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久しぶりの千歳山はツツジが満開。山道脇にこんなにもあったのか、と驚くほどに咲き乱れている。連休とあって、若いご夫婦が、小学生くらいの子どもをつれてたくさん登っていた。親子水いらずの山はやはり久しぶりなのか、子どもたちのテンションは上がりっぱなしである。「えらいね」とほめると、「こんにちは」と元気な返事が返ってくる。やはり、この山は子どもづれが似合っている。稲荷神社までの階段で心拍数がオーバーとなり、ここまでの歩きをゆっくり登ることが課題だ。
躑躅燃え遠の白根に雪のこる 草間時光
遠い中国古代に目をやれば、歌謡に歌われた野山の遊びがある。人間の営みは時を経てもその本質が変わることはない。
陟彼南山 かの南山に陟(のぼ)りて
言采其薇 ここにその薇(わらび)をとる
未見君子 いまだ君子を見ず
我心傷悲 わが心傷悲す
亦既見止 また既に見
亦既覯止 また既に覯(あ)う
我心即夷 わが心即ち夷(たいら)ぐ
その時代に菜摘みは、逢うことを願う予祝として謳われた。君子、愛しい人のことである。合わない内は、心が悲しく、合ってのちは心が安らぐ。