それで 余った床材で20枚ほど作ってもらえないかと 最初の頃に頼んでおいたのだ

作るといっても 適当に正方形に切ってもらうだけではあるけれど 急須や薬缶や湯飲みを置いてもいいし 欲しい人がいたらあげようかななんて思ったりして(なんちゅう貧乏くさい発想だこと) 

ちゃんと板をとっておいてくれたのだが なかなかその作業にまで行かず 先日 作って下駄箱のところに置いておくからと言ってくれた

それを回収したかったのだが・・・


家の中には入れず 消化不良の気持ちのまま とぼとぼと寂しく家に戻る

神経質で肝っ玉の小さい私は 段々と先のことが心配になり あれこれ考えて昨日は少し寝そびれた

3時間の夕寝のせいもあるけど^^(どこが神経質なんじゃ!)


今年のお正月のおせち料理は 縮小しようと思っている

そして できれば旧正月を楽しもうかと考えている

手に入らなくなるものは仕方ないが 私もそのほうが落ち着くだろうし

余裕があれば友人を招待しよう

2017年の旧正月は 1月28日

はてさて 私はどこで何をしているやら

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お鍋料理と牡蠣

2016年11月27日 | 日記
先日買った白菜が余ると計算して鍋の材料も買ってあったので 天気の悪い今日はそれに決定

正直言うとお鍋は すき焼き以外あまり好きでは無い

不味いとまでは思わないが つまらないのである

飲まない人は 何が楽しくてあれを食べるのかと思ってしまう

あれでご飯なんて絶対に無理だし あとで雑炊にするという手もあるのだろうけれど 私はそれも好きでは無い

また 飲む人間にとっても あれひとつの味で完結するというのがつまらない

他を食べようにも お腹はちゃぽちゃぽになってもう何も入らないし 特に一人ではなおのこと

そもそも一人の鍋料理というところに 無理があるのか


昔 忘年会で「ちゃんこ」だという時には げんなりした

紙鍋というのもあったけれど それが面白いだけで 味の記憶はまるでない

その時は他の料理もあったのでまあ良かったけれど 大きな鍋を他人と数人で囲んで食べるというのも 私には苦手なことであり 何故冬になるとこうも鍋料理がもてはやされるのか 私にはわからない


そう好きでもないのに作るのは 残った白菜の後始末と 大好きな牡蠣を食べるため

本当は自分の家で揚げた牡蠣フライが最高なのだけれど 揚げものはしなくなったし ソテーばかりではつまらないから

かぼすや柚子も好きだしね

父が好きだったせいで 昔は 時々3人で鍋を囲んだ

3人ともなると寄せ鍋の材料も種類が多くなるので まあ幾らかは楽しくなる

一人になってからの私の材料はタラと牡蠣 あとはキノコ類や白菜だけなので寂しい感もあるけれど かといって別にカニだの海老だのホタテだのがあっても 煩い上に少量の材料集めも大変

しかも そんなものは鍋よりも別の調理法で食べたほうがもっと嬉しい


牡蠣には生食用と加熱用がある

母は 加熱の時でも生食用を買っていたので私もそうしているが 本当は間違っている

どちらが牡蠣の旨みがあるかといえば 加熱用なのだ

加熱の時は 加熱用を使うのが正しい

母は 万が一の事を思ってそうしていたのだろうけれど 鍋やフライなら間違いなく火は通る

とわかってはいても 私もやっぱり生食用を買ってしまう


牡蠣は 英語の月名でRの入らない月には食べてはいけないと言われる

5月から8月までのことを言うが 夏にも食べられる岩牡蠣もあるし 最近では養殖の進化でそれも消え失せてきたようだ

私は かなり前に生牡蠣であたった

沢山食べ過ぎたせいもあったと思う

それからは少し身構えるようにはなったけれど 好きなせいか もう絶対にこりごりということにはなっていない


牡蠣は苦手という人もいるだろうと思う

独特の香りがあるが 私はあれを嗅ぐと嬉しくなる

スーパーで牡蠣を見ると 夏が過ぎたことを知らされる

そして 牡蠣の隣に鍋の材料などが並んだりすると ああ 冬が来るのだなと思う

この冬 もう一度作ることがあるだろうか

今度白菜が余っても 牡蠣と炒めて片栗粉でとろみをつけたものにしようと思う

牡蠣は好きだけれど 早く見かけなくなる時期が来ればいいなと 今年の冬は思う
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寒いんですけど

2016年11月26日 | 日記
今日も天気良好なり

というわけで ティシューとトイレットペーパーを買いに大型スーパーへと出かける

この両方を持つと 他にはもうほとんど何も買えなくなるので そのためにだけ

トイレットペーパーは ここで買うのはもう最後になるけれど っていうか余るだろうけれど ティシューはもう一度買うことになりそうだ

今日も 全階をながめつつ 炬燵と暖房器具の前では 思わず立ち止まってしばし見ていた


この頃 やるべきことを先延ばしにしている

一番の理由は 寒さ(ということにする)

暖房の無い部屋は常に10~11度

キッチンでは火を使うし 暖かいお湯での食器洗いなので この程度であれば作業は何とかできる

けれども 他の部屋は無理

エアコンのある部屋は 起きている限り暖房は切れない

室温は18度程度で 寒い部屋から入ると暖かいと思うけれど ずっと慣れきってしまうと 快適と思うには私には少し足りない

ただ これ以上温度を上げると 寒い部屋へ出るのがもっと億劫になり 何かと無精になるので これでやっていくことにしている


そんなわけで お布団に入っている時間も長くなった

そして やるべきことが先送りになっていくというわけ

思えば 人類は 飢えや寒さと闘いながら より快適な場所を探して移動してきたわけで 暑いために移動することはなかった

快適な気温が一番良いけれど もしも 年中冬と年中夏の二者択一を迫られたら やっぱり私は年中夏の方をとると思う

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