常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

徳仙丈山のツツジ

2024年05月15日 | 登山
気仙沼の徳仙丈山。東日本の震災から13年も経っているのに、その爪痕がいまなお生々しい三陸の山に、ツツジの花を訪ねた。気仙沼はお隣の宮城県であるのに、この海岸までの道は遠い。高速を山形道から東北道、そして海岸の東道路と3つも乗り継ぐ。山形からの距離は220キロ、往復では450キロにも及ぶ。思えばここには大島というほんの少し離れた島があり、50年も前、まだ子供たちが小学生であったころ、お隣の家族と連れ立って、海へ家族旅行をしたことがある。島へはフェリーで飛んでくるカモメに餌を投げて与えるのが楽しかった。上空で待機しているカモメにポップコーンを投げると、急降下して巧みに餌を咥えて飛び去る。

震災のとき海に流れ出た油に火がついて、長時間の海上火災が起きた。島へ渡るフェリーは廃止され、今では瀟洒なつり橋が、島への通路となっている。徳仙丈山の標高は710m。ただ、車道が整備されて、標高500m付近まで、車で行くことができる。この山の土壌は黒野牧といわれ、ツツジの生育に適したものであった。その後、この山のツツジに着目した先人たちが、木に絡むつる草を除去、下草のかりとなどの保存作業が功を奏し、50万本ものツツジの名所となった。山道の両脇にはツツジの大木があるが、花を咲かすことなく休息している木があることもこの山の特徴かもしれない。

山つつじ照る只中に田を墾く 飯田龍太

圧巻は第二展望所から三陸の海が見える山裾にひろがるツツジの群落である。裾全体を赤く染め、その先にはリアス式に海が切り込んでいる海岸が見える。
第一展望台の奥には、エリザベスと命名されたツツジの女王がある。ウグイスの鳴き声のなかに、大いに花の山を楽しんだ一行であった。帰路、港の市場で普段食すことのできない海鮮丼を堪能。そこから、震災の津波に襲われた階上中学校校舎を見る。ここには伝承館が設けられ、被災した校舎は、津波が校舎に押し寄せ、入ってきた壊れた壁や車がその当時のままの姿で保存されている。4階建て校舎の4階まで津波が押し寄せ、屋上の逃れた人々は助かっている。その生々しい様子は、実際に遭遇してはじめて恐怖感がわくだろう。花と震災、なかなか見ることのできないものを見ることできた。
コメント
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