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一等賞

2008年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム
競泳の水着がエライことになってるらしい。
 
なんでも外国製の水着を着ると速く泳げる。
記録ラッシュらしい。
契約上とかモロモロの関係で、
日本選手はこの水着が着れないらしいのだ。
 
それは一大事だぁ!とは思うが、
こういう話を聞くといつも思う事がある。
例えば、
 
“今、F1で一番早いのは誰か?”
 
って言うやつ。
そりゃ、ライコネンだろう!とか、アロンソやん!とか、
ハミルトンちゃうん?とか、それなりに名前は挙がるが、
乗ってるマシンが違う。
インディみたいな、ほぼ“同じマシン”なら、
順位どうりだが、
そもそも性能の違うマシンに乗っていては、
ライコネンとアロンソのどっちが優れたドライバーなのかは
素人では判断に困る。
 
今回の水着にしても同じだ。
 
鍛え上げた肉体と、研ぎ澄まされた技を持って、
世界最速の人間を決めるんだろ?そう言うことだろ?
だったら、みんな同じ水着を着るのが
一番わかりやすい事なんじゃないだろうか?
 
そりゃね、何のトレーニングもしていない人間が
それを着ることによって超人になってしまう
パワードスーツのようなものだったら、
それはそれで確実にオカシイ事になるし、
鍛え上げたものを前提に、ライバルよりも
少しでも前に行くためのツールだって言う事は
理解出来ないでもないが、やっぱどうも。
 
今や、どんなスポーツにおいても
研究・開発が進んでいる。
1秒でもいい記録を出すために。
でも、それだと、結局は技術力、
とどのつまり金がモノを言う事にならないだろうか?
 
開発に数億円かけた水着。
メーカーにしてみれば、技術力を誇示するとか、
色々な意味合いもあるだろうけど、
やっぱ純粋に
 
“人類最速”
 
の金メダリストを見てみたい気はする。