5月の声を聞いた。メーデーにしては静かな日である。五月晴れとはいかず、薄い雲が垂れている。そんななか、春の花や夏の花が入り混じって、騒然とした雰囲気で咲いている。円安が進み、衆院の補選では、この国をリードしてきた勢力の衰退が目立つ。高齢化と人口減少、国に大きな地殻変動が起きている。デフレ克服のためにとってきた円安の政策が、ここきて破綻を示している。国内で高コストのもを作るより、外国から安いものを買ってくる。バナナやオレンジ、安くておいしい食品の優等生であったが、そん常識が通用しない時代がこようとしている。
もう働くことのできない自分たちの世代は、埋もれている価値観の発掘に努める以外に生きる道はない。合理性ゆえに、価値あるものを捨ててきたものの見直し。身体を動かすことで、健康を維持する生活。自然に親しみ、その美しさのなかで癒される生活。離れ離れになった家族の新しい形。年老いて生きる楽しみを見出し、子や孫たちの伝えていくこと。そんなことを考えると、これからも学び、勉強することは尽きることがない。AIの進化は、自分たちの世代にも大きな力になる。
村上祥子『頑張らない台所』にこんな言葉がある。
「年をとると、食事そのものが面倒になります。買い物も、作ることも面倒くさいなど。いえいえそれはなりません。「人は見えないところが勝負」です。ちゃんと食べることは、ちゃんと生きることにつながります。それを最後まで底支えしてくれるのが「食べ力」。「おひとりさまご飯」ができているか否かが人間らしい自分を確立するための必須条件です」
村上のこんな言葉をかみしめながら、不自由な足で台所に立ち続ける妻の力になる。自分だけになったときの食べ力は、こうした日々で鍛えられる。