新緑の月山道を越えて、鶴岡市の金峰山~鎧ケ峰へ。すっぽりと緑のなかに全身が入ると、体内にある古代の記憶が甦ってくる。フクロウの低い啼き声。キツツキのドラミング、時鳥を思わせるウグイスの高い声。鳥の声に背を押されて山道を歩く。樹々の生命力は、森の中を住まいとする、すべての生き物に乗り移る。
新緑や濯ぐばかりに肘若し 森澄雄
かって京大の教壇に立った今西錦司は、春の喜びを『私の自然観』に書いている。「春ほど目まぐるしく変化する季節はほかにない。このまえはフキノトウをつんだのに、つぎに行くと、もうツクシの舞台に早がわりしている。この変化のあわただしさが春そのものを、あわただしく感じさせるのである。新緑の五月は、木の芽とともに若草ももえだしたときであって、ウメもサクラも過ぎたとはいえ、私にいわせると、春はまさにたけなわ、ツクシにつづいたワラビの季節なのである。」今西先生にとって、新緑の季節は、山菜の季節でもあった。