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芍薬の朝のしづけさは我しづけさ 水原秋桜子
アクシデントでできた時間。せっかくの神に与えられた時間だ。老い行く自分にじっくりと向き合える時間でもある。足腰が弱っていくなかで、どんな生き方があるかじっくりと考えたい。本棚に眠っている本ともう一度再会する。それは、時代のなかで自分が向き合ってきた世界である。悲しいことに、過去に抱いていた興味は、すでに忘却の彼方、辛うじて数冊の本が棚の隅に眠っている。もう一度その世界を降り起してみたい。
50代の半ばに詩吟を始めた。そのせいか、漢詩や漢文、漢字ついての本が書棚に並んでいる。白川静の『漢字』という本がある。文字の生い立ちや意味が興味深く述べられている。例えば聖。人間性の最も完成された姿を意味するが、漢字を見ると耳と口と人が立つ姿を表している。耳や口は単に、音や家族とコミュニケーションをとるばかりではない。古代にあっては、神の言葉を聞く耳、祝詞を述べる口を意味する。神と話ができる人としての究極の姿を表している。今、一度こうした文字に見える、呪術の世界に触れる時間を持つことは高齢になった今こそ意味がある。