常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

末期の眼

2022年05月21日 | 登山
「末期の眼」という言葉がある。人は死を意識したときの眼で見ると、自然はひときわ美しく見えるという意味だ。芥川龍之介は、自死の直前、友人に手紙を送っている。その手紙に「唯自然はかういふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然が美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども、自然が美しいのは、僕の末期の眼にうつるからである」

18日の登山中に事故が起きた。蔵王の雁戸山に宮城側の笹雁新道を登った。足の状態は、普通とさして変わらなかったが、筋肉疲労がいつもよりつのった。3時間ほどの登りで頂上について、普通にお握りを食べ、スイーツを食べて下ったのだが、急坂で筋肉を使い果たした気がする。足がプルプルと震え、仲間から芍薬甘草湯を貰い、休憩しつつ危険個所を過ぎた。4時を過ぎて辺りは次第に夕景になっていく。最後の沢筋の道の達したとき、不意に意識がなくなった。気がついたときは、厳しい急坂を木の枝につかまって歩いていた。

防災ヘリに救助され、救急車で仙台の救急病院に向かう。仲間の話では、20mほどの滑落だったらしい。全身の打撲と擦過傷。病院のベッドで点滴、検査。殆ど怪我をしたという意識はない。整形の先生が来て、骨折はないから、多分明日退院でいい、と告げられる。張りつめた場面がそうさせるのか。病室はボイラーや機器の通知音がひっきりなし。看護師さんから、眠れないだろうから、休むことを意識して、睡眠は考えないようにと言われる。点滴を見つめながら夜は更けていく。いつしか、うとうとと眠りに就く。4時過ぎに病室は明るくなる。トイレはし尿瓶を使う。20m滑落という事態では、奇跡的なことらしい。
仲間や妻の手を借りて、家についた。張りつめた気が弛んでいくうちに、筋肉痛と打ち身で全身が痛い。特に一番消耗した大腿の筋肉痛。擦過傷が病院でつけてもらった絆創膏の切れ目から覗いている。蒲団から起き上がるのに一苦労である。ほぼ20時間ぶりに外へ出た。いつも歩く散歩道だが、筋肉痛で倍の時間を要する。公園の花は、ことの他美しい。これは、芥川が言った「末期の眼か」そんなことを考えている内に、疲れを感じ、ベンチに座った。歩きはじめて10分ほどしか経っていない。こんな川柳がある。

あきらめたとき美しくなるこの世 たむらあきこ

この事故を知った娘と孫からラインが来た。「気をつけて」「身の丈に合った計画を」やはり、身内に心配をかけるようなことはいけない。

コメント (4)
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