クリスマス前に曇りがちだった空が晴れて、青い空のキャンバスに白い雲がひと刷毛、ふた刷毛。こんな日は少し遠くまで歩きたくなる。12月になって歩きが増えている。マイルズの記録を見ると、車での移動より、足での移動がはるかに多い。そう言えば、車のない時代は、日本人の移動手段は足であった。亡くなった漫画家の杉浦日向子に『江戸アルキ帖』という冊子がある。折にふれて開く愛読書でもある。生身の日向子が、タイムスリップして、江戸の町を歩く。見開き2pの1ページが歩いた町の絵、もう1ページには、歩いた場所が日記風に綴られる。
文化12年11月8日 〈晴れ〉 関口
日本橋から神田まで、大股でずんずん歩く。なんだか機嫌がいいようだ。足は軽いし、いつもの倍くらいの歩幅で、裾をシュッシュと機関車のように音をたてて闊歩する。湿度は低いし天気はいいし、冬の日の午前11時、気分は上出来、かと言って、口笛吹いて、スキップしたらここが江戸じゃなくってもバカみたいだ。ただ歩くしかない。神田川を西へ江戸川の合流点へ、そこから江戸川をさかのぼり、上流〈神田上水〉までペースを落とさず、歩きづめに歩く。(杉浦日向子『江戸アルキ帖』)
タイムスリップした日向子さんはなかなかの健脚だ。街が途切れ、南には広々とした田畑、北側には緑の台地、西に目を転ずると遠く富士山が見える。台地で一休みした日向子さんの目にしたのは、芭蕉庵。その後、ここから深川に移っていくことをお見通しだ。タイムスリップすればそうなる。当時の庶民の旅も移動も、もっぱら徒歩。日に20㌔、30㌔は珍しくない。自分の場合は、頑張って歩いてせいぜい5、6㌔。この秋、穂高山荘からザイデングラードを通って涸沢を抜け、横尾、徳沢から上高地まで21㌔を歩いたのが、今年の最長だが、上高地ではもう足が前に出なくなっていた。江戸も明治も、人々は20㌔、30㌔を歩き通すのが日常であった。戦後の日本で弱くなったものの筆頭は、庶民の脚力であろう。車がそれを補っているのだが、その分環境への負荷は大きい。巨大竜巻、台風、洪水など支払う代償は大きい。
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