天候が日替わりで、好天と荒天が入れ替わる。昨日の穏やかな春風に替わって、今日は風と雪。それにしても、今年の春の訪れは早い。散歩の途中で通りがかったお宅の庭にフクジュソウが咲いていた。失礼して道路から写真を撮らせてもらう。山手の坂道でビニール袋を提げて、藪のなかで何かを探している人がいた。見れば袋には鮮やかな新緑のフキノトウがためられていた。
百人一首の14番光孝天皇の歌に
君がため春の野にいでて若菜つむ
わが衣手に雪はふりつつ
光孝天皇といえば、元慶8年(830)、54歳で天皇の位についた。陽成天皇の突然の退位によるもので、もとより天皇の位につく考えはなかった。親王として穏やかな人生を送っていた人で、若いころ恋人かお気に入りの女性に贈った歌である。もちろん、歌には野で摘んだ新鮮な若菜が添えられている。若菜は邪気を払い、流行り病を遠ざけるものと信じられていた。自分の愛しい人が、流行り病、今日でいえばコロナウィルスになどかからぬようにとの願いが込められている。
平安の頃には流行り病への人々の恐怖は想像にあまりある。一たび疫病が猖獗をきわめると、あらゆる階層で猛威をふるった。政権にある人々とて容赦されることはない。次々と要人が突然の病で命をなくした。そんななかで、春に芽生える若菜が病を遠ざけるという考えは十分に理解できる。新鮮な若菜にはビタミンも豊富に含んでいたであろう。こうした行為は、今日の社会にあっても忘れてはならないものである。若菜を受け取った女性は、想像をこえる安堵を得たであろう。気に入らないと言って非難したり、マスクを奪い合って喧嘩をするのではなく、むかしながらのこんなやさしい思いやりの心が欲しいと思う。
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