本を読みたいが、いつもの枕頭の読書では、打撲した肩が痛くて、長時間は無理だ。椅子に座って、机に本を置いてページを繰る。あたり前の姿勢を、この年になって取り戻している。手元に加藤徹『漢文力』という本がある。偶然、本棚から取り出したものだが、意外に読みごたえがある。この年齢になって、気づかされることも多い。
紀元前500年ころの晋に平公という王がいた。そばにいた盲目の楽師、師曠に問うた。「わしはもう70歳になった。学びたいと思うが、もう日は暮れて遅いような気がする。」師曠が答えた。「日がくれたなら、どうして灯火をともさないのですか」平公「これ、わしをからかうのか。日が暮れたと言ったのは
老いたという意味じゃ」師曠「目くらの臣がからかいを申すなぞ滅相もありません。臣はこう聞いております。若くして学べば周囲を明るくする。壮にしてまなべば、物事の全体を見えるようにする。老にして学を好むのは、炳燭の明のようなもので、太陽の光がなくとも、自分の灯りで見えるようにする。これは暗い星の光と比べてどちがいいでしょうか」平公「もちろん炳燭の明じゃ」
『菜根譚』にはこんな句がある。
日既に暮れて猶烟霞絢爛たり
歳将に晩れんとしてさらに橙橘芳馨たり。
故に末路晩年は
君子更に宜しく精神百倍すべし。
老いてもなお学ぶべきことが多くある。そのことを説く書籍も、近くのブックオフに山積みされている。